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所用時間5min
2015.06.26

20世紀のフラ~後編

セロファン・スカートからティー・リーフのパウへ。フラ伝統回帰の時代

  • 米本土や海外で偏ったイメージで露出されたフラを「ハパ・ハオレ・フラ」と呼ぶ
  • 70年代の「ハワイアン・ルネッサンス」ムーブメントを機にフラは伝統回帰する

 20世紀のハワイは「観光地」として発展していった時代でした。観光地化していくなかで、フラは南国の楽園を象徴するイメージ商品として扱われるようになっていきます。客船に乗ってやってくる長期滞在の上流階級の観光客や、ハワイに駐屯する兵隊たちのためのエンターテイメントとして、ハリウッド映画のお飾りとして、フラダンサーは利用されるようになったのです。

 「観光フラ」「ワイキキ・フラ」と呼ばれるフラが、「南国のパラダイス・ハワイ」の典型的なイメージとして世界中に売られます。商品化されたフラは、おおむねハワイアンの文化的な背景を無視したビジュアル重視のものであり、ハワイアンによるハワイアンのための踊りであるフラとは一線を画すものでした。観光フラは、主にアメリカの観光客のためのパフォーマンスとして定着していきます。観光フラのための曲は「ハパ・ハオレ」と呼ばれ、ひとつの音楽スタイルを形成するほどポピュラーになりました。英語の歌詞で歌われるアメリカ本土の音楽事情に強い影響を受けたハパ・ハオレ・ソングは、トロピカル・ジュースで程よく薄められた口当たりの良いカクテルのように万人受けするものでした。そのような音楽に合わせて踊るフラダンサーをトレーニングするためのダンス・スタジオが次々とオープンして、フラはそれなりに活性化していきました。それと同時に、伝統的なフラを保持していこうとする残り少なくなったクムフラたちも存在していました。

 

ハワイアン・ルネッサンスとフラ競技
 

 ハワイが米国の第50番目の州になり、エルビス・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」が大ヒットした1950年代から60年代を経て、フラを取り巻くハワイの社会に異変が起こります。アメリカ本土での黒人人権運動やベトナム反戦運動の影響もあって、ハワイアンの血をひく人々の中に先住民族意識が高まります。それは「ハワイアン・ルネッサンス」と呼ばれる大きなムーブメントとなって、1970年代のハワイを揺るがします。伝統回帰の様相は、米軍によって軍事演習場にされたカホオラヴェ島返還などの政治的な権利運動のみならず、文化・芸術の分野にもはっきりとあらわれるようになりました。伝統航海カヌー「ホクレア号」のタヒチ航海はなかでも象徴的なイベントでした。そして、このムーブメントを盛り上げるのに大きな役割を果たしたのは、ハワイアン・ミュージックとフラでした。

 

 ハワイアン・ミュージックの世界では、ギャビー・パヒヌイ、サンデー・マノア(そして解散後それぞれ独立したピーター・ムーンとブラザーズ・カジメロ)、マカハ・サンズ・オブ・ニイハウ(そしてここから独立したイズラエル・カマカヴィヴォオレとマカハ・サンズ)など優れたハワイ系ミュージシャンが、洗練された新しいサウンドでハワイアンの心を歌うコンテンポラリー・ハワイアン・ミュージックを確立し人気を博します。古くからのハワイ語の唄を新しいアレンジで蘇らせたり、ハワイ語で新しいオリジナル・ソングがつくられたり、英語でハワイアンの民族意識を歌うといったことがハワイで広く受け入れられるようになるのでした。

 

 フラの世界では、伝統フラを継承する数少ないクムフラらが次世代育成に力を注ぎます。フラ・マスター、ジョージ・ナオペやクムフラ・マイキ・アイウは広く門戸を開き若手のクムフラを育成、その多くが現代のフラ界の重鎮として活躍するに至っています。
 70年代当時、伝統を引き継いでいた数少ないフラ・マスターの存在は大変貴重でした。マイキ・アイウ・レイク、ジョージ・ナオペの他にも、イオラニ・ルワヒネ、ロカリア・モントゴメリー、カナカオレ・ファミリー、ビーマー・ファミリーといったフラ家系の直系である人々が数多くの後継者を育てました。そうして次世代のクムフラ、ダンサーが育ち、フラ教室は増え、フラ人口はふくれあがりました。古典フラ、フラ・カヒコの踊りに象徴されるように、フラを踊ることはハワイアンであるという意識を持ち直すためのアイデンティティーを模索する者のよりどころとなったのです。

 

 70年代以降、各種のコンテストが開催されるようになり、観光客のためのエンターテイメントではない、フラの技能と芸術性を競う場ができるようになりました。その代表的なものが「メリー・モナーク・フェスティバル」です。1971年に9組の参加チーム(ハラウ)ではじまったこの大会は、年々参加チーム数、ダンサーの数、観客数ともに増加。ハワイアン・ルネッサンスのムーブメントの影響もあり、ハワイ系のみならず人種をこえてハワイの人々のなかでフラに対する興味が高まっていきました。 後に続く「キング・カメハメハ・フラ大会」「プリンス・ロット・フラ・フェスティバル」「フラ・オニ・エ」など、現在も継続するいくつものフラ・イベントが、20世紀後半に伝統フラを次の世代に伝える大きな役割を果たすことになりました。

  • よしみ Nui だいすけ
    Daisuke Yoshimi
    担当講師

    【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
    facebook: https://www.facebook.com/NuiDaisuke
    公式HP: http://www.yoshimidaisuke.com/

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