ハワイスペシャリスト限定ツアー

2024.07.08
ハワイスペシャリスト限定ツアー

アロハプログラムWeek in ハワイ2024【7日目】

2017年よりスタートした「アロハプログラム Week in ハワイ」。ハワイ州観光局とアロハプログラムキュレーターが自信を持ってご紹介する、他では味わえないディープなハワイを体験できる現地発着のツアーです。ハワイが大好きなメンバーが現地で繋がるアロハプログラムだけの特別ツアー!第6回目となる今年は、2024年6月14日(金)~20日(木)まで、オアフ島にて開催いたしました。期間中オアフ島では、太平洋諸島の先住民文化を祝う世界最大級のイベントフェスティバル・パシフィック・アート&カルチャーが開催されていました。

6日目のツアーをレポートいたします。
 

6/20(木)【中級・上級向け】リリウオカラニの軌跡をたどるダウンタウンツアー

キュレーター:森出じゅん氏

いよいよ最終日です。毎日顔を合わせていたメンバーの皆様とも今日が最後かと思うと寂しい気持ちになります。
締めくくりは、キュレーター森出じゅん氏と一緒に、ダウンタウンにあるイオラニ宮殿とワシントン・プレイスを訪れました。


アロハプログラムWeek in ハワイでも何度か訪れているイオラニ宮殿ですが、今回はハワイ王国最後の女王リリウオカラニにスポットをあて、彼女の足跡をたどります。ハワイ王国最後の時代を生きたリリウオカラニの人生、人柄、そして今もハワイの人々の心を捉えて離さない彼女の魅力などに迫ります。さらにイオラニ宮殿からほど近いワシントン・プレイスはリリウオカラニが50年以上も暮らした場所です。州知事官邸として使われた後、現在は博物館として週に一度、木曜日に一般公開されています。(要予約)











1838年9月2日に誕生したリリウオカラニは、1862年、24歳でジョン・ドミニス(父子同名)と結婚しました。この時リリウオカラニは穏やかな生活を送る専業主婦でした。兄であるカラカウアが国王になったのは1874年。彼によって1882年にイオラニ宮殿は建てられました。欧州の建築様式で作られ、 宮殿内には水洗トイレやシャワー、電話、ハワイでは初めての電灯が備え付けられました。華やかな社交の場として、世界からのお客様を招いて晩餐会などが行われていたことでしょう。

1891年カラカウアが亡くなると、リリウオカラニはハワイ王国第8代目女王として、国を守る立場に立ちます。そのわずか2年後の1893年にはハワイ王国で市民権を得た白人のクーデターによりイオラニ宮殿は占拠され、ハワイ王国は崩壊へと進んでいきます。


リリウオカラニが退位した後、イオラニ宮殿は暫定政府が占領しました。2年後の1895年には王国の復権を支持する国民によりクーデターが起こります。その首謀者と疑われたリリウオカラニは逮捕され、イオラニ宮殿の2階に幽閉されます。約8カ月の幽閉中にリリウオカラニが作ったのが、The Queen's Quiltと呼ばれるクレイジーキルトです。9つのパートを繋ぎ合わせて完成するこのキルトにはリリウオカラニからのたくさんのメッセージが縫い込まれています。特にキルトの中心のパートはとても重要で、その刺繍にはハワイ王国最後の女王リリウオカラニの生涯、そして王国の滅亡など自身の歴史を語っています。死を覚悟したであろうその時、リリウオカラニはクィーンズキルトに遺書を書くような気持ちでメッセージを残したのではないかと説明された、森出さんの言葉がとても印象的でした。




※中心部のパーツがこちらです。
左上:1838年9月2日生まれ、1891年1月29日即位
右上:1893年1月17日クーデターによりハワイ王国滅亡、1895年1月6日王国復権のクーデター
左下:1895年1月17日イオラニ宮殿に幽閉、1895年9月6日キルトを作り始めた
右下:1895年1月24日退位




リリウオカラニお気に入りのロンドンで買った蝶のブローチ

この激動の時代の中で、屈辱や裏切りを受けながらも女王であり続けることではなく、国民を守るための選択をしたリリウオカラニ。今もなお、ハワイの人々にとって永遠の女王であり続ける理由がここにあるのではないでしょうか?




次に、ワシントン・プレイスへ移動します。ドーセントのはるみさんが詳しく説明してくださいました。
「白亜の豪邸」という言葉がぴったりなここは元々、夫ジョン・ドミニスの両親の館で1848年に建てられました。リリウオカラニ、9歳の時です。ロイヤルスクール時代に遠足で見学に来たそうですが、いずれその場所に住むことになるとはさすがに思わなかったでしょう。15年後に24歳で結婚して以降、イオラニ宮殿に幽閉期間もありましたが、1917年、78歳で死去するまでリリウオカラニはここで暮らしました。


「ワシントン・プレイス」と名付けられた理由もはるみさんから説明を受けました。夫の父であるドミニス船長はこの館が完成する前に亡くなりました。そこで生活のため使われていない部屋を貸し出すことにしたそうです。その住人の一人だったアメリカ合衆国総督は、1848年、ジョージ・ワシントン大統領の誕生日を祝い、彼を称えてワシントン・プレイスと名付けたとのこと。


中に入ると貴重な調度品が並び、訪れたお客様を迎えます。敷かれている素敵な絨毯は州知事官邸としてジョージ・アリヨシが住んでいた頃に、アリヨシ夫人が選んだものだそうです。椅子のいくつかはイオラニ宮殿から運ばれたもの。曲線美が美しいロココ調で統一されています。


次に音楽の部屋です。作詞・作曲なども手掛け、音楽家でもあったリリウオカラニが愛したピアノも大切に展示されています。王族であることの証、2つのカヒリも見られます。大きさが少し違いますが、大きいのは男性王族、小さいのは女性王族を表しているそうです。


リリウオカラニの寝室


リリウオカラニの姪、カイウラニが描いた絵。カラカウア一家は芸術一家ですね。



食堂にはイオラニ宮殿の肖像画のコピーがかけられています。


日本の皇室の方もここを訪れていらっしゃいます。食堂での晩餐会では上座であるリリウオカラニ女王の肖像画の前に座ることは背を向けることになると、向かい合ってお食事をされたというエピソードもはるみさんから伺いました。


リリウオカラニが54年もの歳月を過ごしたワシントン・プレイスには特別なマナを感じることがあるとドーセントのはるみさんはおっしゃっていました。リリウオカラニに子供はできませんでしたが、夫のジョン・ドミニスには愛人がおり3人子供がいました。養子として迎え3人を育て、またハワイの子供たちが健康で楽しく豊かな生活を送れるよう亡くなるまで尽力したそうです。今もその意向はリリウオカラニ財団に引き継がれています。



そしてツアーの最後は、森出さんからのサプライズで、カカアコにあるリリウオカラニの壁画がある場所へご案内しました。リリウオカラニ女王に心を奪われた一日となりました。




7日間にわたり開催したアロハプログラムWeek in ハワイ2024はこれで全行程、無事終了いたしました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。また次回、たくさんの方にご参加いただけることをお待ち申し上げてります。
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