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所用時間5min
2015.06.03

パーカー牧場

ハワイ島ワイメア、160年の歴史ある伝説の牧場

  • ハワイ島の牧場経営の歴史を知る。
     
  • パーカー家とハワイ王朝との関わりを知る。

 

ハワイ島、マウナケア山の麓、ワイメアに広がるパーカー牧場は全米でも最大規模の牧場の一つです。1847年にカメハメハ王の側近だったジョン・パーマー・パーカーにより設立され、6代目までパーカー家所有でしたが、1992年以降はパーカー牧場ファンデーション・トラストにより経営されています。大きさは13万エーカーで19,000頭、主にアンガス牛とシャロレー牛が放牧されています。また、ハワイ州の中では牧草で育てられた、おもに牛挽肉の出荷が一位です。他に125頭の馬とパニオロという呼ばれるカウボーイが仕事をしています。

 

19才のジョン・パーカーは1809年に船員としてハワイ島に到着しました。そしてカメハメハ1世と近づくことができ、ハワイ語やハワイの文化を学んでいきました。当時ワイメアでは、それより20年前にキャプテン・ジョージ・ヴァンクーバーからカメハメハ1世に贈った5頭の牛が増えていました。王が作った法律では、牛の捕獲が禁止されていましたが、野生化した牛をコントロールするために、ジョン・パーカーは牛の猟を解禁され、大役を果たしました。1816年に王の孫娘のキピカネと結婚し土地を受け継いだり、購入したりしてパーカー牧場の基礎ができました。カメハメハ1世は出会ってから約10年ほどで亡くなりましたが、その後のカメハメハ3世とも深い交流が続きました。カメハメハ3世は馬とカウボーイをアメリカ本国から取り入れました。カウボーイはメキシコなどから来たため、スペイン語を話し、それがハワイ語になりパニオロという言葉が生まれました。

 

パーカー家3代を継いだサミュエル・パーカーはカラカウア王朝と深い関わり合いがありました。サミュエルはハワイ語で「カムエラ」といい、今ではワイメアの地名にもなっています。

 

4代目のジョン・パーカー3世は19才で亡くなりましたが、妻のアント・ トゥッチーは、女手一人で、娘である5代目、テルマ・パーカーを育てました。牧場の経営の責任者として、アルフレッド・カーターを雇い、カーターにより、牧場は拡大。カーターは約50年牧場経営に貢献しました。彼の功績は大きく、アメリカ軍が使用できる馬や、日本の皇室に売ったりできる馬を飼育しました。6代目のリチャード・スマートが3才になる前に、両親が亡くなったため、祖母であるアント・ トゥッチーにより育てられました。このときに牧場は5万エーカー、そして牛は3万頭に達していました。リチャード・スマートはハリウッドで俳優、ミュージシャンととして活躍し、ブロードウェイやヨーロッパでの舞台も経験していました。1960年、47才の時にワイメアに戻り、牧場経営やコミュニティーなどの発展に努めました。1980年には亡き母テルマ・パーカーのためにカヒル・シアターの建設もしました。1992年に亡くなり、その後、牧場の経営はパーカー牧場・ファンデーション・トラストという慈善団体に渡り、ワイメアのコミュニティー、学校、病院、チャリティーなども援助しています。

 

パーカー牧場は第二次世界大戦の時は、アメリカ海兵隊へ土地を提供したりしました。その時に始まったロデオも今では独立記念日の恒例となっています。

プウオペルの外観

牧場と牧場のストアの他に、パーカー家の歴史を階間見ることのできる場所があります。

 

パーカー牧場のヘッドクォーターでもあるプウオペルではグレート・ルームとダイニング・ルームを見学できます。この建て物は1862年にハワイアン・ビクトリアン風に建てられたもので、1879年にジョン・パーカー2世が購入しました。もともとはL字のコートヤードでしたが、年月とともに少しずつ増築され、6代目のリチャード・スマートの頃には天井も高くなり、美術館の如く、アートのコレクションが増えていきました。建て物は火災防止になるようドアなどもスティールで作られています。また両開きのフレンチドアはコアの木(ハワイ固有の植物)で作られている貴重なものです。コアの木の戸棚には王家からの剣や書状なども飾ってあります。

 

もともとキッチンのあった場所は1948年にダイニング・ルームに改装されました。中でも黄色い北京ガラスのコレクションは多く、中国からの観光客も驚くほどです。

 

グレート・ルームの中には日本の天皇からサミュエル・パーカーに贈られた一対の花瓶があります。ですが、これには菊の紋章がなく、本物かどうかの議論が交わされていました。しかしながら、2009年、当時の天皇皇后がパーカー牧場を訪問された際、その疑いを晴らすよう、新たな菊の紋章入りの紫の花瓶を贈られました。こうして現在も3つの花瓶が飾られています。

日本の天皇家から贈られた花瓶

敷地内にはもう一つ、マナヘレと呼ばれる家があります。こちらはジョン・パーカーにより建てられた内観がすべてコアの木が使われた、ニューイングランドの「ソルトボックス」スタイルの家です。床から天井まで今では貴重なコアの木で作られ、家の中を歩いて見学できます。サミュエル・パーカーの時代の1800年代からのカメハメハ王やカイウラニ王女との写真なども展示され、ハワイ王朝との深い関わり合いがうかがえます。

 

メインルームにはパーカー家の写真や系図が飾られています。またリクエストがあれば、日本語のDVDの画像(20分間)も見ることができます。

 

メインベッドルームにはコアの木で作られたベッドや家具などが置かれ、サミュエルの妻パナナのドレス(レプリカ)も飾られています。とても狭いコアの木で作られた階段を上ると2階に行けます。

 

どちらの家もガイドツアーはないので、自由に見学できるようになっています。

コアの木で作られたマナハレの内観

  • 藤原 小百合 アン
    Anne Sayuri Fujiwara
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。

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