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リケリケ王女
ハワイ王国第7代カラカウア王、そして第8代リリウオカラニ女王の妹、リケリケは本名を、ミリアム・カピリ・ケカウルオヒ・リケリケといい、1851年1月13日にオアフ島ホノルルにて、父は高位酋長シーザー・カルアイク・カパアケア、母は高位酋長アナレア・ケオホカロレの間に次女として生まれました。両親どちらも 高位酋長ケポオカラニ(カメハメハ1世の従兄弟)の子孫です。
生まれつき、体が弱かったために、生まれてまもなくハワイ島のコナのハナイ・ファミリーに預けられましたが、6歳の時に再びホノルルに戻ってきました。兄のカラカウアがハワイ王国の王に選出された時(1874年)にはカラカウア王朝の王女となり、弟のレレイオホク王子が王位継承順位第1位、姉のリリウオカラニ王女が第2位、そしてリケリケ王女は第3位でした。弟のレレイオホク王子が23歳で亡くなったため、リケリケ王女26才の時には王位継承順位第2位となりました。兄弟と同じように皇族のためのロイヤル・チルドレンズ・スクールに通い、王族にふさわしい教育を受けて育ちました。
1880年代のリケリケ王女: photo by William J.J. Photo Credit: Hawaii State Archives
1870年、リケリケ王女は19歳の時にすでに35歳になっていたスコットランド人のビジネスマン、アーチボールド・クレッグホーンと姉、リリウオカラニ王女と夫ジョン・オーエン・ドミニスの住居、ワシントンプレイスにて結婚しました。スコットランド人の夫との結婚は簡単なものではなく、王女はハワイ島のコナにしばらく行きました。その間ハワイ島の知事として1879年3月から1880年9月まで仕事に就きました。
その後オアフ島ホノルルに戻り、1875年には娘のカイウラニ王女を生みました。その後はサンフランシスコ行きの船の中で、流産したため、子供を産めない体になってしまいました。
娘のカイウラニに生まれてからしばらくし、ワイキキの10エーカーこの土地に、夫がヴィクトリアン調の2階建ての家を建築し、家族で移り住みました。リケリケ王女が「アイナハウ」とこの土地に名前を付けたといいます。アイナハウは「ハウツリーの土地」、「涼しい土地」の意味があります。
アイナハウのドライブウェイは現在のプリンセス・カイウラニ・ホテルの位置と言われ、背の高いヤシが植えられ、土地内には500本ものヤシがあったと言われます。また、水仙がたくさん咲く池があり、色とりどりの花や、カイウラニ王女の大好きだったクジャクが50羽いたと言われます。
夫のクレッグホーン氏は園芸にとても興味があったため、世界中から植物を輸入し、この土地に植えました。中には、マンゴー、ティーク、シナモン、樟脳の木、デートパーム、多種のハイビスカスなどもありました。ハワイで最も美しい庭園とまでも言われました。1975年大きなバニアンツリーを植えました。
ワイキキにあったアイナハウのヴィクトリアン調の2階建ての家。Photo Credit: Princess Victoria Kaiulani by Stan Cohen
リケリケ王女も兄カラカウア王、姉リリウオカラニ女王と同様、音楽にたけていたので、代表的な曲には「アイナハウ」という曲があり、それ以外にも作詞作曲を手がけています。楽器を弾くこともでき、フラの楽器でもあるカエケエケ、プイリ、ウリリ、カラアウ、イプ、ウリウリなども演奏し、姉リリウオカラニと一緒に演奏会のスポンサーをしたり、音楽イベントなどを開催したりと音楽に対して、とても熱心でした。音楽一家は「ハワイのファースト・ミュージシャン・ファミリー」と言われていました。
アイナハウの家には、各国からのたくさんの客人も招待し、いつも賑わっていたと言われます。また、流行にもとても敏感だった王女は、パリから流行のドレスなどを購入していたと言われます。
そして、突然1887年2月2日、リケリケ王女は36歳の若さでこの世を去りました。娘のカイウラニ王女がまだ12歳の時でした。死因としては、ハワイ島の火の女神ペレの怒りに触れた、流産のため、または食事をすることを拒んだなど予測されていますが、本当の事は不明です。
参考資料:
The Hawaiian Monarchy, by Allan Seiden Mutual Publishing
Princess Victoria Kaiulani and the Princess Kaiulani Hotel in Waikiki, by Stan Cohen
Kaiulani – Crown Prince of Hawaii, by Nancy and Jean Francis Webb
1870年代の写真。後列左からジョン・O・ドミノス、アーチボールド・クレッグホーン。前列左からリリウオカラニ、リケリケ、エリザベス・サマー。Photo Credit: Hawaii State Archives
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藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。