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2015.11.28

オアフ島の通りの名

オアフ島の通りの名

オアフ島の通りの名にハワイの歴史を探る

ハワイの地域や道の名にはハワイ語が多く使われていることに、皆さんもお気づきでしょう。地域の名には、ネイティヴ ハワイアンの人達が昔から語り伝えてきた土地の名が残されています。彼らの共同生活地域であったアフプアアの名がそのまま残されているものや、山や川、大きな岩などの自然にまつわる名称が、言い伝えと共にその地域の名称になっているものが多くあります。そして道の名になると、それに加えて花や木、鳥、そして人物の名も使われています。

 それでは、オアフ (Oʻahu) 島の通りの名に使われている人名を探し、ハワイの歴史を追ってみましょう。

先ずはカメハメハ (Kamehameha) ハイウエイ。島々を統一したハワイ王国の祖、大王の名を冠した道路であることは一目瞭然です。ヌウアヌパリ (Nuʻuanu Pali) の北側から島の北端カフク(Kahuku)を廻り込んで、島の西側のノースショアを経由し島の中心部にあたるワヒアワ (Wahiawā) の町を通って、ホノルル空港近くまで戻ってくる幹線道路です。カメハメハは1795年にハワイ島からオアフまでの島々を統一し、1810年にカウアイ島とニイハウ島も手中に収め、ハワイ八島から成る王国を創り上げました。

ホノルル空港とダウンタウンの中間のカリヒ (Kalihi) 地区の山手には、大王の孫にあたるカメハメハ四世の名を冠した道路もあります。

カメハメハ大王(写真提供:ビショップ博物館)

ワイキキ(Waikīkī) とその周辺を散策みると、七代目の王カラカウア (Kalākaua) とその婦人のカピオラニ王妃 (Kapiʻolani) 、カイウラニ王女 (Kaʻiulani) や、ハワイが米国の準州になってから連邦議員として活躍したクヒオ王子 (Kūhiō) 等の王族の名がつけられた道が容易に見出せます。ワイキキのダイアモンドヘッド側にあるパオカラニ通りは、高貴な香水を意味する道の名ですが、このあたりにハワイ王国最後の女王リリウオカラニ (Liliʻuokalani) の館の一つがあったことを物語っています。

リリウオカラニ女王(写真提供:ビショップ博物館)

さて、1820年以降来島した宣教師が住むようになったオアフには、宣教師とその子孫の名が幾つか残されています。その一つが「ビンガム通り」です。1820年にマサチューセッツから来島した宣教師団は、ハワイ島のカイルアコナに上陸後二手に分かれて、ハイラム ビンガム牧師の一団は4月中旬オアフ島のホノルル港に到着し、ホノルルのダウンタウン、現在カワイアハオ教会の建つ場所でキリスト教の布教を始めます。ところが、ホノルルの地図で牧師の名前を探してみると、ダウンタウンとは全く違う場所に「ビンガム通り」があります。マノア (Mānoa) のハワイ大学に近い、日系人が多く住むモイリイリ (Mōʻiliʻili) 地区、ハワイ日本文化センターの裏手にある細い通りに、牧師の名前が残っています。通りをたどるとプナホウスクールと云う由緒ある私立校近く、H1フリーウエイのプナホウ通り出口まで伸びています。オバマ大統領の出身校でもあるプナホウ校は、元々ビンガム牧師がハワイアンの王家の子弟と、その後来島した宣教師達の子弟のために、カメハメハ三世の時代、1841年に開校した学校でした。

プナホウ通りのH-1出口付近の「ビンガム通り」の道路標示

再び、日本からの多くの方々が滞在するワイキキに目を向けてみると、プリンセス カイウラニ ホテルの先を、一方通行のカラカウア大通りから左折して始まるカイウラニ通りは、カイウラニ王女の像が置かれている所からクヒオ通りを抜けて山(北東)に向かって狭い道になり、アラワイ運河まで続いていきます。そこは旅行者が多く通る雑踏を離れ、アパート群に囲まれた静かなたたずまいへと変わり、カイウラニ通りに接する次の道はクレグホーン通り。彼女の父のスコットランド人、アーチボルド クレグホーンの名が付けられています。その次の小道はサモア語で作家を意味するトゥシタラ通り。1889年始めには、「宝島」等の小説を残したスコットランド人作家ロバート スティーブンソンが家族と共にカイウラニの邸宅に逗留していたことがありましたので、この名が付けられたのだと思われます。

カイウラニ通りとトゥシタラ通りの標識

1893年の王国崩壊の時は英国留学中だったカイウラニ王女は、王位を継承することも叶わず、帰国後23歳で亡くなりました。幼少のカイウラニが育った敷地には孔雀が飼われ、マノアの谷から貿易風が吹いてくる爽やかな、心地よい場所だったのでしょう。

英国留学中のカイウラニ王女(ビショップ博物館の展示物より)

今回紹介した通りの名は、ほんの一握りにすぎません。旅行中に見つけたオアフの地域や道の名から、ハワイの歴史と文化を思い起こしてみて下さい。

この章のポイント

  • ハワイ語で語り継がれてきた土地の名は、文字の無かった言語ゆえに、その物語が忘れ去られたり、「カオナ」と呼ばれる秘められた意味合いがあったりして、正確な意味が分からなくなっているものが多々あります。又、母音を伸ばしたり(カハコー)吃音(オキナ)になることにより意味が変わるハワイ語ですので、元々の意味がどれだったのか不明のものも多くみられます。しかし人名を冠した道の名からは、かなり正確な歴史がたどれます。

付帯的な情報・発展情報

「プレース ネームス オブ ハワイ」と云うハワイの地名を紹介する本があります。ハワイの書店では容易に見つかる本ですので、手に取ってみて気に入ったら愛書にして下さい。 “Place Names of Hawaii”、 出版は The University Press of Hawaii です。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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