講座詳細
フェザーレイ
古い歴史を持ち、王族のシンボルだったフェザーから作られたレイ
フェザーレイ
- ハワイ王国以前から存在していた、文化的歴史的なフェザーワークの中のフェザーレイ
1778年にキャプテンクックがカウアイ島に来島した時に、すでに王族は鳥の羽 Hulu Manu(フル・マヌ)で作られたヘルメット、ケープやマント、フェザーレイ、カヒリなどを所有していました。これらは王族の富の象徴であり、名誉や権力を表すアイテムとして使われていました。 一説によると、鳥の羽で作られたフェザーワークは、マルケサス諸島から1500年も前に伝えられたとも言われています。 主にフェザーレイは高いランクである王族の女性が、頭や首に巻き使われていたと言われます。ハワイアンにとって、鳥の羽というのは、貴重な王族だけの所有物であり、スピリチュアルな信心を持ち、ハワイ王家中心であるハワイ社会のシステムをも意味する大切なものであったということがうかがえます。
伝統的なフェザーレイの数々、ウィリ・ポエポエ&カモエ
photo by Feather Lei as an Art – Mary Louise Kaleonahenahe Kekuewa and Paulette Nohealani Kahalepuna with Karen A. Edlefsen
ハワイ王国では王しか身につけられなかった、鳥の羽で作られた赤と黄のケープやマント、ヘルメットがあります。作成するのに何十年もの月日がかかりました。マントは丈が長ければ長いほど、高い地位の王の持ち物だったと言われています。また、これらは戦闘時の服であり、その戦争に勝てば、負けた王のマントやヘルメットは恩賞として持ち帰る事が出来ました。中でも有名なマントは、ハワイ王国を建国したカメハメハ1世のゴールデン・クロークと言われています。これはハワイ固有のマモという鳥の羽、45万羽を使い、現在でも貴重な逸品となっています。この45万の羽は約8万羽のマモから集められました。マモの体の羽はほぼ黒ですが、ある一部が黄色い深みのあるゴールドであり、貴重なゴールドの羽ということになります。当時から鳥は殺さずに、毛が生え替わる時期を見極め、仕掛けをして羽を集めました。使われた鳥の羽の色には、採取が一番困難な黄色の羽、ポリネシアでは高貴な色である赤、白や黒などが使われました。それぞれの羽の色は、ハワイ固有の鳥から取られていました。
ビショップ博物館に展示されているゴールデン・クローク
photo provided by Bishop Museum – The Art of Featherwork in Old Hawaii, John Dominis Holt – Topgallant Publishing Co., Ltd.
貴重なゴールド色の羽を持つマモ
illustration provided by The Art of Featherwork in Old Hawaii, John Dominis Holt – Topgallant Publishing Co., Ltd.
ハワイでは、他に鳥の羽を使う大切なものにカヒリがあります。カヒリは王家を象徴するシンボルとして、長い歴史を持っています。昔から王家では、冠婚葬祭時には男子や男性の侍従が掲げ持ち、宮殿などの王がいる神聖な場所には必ず置かれています。カヒリの大きさも色々ありますが、主に海鳥の羽が使われたと言われています。ネネ、プエオ(フクロウ)、鶏、アルバトロスなどの羽がおもに使われました。王家の色である黄色や赤の羽を使ったカヒリ、または現在イオラニ宮殿の王座の間に置かれている、2万2千以上のアルバトロスの白い羽で作られたカヒリは、昔の作り方に忠実に作られたペアのレプリカです。ビショップ博物館にはカヒリルームがあり、カヒリの歴史をハワイ王家の歴史とともに展示してあります。現在でもハワイのあちらこちらで、歴史あるカヒリから、複製品まで幅広く見ることができます。
ビショップ博物館のカヒリルーム
ハワイ固有の鳥の多くは、現在は絶滅保護鳥などにも指定されているため、カモ、キジ、ホロホロ鳥、ライチョウ、イワシャコ、クジャク、鶏、七面鳥、アヒルなどの羽がフェザーレイには使われるようになりました。 またいつからかハットバンドと呼ばれる、帽子に付けるフェザーレイが作られるようになりました。文献にはっきりは残ってはいませんが、19世紀にはハワイアン・カウボーイと呼ばれるパニオロがハワイに来てから、食料用に鳥狩りをしていました。肉だけを食べるだけではなく、鳥に敬意を表する意味としても、すべてを使おうということになり、羽も無駄にせずに、フェザーレイに使うようになったということです。パニオロはパナマ帽をかぶっていたこともあり、その装飾用に帽子の飾りを付けたのが、ハットバンドの始まりと考えられています。これも鳥の羽を使う、ハワイの文化の一つになったのでしょう。 フェザーレイには大きく分けて、伝統的なウィリ・ポエポエとカモエと呼ばれるもの。そしてコンテンポラリーなフム・パパなどがあります。伝統的なフェザーレイは、糸やひもで羽を留めて作るレイであり、コンテンポラリーなフム・パパは平らなベルトの上に、針を使い糸で留めていくという方法になります。コンテンポラリーと呼ばれるレイは、針を使う作り方が主なようです。1820年に宣教師が始めてハワイに来島したときに、宣教師妻達により、洋裁が広められました。そのときに針がハワイに初めて紹介されたわけです。よって、1820年以降、針を使ったフェザーレイメイキングが可能になったことになります。 今では羽の色も簡単に染められることより、カモの羽などがよく使われます。羽の大きさを選定し、大きさを揃えるためにカットし、同じ大きさの羽を、たくさん分けフェザーレイ作りの準備をします。また、羽自体にデザインのあるキジやクジャクなどは、そのデザインを生かし、大きさを揃えます。ファーストカットやセカンドカットなどと羽の部分を分けて、カットし準備をします。 そして昔と方法でフェザーレイを作ります。 現在でも格式と歴史のあるフェザーレイはポピュラーであり、作り手も多く、貴重なハワイの伝統工芸は絶えることなく、引き継がれています。
コンテンポラリーレイ(フム・パパ)の数々
photo by Feather Lei as an Art – Mary Louise Kaleonahenahe Kekuewa and Paulette Nohealani Kahalepuna with Karen A. Edlefsen
付帯的な情報・発展情報
参考資料
The Art of Featherwork in Old Hawaii, John Dominis Holt – Topgallant Publishing Co., Ltd.
Feather Lei as an Art, Mary Louise Kaleonahenahe Kekuewa and Pulette Nohealani Kahalepuna with Karen A. Edlefsen – Mutual Publishing
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藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。