講座詳細
ワイコロアからマウナラニに続くトレイルとぺトログリフ
ネイティヴハワイアンが溶岩上に残した岩絵
- オアフ島や他の島でもぺトログリフを見られる場所が在りますが、比較的簡単に見学出来るのがハワイ島のワイコロアとマウナラニです。
ハワイ島カイルアコナの北に位置するビーチリゾートのワイコロアからマウナラニにかけて、溶岩上に作られた古い道と、ネイティヴハワイアンが残した岩絵「ぺトログリフ」が残されています。
現在も噴火した溶岩が新しい台地を作っている、ハワイ諸島で一番新しい島「ハワイ島」。8つの島の内で一番大きな島でもあるこの島では、真新しい溶岩流の跡を目のあたりに出来ます。その一つが、島の西側の町カイルアコナからコハラに向けて、19号線「クイーン カアフマヌ ハイウエイ」を北上したあたりです。島の最西端に在るコナ空港は、建物から、ジャンボ機が離着陸出来る長さの滑走路まで、ハワイ島に五つある火山の一つ「フアラライ」から流れ出した溶岩上に作られています。フアラライ山の最後の噴火は1801年ですので、地質年代からすれば実に新しい出来事で、今後また噴火する可能性のある活火山です。
空港から北へ車を走らせると、フアラライ、ワイコロア、マウナラニ、マウナケアの順に、近年に開発されたビーチリゾートが続きます。これらのリゾート地はどれも美しい緑に囲まれた洗練された土地に見えますが、フアラライや、四千メートル級の火山、マウナケアとマウナロアの火口から流れ出た真新しい溶岩の上に、1960年代以降に人の手で作られた観光地なのです。ハワイの溶岩は柔らかい性質を持ち、緩やかに流れて海まで達していきます。遠くから見ると、延々と山から続く溶岩の流れはとても平坦で滑らかに見えますが、近づくと凹凸が激しいことがわかります。
19号線から左折してワイコロアリゾートに入ると、キングスマーケット手前のガソリンスタンド近くに、溶岩の上に作られた昔の道が残されています。ハワイアンの歴史と文化を保存すべく、ゴルフ場建設の際もこのトレイルを埋めずに残しました。周りの目に染みるような緑の中に、この道の両側だけはリゾート開発前のまま溶岩がむき出しになっています。「ママラホア トレイル」と名付けられたこの道は、カメハメハ大王の命令で作られ、十九世紀半ば、カメハメハ三世の頃に完成し、カイルアコナの町から北へ、何と五十キロ以上も延々と続いています。当時、西洋から持ち込まれた馬などに物資を積んで運んでいたようで、ワイコロアから先、北へ続く道は、隣のマウナラニリゾート内にもしっかりと残されています。
ワイコロアリゾート内を真っ直ぐにのびる王国時代ののトレイル
さて、ワイコロアに残された古い道を10分ほど北に向かってマウナラニ方向に歩いていくと、溶岩の上にぺトログリフが残されている場所に着きます。人を描いた絵などが確認できますが、現地の案内板によると、コナとコハラ地区の境であるこのあたりに、宗教的もしくは何かの記念として、溶岩上に鋭い石や石鎚などを使って描かれたもので、紀元後千四百年から千八百年頃のものだと推定されています。マウナラニリゾート内にもぺトログリフが見られます。車でリゾート地区内の一番北側の海岸近くに入っていくと、ぺトログリフが描かれた石を一か所にまとめて見学出来るようにした場所があります。
マウナラニリゾート北側のビーチ。この近くににぺトログリフが残されている
マウナラニリゾートに残るぺトログリフ
真昼の太陽の下、溶岩の上を歩くのは、とても暑く感じられますので、朝の涼しい時間に行ってみることをお勧めします。ハワイの神話で、ペレの女神が創ったとされる溶岩台地を傷つけないように、古代のハワイアンの人達が描いた岩絵を見つけて下さい。
付帯的な情報・発展情報
ぺトログリフは「絵文字」ではなく「岩絵」ですので、違いに注意しましょう。
残念ながら最近いたずらで描かれた絵もあるようですので、どれが本物か見定める注意が必要です。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。