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所用時間5min
2015.02.23

現代サーフィンの父、デューク

ここがポイント

・サフィンはハワイがルーツ
・世界に広めたのはデューク・カハナモク

夏のオアフ島では、島の南側に面している海、つまりワイキキ周辺がサーフィンのシーズンです。
この時期はうねりが入るとオーバー・ヘッドの波もよく立つので、ワイキキの海にもたくさんのサーファーが集まってきます。 ワイキキはいつごろからサーフィンのスポットとして人気があったかご存知ですか? ハワイの島々がキャプテン・クックに発見された18世紀にはすでに、ハワイアンたちが男性も女性も、木の幹から削りだした板を使って波に乗っていたと、当時の西洋人の記録に残されていますから、少なくともハワイ人は、数百年もの波乗りの歴史を持っていることになります。

 

ワイキキの波は比較的緩やかに立つことと、ロングライドを可能にする長い波が特徴。そんなコンディションの良さから、昔は王族や貴族階級の人たちの波乗りスポットだったことでも知られています。あのカメハメハ大王もワイキキでの波乗りを心から愛していたと伝えられています。 そんなサーフィンを世界に広めたハワイアンのサーファーがいました。それが、ワイキキのビーチに銅像として立っているあの人です。


Duke Kahanamoku
1890年8月24日生まれ。1912年五輪水泳自由形で金メダル獲得。ハワイにサーフィン人気を復活させ、アメリカ、オーストラリアに広める。後年は映画俳優、ホノルル保安官、親善大使。1968年1月22日没


サーフボードを背にして立つ銅像は、「現代サーフィンの父」として知られるレジェンド・サーファー、デューク・カハナモク。1890年生まれの彼が育ったのは、ハワイ王国の時代が終わり、西洋化の波にのまれていった20世紀初頭のハワイ。ハワイの言葉や信仰、価値観、伝統文化を守っていくことが困難な時代でした。フラやサーフィンの文化は隅へ追いやられ、ハワイの人々はハワイ人としての誇りさえ失いかけていました。そんな時代に現れたのが、ワイキキの海で育った純血ハワイ人の国民的スポーツマン、デューク・カハナモクでした。彼は1912年のオリンピック水泳自由形で金メダルを獲得。ハワイの人たちにとってのヒーローになりました。その後も世界を舞台に活躍する彼は、愛するサーフィンを行く先々の海で実際にやってみせながら広めていきます。デュークがアメリカ本土やオーストラリアで蒔いたサーフィンカルチャーの種は、見事に花開いて、それが50年代以降から今につながる世界的なサーフィンの広がりの原点になりました。 デュークがいなかったら、サーフィンは過去の遺物として、永遠にハワイや世界の海から消えていたかもしれない。彼が「現代サーフィンの父」と呼ばれる所以です。



 

生粋のウォーターマンだったデュークの有名な言葉です。
「私の家系は、自分たちが海から来たと信じています。そして海は、私たちが帰る場所でもあるのです。」

元祖ワイキキ・ビーチボーイだったデュークは、水難事故から人々の命を救ったり、ハワイ親善大使として活躍したアロハ・スピリットそのものの人として、今もハワイの人々から尊敬を集めています。そんな彼をたたえるフェスティバルがあるのをご存知ですか?

フェスティバルの名前は「Outrigger Duke's Ocean Fest」。 デュークの誕生日、8月24日の週に毎年開催され、サーフィンの大会をはじめさまざまな催しが行われます。

http://www.dukesoceanfest.com/

  • よしみ Nui だいすけ
    Daisuke Yoshimi
    担当講師

    【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
    facebook: https://www.facebook.com/NuiDaisuke
    公式HP: http://www.yoshimidaisuke.com/

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