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カメハメハ大王像
ハワイの象徴ともいえるカメハメハ大王像は1883年に建立された
- ホノルル・ダウンタウンのカメハメハ大王像はイオラニ宮殿の向かいに立つ
- 銅像は1883年、カラカウア王によって除幕された
ホノルル・ダウンタウンにあるカメハメハ大王像といえば、ダイヤモンドヘッドやワイキキビーチと並んで知名度、露出度の高い、ハワイ指折りの観光名所。まさにハワイの象徴ともいえるこの銅像は、ハワイ王国時代の1883年に建立されたものです。
銅像建立はイギリスのクック船長のハワイ発見(1778年)の100周年記念事業として企画され、除幕したのは王国7代目の君主、カラカウアでした(ただしクック船長来訪100周年になぜ、カメハメハ大王像が提案されたのかは不明です)。
銅像の凛々しい姿は、実はカメハメハ大王の似姿ではなく別人をモデルにしたもの。カメハメハ大王が死去したのは1819年と、写真が発明される20年ほど前ですから、写真は1枚も残っていません。ただ西洋人の手による肖像画が数点残っているだけでした。
そのため、カラカウア王の副官やマウイ島長も務めた王族の一人、ロバート・ホアピリ・ベイカーがモデルを務めることに。ベイカー氏は羽毛のケープにヘルメットという当時の王族の装いをしてカメハメハ大王に扮し、ポーズをとって写真に収まり、その写真を元に大王像が作られたのでした。
銅像を除幕したのは王国7代目の君主、カラカウア王
ちなみに銅像はアメリカ人彫刻家によってイタリアで制作され、パリで鋳造。ドイツから船で出荷されましたが船が沈没し、現在の銅像が2作目であることは、あまりにも有名です。1作目は後に海から引き揚げられ、カメハメハの出生地に近いハワイ島カパアウに設置されました。
またホノルルにある2作目のレプリカが、アメリカの首都ワシントンDCのキャピタルビル(日本でいう国会議事堂にあたります)のビジターセンターにも展示されています。
今や写真撮影のメッカともなっている大王像ですが、訪問の際は遠くから見学するだけでなく、ぜひ四方をグルッと回って身近に眺めてみましょう。大王像の土台の四辺には、その生涯の主な出来事を記した4枚の銅版画もはめ込まれており、一見の価値があります。銅版画に描かれた4場面とは、
正面:
「砕けたパドルの法律」の舞台(敵陣だったハワイ島ヒロ郊外の海岸で、襲った村人の反撃にあい、パドルが砕けるほどに殴られたカメハメハ。後に捕まった村人を赦免した際に言った「何人もその平和を理由なく侵されるべきではない。安全な生活を営む権利、自衛権がある」との言葉はその後、法律化され、今もハワイ初の人権保護法とみなされています)
銅像向かって右側:
イギリスのクック船長のレゾリューション号がハワイを訪問する場面(若き日の大王もレゾリューション号を訪れました)
銅像向かって左側:
カヌーの大軍団を眺めるカメハメハ(カメハメハ軍は800隻もの軍事用双胴カヌーを誇っていました)
背面:
カメハメハが一度に投げつけられた6本の槍を受け止める場面(イギリスのバンクーバー船長が実際に目撃し記録した故事によるもの)
銅像向かって右側に描かれた、クック船長のレゾリューショ
ン号がハワイを訪問する場面
せっかくカメハメハ大王像を訪れたら。ただその前で記念撮影するだけでなくじっくり見学し、カメハメハの生涯について学んでいただきたいと思います。
なお6月11日のカメハメハデー前後には、銅像にレイを贈るセレモニーも開催(その年により開催日は変動)。フラやチャントも捧げられ、カメハメハの生涯を祝います。その週末に行われるパレードは、銅像近くからワイキキに向けて出発します。
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森出 じゅんJun Moride担当講師
【インタビュー動画あり】
オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex