ハワイスペシャリスト限定ツアー
<2日目>アロハプログラムWeek in ハワイ2018
【DAY 2 ハワイ島・ホノカア&コアウッド植樹(11月6日)】
「アロハプログラムWeek in ハワイ2018」のハワイ島2日目、我々が向かったのはホノカアです。
映画「ホノカアボーイ」の舞台として日本人にも知られているこの街ですが、実はサトウキビ栽培が全盛の頃は、ホノルル、ヒロに次いでハワイ州で3番目に大きな都市だったのだそうです。
ホノカアでのサトウキビ栽培自体は、規模を縮小しながらも続けられてきましたが、1994年に最後のサトウキビ農園が閉鎖。長い歴史に幕を閉じました。
- ホノカア・ヘリテージセンター
当時の様子や日系人をはじめとする移民の暮らしを学べるのが、こちらのヘリテージセンター。
2011年にできたという、比較的新しいセンターです。
ワイピオ渓谷では昔は「お米」が栽培されていたこととか、中国系の人々も多く移住してきたからホノカアの街はその影響を受けた建物が残っていることなど、ホノカア周辺についてのいろいろな説明がパネルなどでわかりやすく展示されています。
サトウキビ農園で働いていた人たちの「写真」や「給与明細」なども残っており、当時をしのびながらホノカアの歴史を垣間見ることができます。ホノカアで生まれ育った日系のドクター・オカダの紹介や、元年者としてハワイへ移住しハワイ人の女性と結婚したサトウ・トクジロウさん(通称トコさん)についてなど、見どころもたっぷりです。ちなみにトコさんの子孫は現在もワイピオで暮らしているそうです。歴史はつながっているんですね。
そして、ホノカアのヒーローとして今も語り継がれるカツ・ゴトウ(後藤濶)さんの展示もあります。
カツ・ゴトウさんは、官約移民としてハワイ島へ移住し、3年間のサトウキビ農園従事の後、自分でホノカアに雑貨店を開きました。英語が堪能で、正義感も強かった彼は、ほかの日本人労働者のために組合を作ったり、農場主への直訴なども行っていたそうです。しかし、そんな彼の成功を妬み、白人社会への反発を面白く思わなかった当時の権力者の暴行によって、彼は無念の死を遂げます。
しかも、その亡骸はホノカアの電柱に吊るされていたのだそう…。
その電柱があった場所のすぐ近くに、カツ・ゴトウさんを祀った碑が今も残されています。
ホノカア・ヘリテージセンター
- ホノカア・ジョードー・ミッション
そんなお話を聞いて、次に向かったのがホノカア・ジョードー・ミッション(ホノカア浄土院)。
このお寺は、1896年に建てられた、ハワイで一番古い日本の寺院なのだそうです。
現在の住職さんであるスリランカ出身のワジラ・ワンサさんは、「この街には日系一世の人々が努力してきた証がたくさん残っている。それらを後世に伝えていきたいし、多くの人に受け取って欲しいのです」と語ってくれました。若い世代は、だんだんお寺へ集まることが少なくなっているので、お寺の今後が心配なのだとも…。海が見渡せる、こんな立派なお寺なのに、なんだかもったいないような気がしますよね。
このお寺には、ホノカアのヒーロー、カツ・ゴトウさんの立派なお墓もあります。こうして、ハワイの地で尽力された日系の人々のことが、後世に伝わっていってくれることを願うばかりです。みんなでお墓に手を合わせ、お寺へも心ばかりの寄付をして帰ってきました。
ホノカア・ジョードー・ミッション
- ホノカア・ピープルズ・シアター
映画「ホノカアボーイ」にも登場する、ホノカアの街のシンボル的存在がホノカア・ピープルズ・シアター(Honokaa People’s Theatre)。1930年に、日系移民のタニモト・コウイチ&ペギー夫妻によって建てられた、歴史ある映画館です。
当時はサトウキビの栽培や牧場経営などが盛んで、多くの人で賑わっていたホノカアの街。その街の娯楽の中心となっていたのがピープルズ・シアターだったのです。当時は日本語やポルトガル語、フィリピン語やスペイン語など様々な国の映画も上映されていたそうです。
その後、街が少しずつ衰退する中、ペギーさんがなんとか運営していたこの映画館も1988年に一旦クローズされました。しかし、プランテーションの医師としてホノカアへやってきたトムさんがタニモト夫妻の意思を継ぐ形でこの映画館の経営を受け継ぎ、1991年の再オープン以来、現在もなお営業を続けているのです。
ツアーの当日は、実際にトムさんが館内を案内してくださいました。天井や屋根を手作業で修復&ペイントするなど、映画館に愛情を注ぎ続けているトムさん。ただし、約80年前からある525席の客席の「椅子」だけは、絶対新しくしないと決めているのだそう。実際、その椅子に座ってみましたが、本当に座り心地が良くて感動的でした…。また、特別に映写室へも入らせていただきました。貴重な体験です。
現在は、週5日営業して映画を上映しているホノカア・ピープルズ・シアター。また、時にはコンサートなども行われているそうです。上映や公演のスケジュールは、ウェブサイトで確認できます。古き良きホノカアの雰囲気を感じながら楽しむ映画、なんとも贅沢な感じですよね。
ホノカア・ピープルズ・シアター
- ホノカアの街
ホノカアタウンのメインストリートはママネ・ストリート。サトウキビ農園がたくさんあり、多くの人が生活していた頃の面影が、街のあちこちに残っています。
先程行ったホノカア・ピーブルズ・シアターもこの通りに面しています。また、かわいらしい雰囲気のレストランやショップなども点在しているので、ふらりと散策するだけでも楽しいのがホノカアです。
さらに、建物の名前を注意してみてみると、HasegawaやIkeuchiなど、日系のラストネームが何軒かあることにも気づきます。ホノカアの街で、日系移民が作り上げた歴史は、今もなおしっかり残されているんだなあと実感できますね。
そんなママネ・ストリートを散策しながら、この街で20年以上営業しているというイタリアンレストランの「カフェ・イルモンド」でランチタイム。
ご夫婦で堅実に経営され、ホノカアの街に愛され続ける味…美味しかったです!
