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最も古いフラの記録~カラカウアのフラ復活
現代に伝わるフラは、どんな歴史を辿ってきたのでしょう。
最古の記録を参照してみよう。
- 最古のフラの記録はキャプテンクックのハワイ発見と重なる
- ハワイ王国時代、フラが禁じられた時代があった
- 現代にフラが伝えらているのは、カラカウア王のおかげ
ハワイを訪れ、そこで見たフラについて書かれた記録のなかで歴史上最も古いもののひとつ、キャプテン・クックのディスカバリー号船医デビッド・サミュエルが1779年1月25日付のジャーナルに当時のフラについて書き残しています。その日サミュエルは数人の連れとの夕刻時の散歩の途中で、これまで見たことがなかった現地人のエンターテイメントに遭遇したのでした。
「それはドラムの音に合わせて女性が踊るというものだった。小さな円のなかにマットをひいて座っていた少女は、私たちを見るとそのマットに座るよう勧めた。
衣装をまとった一人の女性が歩み出て円のなかに入った。鳥の羽で作ったレイを頭にかぶり、大きな生地が腰のあたりで巻かれひざのしたあたりまでおおっていた。犬の歯を連ねたクペエと呼ばれるものが彼女のひざ下に巻かれていて、足の揺れに合わせて音が鳴るのだった。
円の反対側にはひょうたんの殻を三つつなぎ合わせた打楽器を持った男がいた。彼はその打楽器の底を地面に打ちつけながらゆっくりと歌を歌った。女性のダンサーは手を振り、身体を動かし、さまざまなモーションをつけた。彼女は時折まっすぐと空を見つめるような体勢をとるのだった。ゆっくりとステップを踏み、円に沿って回ったりしながらドラマーの歌に合わせて歌った。彼女の踊りは15分ほど続いた。以前見たインディアンの踊りよりもずっとすばらしいものだった。」
資料:The Art of the HULA
西洋との接触以前のハワイ社会で、生きた芸能として、そして儀式的役割をもって機能していたフラは、何世紀にも渡ってファミリー・トラディションとして代々受け継がれていました。各島に、各地域に、フラ一家が存在していました。他の文化的専門分野と同じように、フラを継承する家系というものが存在したわけです。何世紀にも渡って代々引き継がれていたフラでしたが、キャプテン・クックによる「発見」の1778年以降、フラは直接的そして間接的な要因によって衰退の一途をたどることになります。
理由のひとつとしてハワイアン人口激減があげられます。
キャプテン・クックがハワイに訪れたとき推定30万人といわれたハワイアンの人口は、約1世紀後カラカウアが王位に就いた1874年には約5万人にまで激減したとされます。主にアメリカからの植民の増加や捕鯨船の寄航によって数々の伝染病がハワイにもたらされた結果の大量死でした。ハワイアンの人口は6分の1になってしまったのです。
社会の価値観の激変も大きな理由でした。
1819年、ハワイアンの社会基盤となっていたカプ(タブー)・システムが廃止され、西洋的な政治・経済・習慣のシステムに移行していきます。合わせてハワイアンの先住民族的価値観と精神性は崩壊していきます。1820年に始まるアメリカ宣教師による布教活動がそれをさらに後押しします。祭壇であるヘイアウは取り壊され、カフナと呼ばれた聖職は廃止され、ハワイ的伝統や信仰は否定され、邪教として排斥されたのです。
宣教師にとってフラは「野蛮」で「みだら」なものとして格好の攻撃対象となり禁圧されはじめました。
1830年には、キリスト教の洗礼を受けたクイーン・カアフマヌによって公共でのフラ・パフォーマンス禁止の条例が出されました。フラを継承するクムフラは、伝染病による死をまぬがれたとしても、公然とフラ教育やフラ・パフォーマンスを行えない状況に追い込まれたわけです。さらに多くのハワイアンは自らの民族的伝統や神聖観を否定され、ハワイアンとしての精神性の土台を失ってしまいつつありました。フラを学ぶ生徒の数も少なくなったことでしょう。王朝での祝宴など限られた場所でフラ・パフォーマンスが行われることはありましたが、大衆のフラはすっかり影を潜めてしまったのです。
フラを復活させた国王カラカウアの肖像画@イオラニ宮殿
メリー・モナーク(陽気な君主)と呼ばれたカラカウアがハワイ王朝の君主となっていた期間(1874年から1891年)はハワイのルネッサンス、古典文化復興の時代と呼ばれます。失われていくハワイ的精神を蘇らせるために君臨した彼のおかげで、それ以前50年ほどの間抑圧され続けた、フラをはじめとしたハワイの伝統文化が再び見直され公共の場で日の目を見るようになりました。
禁圧の時代を生き抜き伝統文化を守ってきたクムフラたちの存在のおかげで、残存する古代の唄と踊りは消滅の危機を逃れました。多くのものを失いはしたものの、このとき掘り起こされ保存された唄と踊りがあったからこそ現代に伝わるフラ・カヒコが生き長らえたのです。
カラカウアの時代には、新たにウクレレなどの楽器を取り入れた新しいレパートリーも数多く作られるようになり、伝統的古典スタイルのフラとは違う別の流れとなるフラ・アウアナが生まれました。
カラカウア王が自ら先頭に立って行った、失われた文化遺産回復の試みによってフラは公共の場に戻り、生きた芸能として花開くことになりました。
1886年、カラカウア王50歳の誕生式典が行われたイオラニ宮殿での盛大なフラ・パフォーマンスは、文化復興のピークに達した瞬間としてハワイアンの記憶に刻まれています。
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よしみ Nui だいすけDaisuke Yoshimi担当講師
【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
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