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ケアラケクア湾州立歴史公園
ケアラケクア湾州立歴史公園
- クック船長の一団のハワイ諸島発見は、北米アジア間の貿易船の経由地、補給基地として西欧人の来島につながり、更に、北太平洋での捕鯨の時代に向かって時代は進んでいきます。今は静かなケアラケクアですが、クック上陸後も米国の貿易船、バンクーバー船長等の寄港が相次いでいました。
西欧人として初めてハワイを発見したクック船長が選んだ越冬の地「ケアラケクア」
レゾリューション号とディスカバリー号。クック船長率いる英国の探検船二隻が、ケアラケクア湾に碇を下ろしたのは1779年1月のことでした。ケアラケクアは、ハワイ島の西、カイルアコナの町から南へ19キロほど。コーヒーの木が茂る11号線の緩い上り坂を進み、キャプテンクックと云う地区で小道にそれて、曲がりくねった坂を下りた先に在る、急な斜面に囲まれた湾です。
ke-ala-ke-kua =「神の道」を意味する地名で、入江にヘイアウ(祭祀場)の石組みが残されていて、周辺には家々が立ち並んでいます。西に向いてお椀の形をした湾だからでしょうか、2011年3月の東日本大震災の津波が到達し、ハワイ島で唯一、被害が報じられた地区もあります。
ケアラケクア湾。クックの碑が遠望出来る
さて、英国のクック船長がハワイ諸島を発見したのは、前の年の1778年1月。南西方向からオアフ島を発見して北へ進路を取り、カウアイ島に向かっていますので、ハワイ島やマウイ島は目視出来ていません。更に北へ、バンクーバー島からアンカレッジ、そして8月には北緯七十度まで北上して測量調査を行った後、氷に閉ざされる前に南下し、ハワイを越冬地に選びます。11月にはマウイの東側に船を廻し、マウイの最東端ハナ近くの海上でハワイ島の王「カラニオプウ」(Kalaniʻōpuʻu) を船上に迎えています。この時、若きカメハメハが同行していたことが、諸島統一と云う、ハワイ史を塗り替えるための重要な転機になります。この後、ハワイ島の東から南端を回り込み、水深を測りながら、食糧と水の確保に適した停泊地を探し、翌年1779年1月に、カラニオプウが支配するケアラケクアに投錨しました。時期は、カウアイ島ワイメアに上陸した時と同じく、平和と豊饒を象徴するロノ神が司るマカヒキの期間。住民はひれ伏して、クックをロノ神と崇めて迎えた、とも伝えられています。ロノの到来と思われた理由には、白い帆を揚げてマカヒキの期間に到来したことに加えて、二隻の船が島を時計周りに回ったことが、偶然ハワイに古くから伝わるロノのイメージの島内行進経路と一致したことも考えられます。
2月になり、半月ほど滞在した二隻の探検船は、再度北を目指してケアラケクア湾を出港。ところがハワイ島西岸沖を北上し始めて数日後に突風に煽られてマストが壊れ、修理のため再度ケアラケクアに戻ってきます。この時、ハワイアンの人々が戦闘を慎んでいたマカヒキの時期は終わっていたのです。周囲は険悪な雰囲気だったとか。カラニオプウが乗船し、戻ってきた理由を問い質したものの、納得しなかった様子。神ではなかった、との疑惑だったのでしょうか。そして、2月14日にクックは最期を迎えます。船から下ろした小艇をハワイアンの人達が持ち去ってしまいます。これを取り戻すためにカラニオープウを捕捉しようと船長自身も上陸、海岸での小競り合いの中でクック船長は落命。何故、小舟が欲しかったか。それは生活必需品の釣り針にも使える釘が欲しかったからだろうと、考えられています。
クック船長落命時の絵(ビショップ博物館の展示物より)
湾北側の海辺にクック船長の碑が建てられたのは1874年のことでした。そして今、ケアラケクアはカヤックやシュノーケル、スキューバダイビングが楽しめる水の澄んだ湾として、旅行者にも人気の場所になっています。
ところで、カイルアコナから南に下る11号線「ママラホアハイウエー」の両側には、日本名の付けられた商店やレストランを多く見かけますし、このあたりでコーヒー農園を営んでいる日系人も多く居ます。ケアラケクア湾に向かう道の角を曲がらず直進し、しばらく進んだ右側(西側)にはマナゴホテルと云う小さな宿泊施設があります。和室も在る、いわゆる商人宿のようなところで、福岡県から移民したマナゴさんと云う方が経営を始めたホテルです。このホテルのあたりからは、眼下にケアラケクア湾周辺の遠望が楽しめます。
クック船長の碑までは、車で行くことが出来ません。ヘイアウ近くの浜からの遠望のみ可能です。碑へ行くには、カヤックなどで海上を行くか、高低差の激しい山道を歩いて行くしか方法がありません。
何故、ネイティヴハワイアンが釘を求めたか?金属器が無かったポリネシアの島々ですが、漂流船から鉄の存在を知っていたのかもしれません。ワイメアでも、食糧との物々交換で一番人気があったのは釘でした。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。