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ハワイアンキルトの歴史
ハワイの伝統アート・ハワイアンキルトの歴史
ハワイ諸島(当時サンドイッチ諸島と呼ばれていた)がイギリスのキャプテンクックにより発見されたのが1778年。紀元後400年くらいにはすでにポリネシア人がハワイには来ていたと言われます。その時、カヌーでハワイに渡り、伝統植物のウル(パンノキ)、ココナッツ、タロイモなどを始め、犬、にわとり、豚などを持ち込んだとされています。
そして1820年代に、ニューイングランド州からキリスト教を広めるため、宣教師の来布が始まり、その妻たちがハワイの女性たちに裁縫を教え、ハワイでも洋服を縫うようになりました。その時にアメリカ本土ではすでに作られていたパッチワークキルトもハワイにも紹介されました。生地が存在しなかったハワイでは、裁縫が初めて伝えられたという説もありますが、ハワイではすでに、カパ(タパ)というマルベリー(ワウケ)の木の皮で作られた生地のようなものを、洋服や布団代わりに使っていました。
カパは木の皮を棒のようなもので、たたき、なめし、模様や色を付けたもので、鳥の骨やハワイ固有の堅い木で作られた針を使用し、縫われていたと言われています。縫うという技術は存在していたかもしれませんが、生地を縫う裁縫は初めてだったと言えるでしょう。
カパは今でも大きなハワイアンキルトを指す言葉としても使われています。
カパ
アメリカ本土では、すでに存在していたパッチワークキルトとは、小さな端切れを、幾何学模様につなぎ合わせるピースワークに、綿(キルト芯)と裏地を付け、3層をキルティングしたものです。ハワイには生地が存在しなかったので、ピースワークというこのキルトはあまり発達せず、反対に大きな生地をそのまま模様にカットして下地の生地に縫い付ける、アップリケキルトが主流になっていきました。
1枚の生地を8つに折り、デザインを8枚一緒にカットして広げる、シンメトリー(雪の結晶のような模様)のデザインが使われました。これがハワイアンキルトの原型であるかどうかの真相は、100%確かな文献がないため、言い切れないのが実情です。
アメリカ本土の影響も可能性としてはありますが、ポリネシア人もかなり昔からハワイを行き来していたということで、タヒチで作られているティファイファイという伝統工芸から伝わったという可能性もあります。ティファイファイはハワイアンキルトのデザインに類似していることから、タヒチ、または他のポリネシアの島々から原型が入ったのではないかというのも有力な説です。タヒチのティファイファイは気候ゆえ、ハワイアンキルトのように綿(キルト芯)が付いてないので、アップリケの布のみということになります。
女性が集まってキルトをしている様子
Photo provided by Hawaii State Archive
1820年以降、たくさんの生地がハワイには入って来ました。木綿、絹、ウールなどが主でしたが、ハワイアンキルトには木綿がよく使われました。プリント生地の多様な色などがあまりなかった時代だったので、ハワイアンキルトとして使われたのは、白地の木綿に、ターキーレッドと言われた真紅の赤、紺、オレンジ、黄色などが使われました。また、下地にはシーツなどが使われたとも言われています。
大きな1枚の生地を8つに折り、その上にデザインを描き、8枚同時にカットしてデザインにする方法は、紙で作る雪の結晶のデザインそのものでした。当時アメリカ本土で、これをペーパーカットと呼び、ペンシルバニア州やニューイングランド州で流行っていました。
ニューイングランド州からの宣教師達により、原型が持ち込まれたのかもしれません。
パッチワークキルトとアップリケキルトのコラボレーションとも言える1860〜1870年代に作られたキルトが、現在もホノルル美術館などには保存されています。
伝統的な植物のデザインの古いハワイアンキルト(1930年代)
Photo provided by Hawaii State Archive
アップリケ終了後、綿(キルト芯)と裏地の3枚を付け、アップリケのデザインに沿ったおとしキルトが施され、その後デザインの上に詳細にキルティングを施すデザインキルトをします。そして最後にデザインの周りを輪取るように幾重にも続くエコーキルトを縁までし完成します。エコーキルトは、ハワイが海に囲まれた島であり、波の波紋を表現したと言われています。幾何学の四角や三角、ひし形などの直線的なキルトラインから、柔らかい、終わりのない波のようなエコーキルトへと移行していった過程は、ハワイの土地柄に合ったキルトに進化したのではと言われています。
ハワイアンキルト作りはすべて手作業なため、製作に長い日数がかかります。一針一針縫う作業は、昔も今も変わらず、キルターたちの愛情と根気強さが、ハワイアンキルトにはっきりと表現されています。手法の細かさからも手芸よりもアートと表され、日常に使うものとしてではなく、特別な日のベッドカバーや、壁掛けなどの美術品として評価されています。
今も昔も伝統的なハワイアンキルトは白地に赤が多い
シンメトリーデザインのハワイアンキルトの他に、フラッグキルトというハワイの州旗のデザインを入れたキルトもあります。1893年ハワイ王国が崩壊し、リリウオカラニ女王が王権を奪われた時期に、ハワイの国民が自らの国のためと、自分達のアイデンティティーの為に作り始めました。
クィーンズ・キルトは、リリウオカラニ女王がイオラニ宮殿に幽閉されている時に作り始めたキルトで、クレイジーキルトという種類です。
現在でも昔と変わらず、伝統的なハワイアンキルトは、シンメトリーデザインの無地2色使い、植物のモチーフがデザイン、エコーイングキルトがデザインの周りに幾重にも施されています。また、現代風にアレンジされたコンテンポラリーキルトも作られています。
消えゆくアートと言われていたハワイアンキルトも、1970年代、ニューヨークでのキルト展を皮切りに、一躍世界的に有名になり、今では世界のアートの一つとして認知されています。
参考資料
Hawaiian Quilt Masterpieces, by Robert Shaw Hugh lauter Levin Associates, Inc.
Hawaiian Quilts Tradition and Transition, by Kokusai Art
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藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。