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2014.10.20

ルース王女

カメハメハ一族の血を引く最も裕福な王女

カメハメハ1世の母方の曾孫である、ルース王女は本名をルース・ルカ・ケアノラニ・カウアナホアホア・ケエリコーラニといい、1826年2月9日にオアフ島ホノルルにて、父はカハライア・ルアヌウ(もう一人はマタイオ・ケクアナオア)、母はカメハメハ1世の孫娘であり、高位女性チーフカラニ・パウアヒとの間に生まれました。母はルース王女の生まれた時にすぐに亡くなりました。そして父が二人というのは今まで色々な説があるのですが、どちらも血のつながりのある父と言われています。母がなくなった事もあり、ルース王女はカメハメハ1世の一番力のあったカアフマヌ王妃の養女になり、育てられました。

ルース王女 Photo: courtesy of Kamehameha School Archive

ルース王女は1841年に一人目の夫、フリヘエ宮殿の建築者であったジョン・アダムス・クアキニの養子、ウィリアム・ピット・レレイオホク1世と結婚しました。レレイオホクの実父はカラニモク首相であり、実母はカメハメハ1世の孫娘、キリヴェヒでした。
レレイオホクの父クアキニは、フリヘエ宮殿をレレイオホクに受け継ぎましたが、その数年後レレイオホクは当時流行っていた麻疹の伝染病により他界しました。

 

ルース王女はレレイオホクとの間にジョン・ウィリアム・ピット・キナウという息子を生みましたが、1859年、17歳の若さで亡くなりました。
そして1856年には二人目の夫、アイザック・ヤング・デイヴィスと結婚しました。デイヴィスは身長が187cmの大きくハンサムな人でした。1862年にデイヴィスとの間にケオラオカラニ・デイヴィスという息子が生まれましたが、病気のため、わずか1歳と6ヶ月でこの世を去ってしまいました。それも原因の一つでしたが、あまりうまくいっていなかった結婚生活は1868年に離婚という形で終わりました。
その後 小さい時より皇太子であったレレイオホク2世を養子に迎えましたが、 1877年に23歳の若さで亡くなってしまいました。
カイウラニ王女のゴッドマザーでもあり、いつかハワイ王国の女王になるカイウラニ王女を見守り、慕われていましたが、カイウラニ王女16歳の時にルース王女は亡くなりました。

 

ルース王女はハワイの文化や風習をとても大切にし、英語を理解できても、ハワイ語しか使わなかったと言います。アメリカから宣教師が来布しても、ハワイの神々を敬ったと言います。カメハメハ一家の遺産や土地がたくさん手に入りましたが、贅沢な生活はしなかったと言います。
当時のハワイでは最もお金持ちの女性となりました。カメハメハ・スクール建設にも寄付をして貢献しました。
一番目の夫のクアキニが亡くなった後は、フリヘエ宮殿を含んだ、すべての財産はルース王女に渡りました。が、その宮殿には住まず、その裏に頑丈な草葺の家を建て寝室にし、生活をしたと言われます。フリヘエ宮殿は主に訪問客をもてなし、その人たちを泊めるために使用しました。カメハメハ4世とエマ王妃はよくこの宮殿に来たと言われ、ルース王女は喜んで接待したと言います。

ルース王女が生活をしていた宮殿の裏に作られた頑丈な草葺の家 photo from Treasures of the Hawaiian Kingdom

ビジネスの面でも、とても長けていて、サム・パーカーやアンダーソンライマンなどを雇い、新しい世の中のルールや土地の上手な使い方等を学びました。たくさんある土地を売るのではなく、長期のリースにし、新しくハワイに移住して来た人たちが農業をしやすくした上、王女自身にも安定した収入があるというビジネスをしました。

 

ビジネスだけではなく、ハワイの政治でも活躍をしました。1847年にはカメハメハ3世の枢密院に任命され、その後1855年から1857年までは貴族院を勤め、1855年から1874年にかけ、ハワイ島の王室知事に任命されました。1874年にはカメハメハ1世とは血縁のないカラカウア王が立法府選挙により王に選ばれた事を機に、ルース王女は皇族ではなくなり高位女性チーフとなりました。

左がサム・パーカー、中央がルース王女、
右がジョン・カミンズ。
二人とも王室のシンボルである鳥の羽で出来たケープを付け、
ルース王女の高貴な位を示すカヒリを持っている。
Photo by the Hawaiian Monarchy

1883年カラカウア王が建築したイオラニ宮殿にも金銭的にも協力をしましたが、体調が優れずにハワイ島のフリヘエ宮殿に戻りました。そしてその土地で57歳の生涯を終えました。その後遺体はホノルルに戻り、王族一家の墓であるロイヤル・モザリウム・マウナアラに埋葬されています。
ルース王女が持っていた土地には、ダウンタウン、ヒッカム空軍基地、ホノルル国際空港の一部、モアナホテル、プリンセス・カイウラニホテル、ロイヤルハワイアンホテルなど、たくさんの土地がありました。

 

ルース王女には逸話もあります。1880年にはハワイ島のマウナロアの大きな噴火があり、その噴火は6ヶ月以上も続いたと言われます。その際、火の女神であり、噴火を促していたマダム・ペレに祈りや、チャント、捧げ物などで交渉し、噴火を辞めさせ、ヒロの街を救ったという話は有名です。

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フリヘエ宮殿

  • 藤原 小百合 アン
    Anne Sayuri Fujiwara
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。

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