講座詳細
アラートン・ガーデン
カウアイ島南部、ポイプの近くにある庭園のような植物園。
カウアイ島南部、ポイプの近くにある庭園のような植物園は、ナショナル・トロピカル・ボタニカル・ガーデンの1つであり、広さは約100エーカー(約40万平方メートル)の広大な敷地は、「部屋」と呼ばれるものにより区切られ、海に面して静寂な空間が広がります。ここラーヴァイ渓谷は古代ハワイでアフプアア(昔のハワイ居住区域)であり、ハワイアンが生活をしていました。
アラートンガーデンの入り口
アラートン・ガーデンの歴史は、カメハメハ1世がハワイ諸島を統一し、ハワイ王国になった後、カメハメハ1世のアドバイザー、ジョン・ヤングの息子の土地になり、彼の死後、姪のカメハメハ4世の妻、エマ王妃に土地の一部が渡りました。 エマ王妃は4歳だったアルバート王子と夫のカメハメハ4世を続けて亡くし、悲しみを癒す為、ここアラートンの土地にある、クィーン・エマのサマーコテージにしばらく滞在しました。当時ローズアップル、月桂樹、マンゴー、竹、アダン、シダ、そして紫のブーゲンビレアなどを植えたと言われています。現在もその植物がこのガーデンに存在します。
1886年にマクブライド・ファミリーがエマ王妃より土地を購入し、タロや米を栽培しました。その後ココヤシ、ショウガ、プルメリア、そしてシダなど種類が増えて行きました。1938年、海に近い部分の土地をロバート・アラートンが購入。シカゴで建築の勉強をしていたロバートは、造園業を勉強し、後に養子としたジョン・グレッグと世界旅行に出向き、ガーデン内の調度品などを集めました。そして旅の終わりにカウアイ島のこの土地に戻り、庭園、噴水、ガゼボなどを作り、南アジアや太平洋の島からの植物などを植え始めアラートン・ガーデンの基礎ができました。1964年からは現在のナショナル・トロピカル・ボタニカル・ガーデンが運営しています。
アラートン植物園はトラムに乗り、海の方へと降りて行きます
アラートン・ガーデン内はツアーに参加しないと行けません。入り口からトラムに乗り、約15分渓谷を降りて行くと植物園に到着します。そこからはガイドツアーになり、約1マイル(約1.6キロメートル)の徒歩になります。大きな木の間から、優しい木漏れ日が差し、多くの植物やオブジェに囲まれ、植物園と美術館の庭園が交互に楽しめます。「サンクスギビング」の部屋と呼ばれる部屋は背の高い木に囲まれ、中の池にはエンジェル二人が優雅に遊び、奥には白いガゼボが佇みます。園内は静かな時間がゆっくりと流れます。
マーメイド・ファウンテンでは水が行ったり来たりと水の流れに特徴があります。簡単な仕掛け(板)ですが、人間の心臓の鼓動と同じテンポで流れる仕組みになっています。
ダイアナ・ファウンテンでは、ラティス・パビリオンが池に映っている姿を見るギリシャ神話の女神ダイアナの像があります。ここはラティス・パビリオンが池の上にきちんと映し出されるように計算され、建築されています。
サンクスビギングの部屋
ジュラシック・パークの映画にも登場した巨木モレトン・ベイ・フィグ・ツリーは(和名ではオーストラリア・ゴムノキ)かなり大きいですが、1940年代に植えられたので、樹齢はまだ70年くらいです。
植物の数も多いですが、このガーデンは特に絶滅危惧種の保護に力を入れています。アールラはキャベツのような形をした葉が特徴的ですが、カウアイ島とニイハウ島に生息するハワイ固有種で絶滅に瀕している植物の一つです。アラートン・ガーデンが属するナショナル・トロピカル・ボタニカル・ガーデンのチームがカウアイ島の北部、ナパリコーストの切り立った断崖絶壁を登り、そこで見つけたアールラから採取した種を育て、保護し今ではかなり増えました。
園内のナーサリーという呼ばれるビニールハウスの中では、温度や水分などがコントロールされ沢山の植物が保護されています。
モロキニエンシスはカホオラヴェ島とモロキニ島に生息する固有種で、こちらも大切に保護されています。
マーメイド・ファウンテインでは、
心臓の鼓動のリズムで水が流れます
ジュラシック・パークの映画に登場した
モレトン・ベイ・フィグ・ツリー
Allerton Garden
4425 Lawai Road
Poipu 96756
Tel: 808-742-2623
ガイドツアーの毎日催行:ツアーの時間は9時、10時、13時、14時、15時。
ツアーは約2時間〜2時間半。トラムに乗りますが行き帰りのトラムの時間は約15分です。徒歩は約1.6km。ツアー参加時間の15分前までにはビジターセンターに行く事。日本語ツアーは特に前もって要予約。
費用:大人一人(13才以上)$35,小人一人$15(8〜12才)、8才未満の子供はツアー参加不可。
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藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。