ホノカアの街
- ハワイアン・レガシー・ツアー
ランチの後、ホノカアの街を出発した私達の次なる目的地は、マウナケア山の中腹ウミコア・ビレッジ。ここで、ハワイ固有種であるコアの木の植樹活動に取り組んでいるNPO団体「ハワイアン・レガシー・ハードウッド」の植樹ツアーに参加するためです。
コアの木は、その丈夫さや木目の美しさから、建材や家具、アクセサリー、ウクレレなどに多く使われていますが、じつは徐々にその個体を減らして絶滅を危惧されている貴重な木。だからこそ、この聖地にコアを植樹して森を復活させてハワイの自然を守りたい…それがハワイアン・レガシー・ハードウッドのミッションです。
メインロードの国道19号線から山道を登ること約15分。標高が高くあるにつれ、少しひんやりした空気が感じられる場所にやってきました。この山は、その昔は王族のみが立ち入ることを許されたという神聖な場所で、カメハメハ一世がこよなく愛した場所としても知られています。
まずばビジターセンターでスタッフのリチャードさんとボラさんに合流。焼き立てのクッキーをいただき、元気いっぱいになったところで、メインの植樹に。ひょろひょろとして、一見すこし頼りなく見えるこの苗木がコアの赤ちゃんです。
ここから、未舗装の山を4輪バギーや6輪のピンツガウアーでがんがん登り、木を植える場所まで向かいます。これが結構激しい道のりで(笑)、参加者のみなさんも危うく振り落とされてしまいそうになりながらの登山。もちろんシートベルトはしているのですが、それでも時々「きゃ~~~!」と大きな声が出てしまうほどです。が、それもまたこのツアーの醍醐味。テンションを上げながら進んでいきます。そうこうしているうちに、今回の植樹スポットに到着しました~。
草むらの中に穴を彫り、持ってきた苗木をしっかりと植えます。土や草で根っこをていねいに埋めたら、イプに入ったお水をたっぷりあげてその成長を祈ります。
参加者の中には、苗に名前をつけて「がんばって大きくなってね」と声を掛ける方も。コアは成長が早く、10年もすれば立派な大木になるそう。そして、森に酸素を供給したり水を浄化したり様々な形でハワイの自然に貢献してくれるのです。
世界中でもハワイ島でしか成長できない固有種「コアの木」を植樹することは、大好きなハワイを守ることへの貢献でありサポートのひとつになるんですよね。こんな機会はなかなかない…と、参加した皆さんはそれぞれ感じ入っている様子でした。
最後に、コアの大木を見に行き、全員で記念撮影。太くて大きな枝に登らせてもらい、そのスケールを肌で感じてきました。木の枝や表面に、うすいひげのような藻のようなグリーンのふわふわしたものが見えるのですが、これは「ウミコア」という地衣類。限られた場所でしか見られないレア物なんだそうですよ。
今回私たちが植えたコアの木は、個別認識チップと一緒に管理されています。記念の証明書(サティフィケート)には、植樹した日や緯度と経度が書かれていて、いつでもその成長の様子を確認することができるんです!ハワイ島の聖地でがんばる我が子の成長を見守るかのような気持ち。なんとも感動的ですよね。
ハワイアン・レガシー・ツアー
こうして2日目のプログラムがすべて終了しました。
ホノカアでは日系移民の努力や苦労の歴史をたくさん学び、また聖なる場所でハワイの大自然の迫力を感じられた長くで充実した1日でした。
皆さん、本当にお疲れ様でした!!
続いて3日目の内容は次の記事をご覧ください!