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所用時間5min
2014.05.12

王子

国を治める者、若い時に何を学んだかが国の将来を決定付ける。

  • 血統を重んじる小さな王国で、その将来を担う王家の若者への期待は、いやがうえにも大きなものになり、その教育が重んじられたと考えられます。


王子をハワイ語では「ケイキ アリイ」とか「カマリイ カネ」と云います。血統や階級を重んじるポリネシア社会の一つ、ハワイにあって、アリイ(首長)や王、その子息が社会的に重要な地位にあったことは、確かでしょう。

アロハフェスティバルのイベントより。左端がカマリイ カネ。

カメハメハ大王の息子、リホリホとカウイケアオウリの幼少時代はあまり知られていませんが、カメハメハ大王が島々を統一してから30年後、ハワイ王国三代目の王になったカメハメハ三世(カウイケアオウリ)は、英国、フランス等の列強から領土の受渡しを迫られる中、次世代の王になるべき者は諸外国に如何に立ち向かうかを知ることが重要と考え、英語教育を重視し、王族の子弟のための学校を創ります。学校は1839年に設立され、当初の名は Chiefs’ Children’s School 、1846年には Royal School と名を変え、三世の後を継いでハワイ王国の王、女王になる若き王子、王女をこの学校と寄宿舎で学ばせました。日曜日は、学校近くのカワイアハオ教会での礼拝に参加するのが王家の若者の慣わしでした。その結果、ハワイ王国は、大王の孫にあたるカメハメハ四世以降、英語を解する王の時代になっていきます。

 

カメハメハ系の王が世を去った後、六代目の王となったルナリロも、七代目のカラカウアも王子時代に共にロイヤルスクールで学んだ間柄です。カラカウアには弟が一人居ました。名はウイリアム レレイオホク王子 ( William Pitt Leleiohoku ) 。彼は現在のイオラニ高校の前身となる学校で学んでいます。カラカウアから、王としての後継者として指名されましたが、1877年 に23歳で若くして死去。その時点でレレイオホクの姉のリリウオカラニが、兄カラカウアにより後継者として新たに指名されました。

王子の頃のカラカウア

レレイオホク王子

王国時代に、叔母であるカピオラニ王妃の養子として育ったクヒオ王子 ( Jonah Kuhio Kalanianaole ) は、レレイオホクと同じ学校の卒業生です。王国崩壊後は、リリウオカラニ女王の復権に向けて蜂起した一団に加わり捕えられ、収監されてしまいますが、1900年にハワイが米国の領土になってからは共和党員となり、1903年から亡くなるまでハワイ準州代表として十回の当選を果たし、ワシントンDCで米国連邦議会下院議員として活躍しました。

王子は、それぞれの時代のリーダー的存在でもありました。

クヒオ王子

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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