講座詳細
マリアン・コープ尼(聖マリアン)
モロカイ島のハンセン病患者救済に半生を捧げた聖女
- 2012年にバチカンで聖人の列に加わった。
- ハワイゆかりの聖人は、ダミアン神父に続き2人目。
- モロカイ島のハンセン氏病隔離施設で、ダミアン神父の死後、跡を継いだのがマリアン尼だった。
2012年に聖人に連なった、ダミアン神父の後継者
マリアン・コープ尼は、聖フランシスコ修道会所属の聖職者。ニューヨークから1883年にハワイ入りし、1918年、80歳で亡くなるまで、ハンセン病患者の救済に尽くしました。同じくハワイでハンセン病患者救済に生涯を捧げ、自らもハンセン病で亡くなったダミアン神父(聖ダミアン)の最期をモロカイ島カラウパパのハンセン病患者隔離施設で看取ったのも、マリアン尼でした。2012年には、ダミアン神父に続いてローマ法王により聖者に認定され、今では聖マリアンとして知られます。
ホノルルのダウンタウンのアワ・レディ・オブ・ピース大聖堂に
飾られたマリアン・コープ尼の肖像画
マリアン尼は1838年、ドイツで、バーバラ・クーブとして生を受けました。2歳の時に、家族とともにニューヨークに移住。24歳でニューヨーク州シラキュースの聖フランシスコ修道会に入会しました。その際マリアンとの名を授けられ、ドイツ語の姓Koobをアメリカ風の綴りCopeに改めて、以来マリアン・コープ尼と呼ばれています。
ニューヨークの聖ジョセフ病院で要職にあったマリアン尼が、そのほか6人の尼僧の責任者としてハワイに赴いたのは、1883年。王国政府とハワイのカソリック教会からの要請を受けてのことでした。当時ホノルルのカカアコにあったハンセン病患者の一時収容施設を管理する、というのがその使命でした。
当初マリアン尼は、6人の尼僧の任務が落ち着いたらすぐ、ニューヨークに戻るつもりだったとか。トランクさえハワイに持って来なかったそうです。ですがカカアコ施設の状況はじめ、ハワイにおけるハンセン病患者の境遇のひどさに驚き、ハワイに残る決意をしたのでした。
たとえばカカアコ施設では老若男女が一緒に収容されており、しかもひどく不衛生でハエが飛び回る状態。女性が襲われる事態も起きていたことから、マリアン尼は男女の病棟を分けることを政府に提案し、施設の徹底的な清掃から作業を始めました。ところがハワイ王国政府総理大臣で保健担当大臣でもあったギブソンは、「尼僧の仕事は患者の世話であって、決定権など何も持たない」とその提案を拒否。マリアン尼らと対立していた施設の責任者を擁護する始末でした。
マリアン尼の遺骨が安置されているアワ・レディ・オブ・ピース大聖堂
そこでマリアン尼は、上記の提案に加え施設責任者の更迭も要求し、「要求が受け入れられない場合、尼僧は全員、ニューヨークに帰る」と談判。その結果、全ての要求が受け入れられたといいます。この逸話から判断して、マリアン尼は慈愛に溢れた献身的な尼僧というだけでなく、強い意思を持った有能な人だったことが伺えます。
ダミアン神父の最期を看取る
一方、モロカイ島カラウパパにあったハンセン病患者隔離施設では、1873年から、ベルギー人のダミアン神父が700人の患者の面倒を看ていました。ですがダミアン神父自身も同病に倒れ、死期の近づいていた1888年。ダミアン神父の要請を受け、マリアン尼らはカラウパパへと向かいます。カラウパパの患者のうち少女100人の世話をするというのが、本来の任務でした。ですが1889年、ダミアン神父が亡くなってからは、その後継者となって少年達の世話もするように。外部からさらなる手助けが到着する1895年まで、それは続きました。
マリアン尼の遺骨を納めたコアウッドのボックス
マリアン尼はその時57歳でしたが、結局、故郷ニューヨークに戻ることはなく、生涯をカラウパパで過ごしました。1918年、80歳で気高い生涯を閉じ、そのままカラウパパに埋葬され、モロカイ島の住民をはじめハワイ中の人々に敬愛されています。2012年10月にはバチカンで聖人の列に加わり、その列福式には、ハワイからも多数の人々が出席しました。
なおマリアン尼の遺骨は2005年にニューヨークのシラキュースに戻されましたが、2014年7月、再度ハワイへ。遺骨は盛大な儀式を持って迎えられ、今ではマリアン尼ゆかりのホノルル・ダウンタウンのアワ・レディ・オブ・ピース大聖堂に、安置されています。
付帯的な情報・発展情報
アラモアナ公園に近いケワロ湾公園には、マリアン尼の銅像があります。またマリアン尼の遺骨が安置されているアワ・レディ・オブ・ピース大聖堂は、ホノルル・ダウンタウンのフォート・ストリートに建っています。
関連コンテンツ
⇒ダミアン神父(聖ダミアン)
⇒アワ・レディ・オブ・ピース大聖堂
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森出 じゅんJun Moride担当講師
【インタビュー動画あり】
オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex