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所用時間5min
2015.03.02

バンクーバー船長

クックに続き北太平洋探検に功績のあった、もう一人の英国海軍船長

  • バンクーバー船長のハワイ滞在は、クック船長と同様、ハワイの歴史にとって画期的な出来事でした。しかし、英国による太平洋探検の主たる目的はもっと他にありました。そして、18世紀末の中国との毛皮の交易や、英国とスペインとの領有権争いを巡っては、カナダ、バンクーバー島の「ヌートカサウンド」が、当時の歴史を紐解く一つのキーワードになります。
     
  • バンクーバー船長は、カメハメハに対し武器の供与はしなかったと伝えられています。
    英国国旗にアイルランドのデザインが組み込まれるのは1801年のことです。従って、バンクーバー船長がハワイ島に立てた旗は、現在の英国国旗ではなく、ユニオン旗にアイルランドのセント パトリック クロスが描かれる前のものだったのでしょう。

 

その名はGeorge Vancouver。1757年6月にイングランドのノーフォーク、キングスリンで生まれ、13歳の時英国海軍に入隊。クック船長の第2回と第3回の太平洋探検航海に同行していますので、1778年にハワイ(サンドイッチ諸島)を発見した際の一員でもありました。
クック船長をハワイ島ケアラケクア湾で失った後に、再度北太平洋の探査を行いながら英国に帰還してから10年の後、バンクーバーは再度太平洋探検の命令を受けます。
1791年4月1日、今回は船長としてディスカバリー号と小型の僚船チャタム号を率いて英国を発ち、喜望峰からオーストラリア、ニュージーランド、タヒチを経て、ハワイへと向かいました。1795年9月に英国に帰還するまで、この太平洋探検は4年余の長きに及びましたが、その間、3回ハワイに滞在し、若きカメハメハとも親交を深めました

帰国後のバンクーバー (ビショップ博物館の展示物より)

クック船長が命を落として14年が経った1793年初め、バンクーバー船長はケアラケクア湾の殺害現場を訪れています。このハワイ島滞在中にカメハメハや、その妻の一人カアフマヌにも会い、船長は翌年もハワイに来ることを約束して次の航海に出ていきました。
一年後、バンクーバーがハワイ島に戻ってきた時、カメハメハとカアフマヌの仲はギクシャクしており、船長がディスカバリー号船上で両者を取り成したと云うエピソードも残されています。
カメハメハはバンクーバーから、領土の統治の仕方や諸外国との接し方など多くを学びます。その結果、自分の土地は英国の庇護のもとに在るべきとも考えたようです。ディスカバリー号の船上に集まったアリイの前でその重要性を語った逸話も残っています。1795年2月には海岸に英国旗が掲揚され、ディスカバリー号から祝砲が撃たれ、バンクーバー船長の一行は米北西海岸へと旅立っていきました。

 

バンクーバーのハワイ滞在は、クック同様、どれも冬の寒い時期でした。つまり北太平洋探検の合間にハワイを越冬地として選んだ結果でもあります。バンクーバーの探検の目的は、太平洋の島々の探査もさることながら、クック船長と同じく北米西海岸の精密な調査でした。そして最も重要な任務がもう一つありました。それは、スペインとの間の長年の紛争の種であった北米大陸西海岸の領有権につき、現在のカナダ、バンクーバー島の西側に在る入江、ヌートカサウンドでスペイン代表と交渉して決着をつけることでした。
船長はその任務を無事果たし、且つ南北アメリカ太平洋岸を調査し、とりわけ米北西海岸ではクックを凌ぐ精度の高い海図を完成させたのでした。

 

当時のヌートカサウンドの様子(ロイヤル ブリティッシュコロンビア博物館の展示物より)

現在のヌートカサウンドの一部

さて、ハワイ州旗には、ハワイ王国の国旗が現在もそのまま使われています。現在のデザインになったのはカメハメハ三世の時代ですが、そもそもカメハメハ大王がバンクーバー船長から授かった英国旗が基になったと云われています。その後、ハワイ王国に他国の交易船も入港する中で、独自の国旗制定が求められ、何度か替えられた後に、ユニオンフラッグにハワイ八島を意味する白赤青の八本の線が入った、現在もハワイ州旗として使われている旗のデザインに落ち着きました。
バンクーバー船長が及ぼした影響が、今もハワイに残されている一つの象徴とも云えます。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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