講座詳細
ハナとリンドバーグの墓
マウイ島最東端の町「ハナ」
- ハレアカラ山の東、貿易風がもたらす雨を集めて流れる清水が豊富で、外海から守られた湾に位置するハナは、ネイティブ ハワイアンにとって恰好の居住地の一つでした。
- ハナは、都会の喧騒を忘れさせる、しっとりとしたたたずまいの町です。曲がりくねった細い道がハナまでの唯一の陸路ですが、町の近郊にはプロペラ機が離着陸出来る小さな飛行場もありますので、カフルイ空港から、右手に広がるハレアカラ山麓の光景を楽しみながら、空路で入ることも可能です。
マウイ島の中心地カフルイから東へ。ハナ (Hāna) までの道は、砂糖産業が隆盛を極めていた頃の光景を思い起こせる町パイア (Pāʻia) や、上級のウインドサーファーお気に入りのスポット、ホオキパ ビーチ (Hoʻokipa Beach) を通り過ぎると山間に入り、だんだんと狭くなります。その先はハレアカラ山 (Haleakalā) の東の山麓を回りこむように、細く曲がりくねった道が、うっそうと茂る木々の間に延々と続き、雨を集めて流れ落ちる谷合の清流の上を渡る一車線の橋が随所に現れます。
ハナに向かう細い道に架かる一車線の橋
訪れる観光客の数もそう多くないマウイ島最東端のハナの町ですが、ハワイの歴史には重要な場所の一つです。両岸の小高い岩山に守られた黒っぽい砂の湾は、大海からの大波を寄せ付けず、その海岸から山に向かっての地域は、古くからネイティブ ハワイアンの人々が生活を営んでいました。カメハメハ大王の妻の一人「カアフマヌ」はハナの生まれです。1778年に英国のクック船長がハワイの島々を発見した頃、ハナの地域はマウイの王であるカへキリ (Kahekili) の影響下にはなく、カメハメハの叔父にあたるハワイ島のカラニオプ王(Kalaniʻōpuʻu) の支配するところでした。この下でハナ地区を支配していたアリイが、カアフマヌの父ケエアウモク (Keʻeaumoku) でした。
ハナ湾のようす(ハナホテルのフロントに飾ってある絵画より)
ハナの一角、ハレアカラ山麓に広がる広大なハナランチの放牧地の前に、庭の中に幾つものコテージが建てられている静かで趣のあるホテルがあります。その門の近くに、珍しい鉄製の大きな釜が飾られています。クジラの脂を煮詰めて油をとるために捕鯨船の甲板で使われていた釜です。ハワイに初めて捕鯨船が入港したのが1819年、そして1859年にペンシルバニアで石油が発見されてから捕鯨はだんだんと廃れていきますので、これは19世紀中頃にハワイに来航していた捕鯨船の釜なのでしょう。
ハナホテルの入り口に置かれている鉄製の釜
さて、ハナから西に続く道は更に細くなり、その又先には四駆でしか走れない未舗装の道がハレアカラ山の南側を通り、西側の山麓のウルパラクアへと延々とつながっています。
ハナの町を通り過ぎ、密林や滝の間を更に南西に13キロほど行ったキパフルと云う地区にチャールズ リンドバーグの墓があります。鳥の声しか聞こえない林の中の細い道を海に向かって入っていくと、1857年から続く小さなパラパラ ホオマウ教会 (Palapala Hoʻomau Church) が在り、その墓地にリンドバーグは眠っています。1927年に、スピリット オブ セントルイス号で、ニューヨークからパリまで大西洋横断単独無着陸飛行を成し遂げた米国人です。夫妻で日本も訪れたことのあるリンドバーグは、晩年をマウイ島のハナで過ごしていたのでした。
ハナホテルから見たハナランチ
パラパラ ホオマウ教会
リンドバーグの墓
リンドバーグの墓
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。