講座詳細
プウホヌア・オ・ホナウナウ歴史国立公園
王家の住居があり、ヘイアウ(古代の祭事場)もあった神聖な歴史的場所
- ヘイアウと王家の住居跡が隣り同士にある神聖な土地で、ハワイアンの歴史を再確認してみましょう。
プウホヌア・オ・ホナウナウ歴史国立公園は、カイルア・コナから車で約35分南へ進んだ海辺に位置します。昔からこの地はハワイアンにとっての聖地でした。また王族の住居でもありました。この2つの聖地と住居は、1550年くらいに作られた、高さ10フィート(約3m)、幅が広いところで17フィート(約5m)もある大きな岩壁で隔てられています。石が隙間なく積まれていたので、モルタルのような物は不要でした。後に補修されて現在に至ります。(地図参照:地図の手前が王家の住居であり、海側が聖地〔ヘイアウ)であった)
この土地は、古代ハワイアンの土地の区分の仕方であったアフプアアの中に位置します。マウナロアから海への3角形の土地の中は、自給自足ができるなど、生活の何もかもが備わった場所でした。 手前の王家の住居の中には、王族のための海水と淡水のフィッシュポンド(養魚場)、ココナッツの林の中には10戸以上の家屋があり、王族だけが使用できる、船着き場が完備されていました。この土地には海からのアクセスしかありませんでした。 王家の土地には、王族と使用人以外は立ち入り禁止で、カプー制度という厳しい戒律が存在し、それを破った人は即死刑という厳しい法律が数百年続いていた世の中でした。
この石壁が聖地として尊厳されていたわけではなく、石壁の横に位置し、この中のヘイアウの中でも、後になる1650年に作られた「ハレ・オ・ケアヴェ」が一番の神聖な場所でした。19世紀までの間には酋長の遺体が23体も納められた王家の墓(モザリウム)でもありました。その中でも名前が付けられたケアヴェ・イケカヒ・アリィカモク酋長はカメハメハ1世の曾祖父であり、彼の骨はこの王家の土地と 第2の人生を始められる逃れの地と呼ばれていたプウホヌアという聖地どちらも見守っていたと言われています。
王族の骨はその後、別の場所にすべて移されました。1819年にカメハメハ2世により、カプー制度が廃止された、その後キリスト教がハワイに浸透し、宗教的な改革が行われた時に、昔からの建物などは取り壊されました。
1920年には市営の公園に指定され、1961年には国立歴史公園に指定され、キイ(木製の像)や家屋が復元され、現在に至っています。
プウホヌア・オ・ホナウナウ歴史国立公園の地図、手前が王家の住居であり、海側が聖地であったと言われています
ハレ・オ・ケアヴェの前にはキイ像2体が復元された建物(寺)を見守っているようです。
過去は王家のモザリウム(霊廊)であった神聖な場所でもあります。レレと呼ばれるタワーの上にはホオクプという捧げ物も置かれました
神聖な大きなキイ像2体
石壁で仕切られた海側の土地は、プウホヌアと呼ばれ、古代ハワイアンの間では逃れの地を意味していました。この土地では血を流してはいけないと言われ、年寄り、子供や女性などの戦争では戦えない弱い人々、敗退した戦士、またカプー制度という法律を破った人達などが集まれる土地でした。ただし、陸路はなく、サメなどがいる海の中を泳いで到達するしかなかったようです。他の土地にもプウホヌアはありましたが、ここのようにほぼ、昔のままの残されているのは、このプウホヌアしかありません。
また、法律を破ったということで、神が怒り溶岩を流したり、津波、飢饉や地震を引き起こしたりと言う可能性もありました。そのために、ここに到達するのが大変だったということもあるようです。 ですが、この土地にたどり着けたら、カフナ(祭司)が儀式をし、お清めをしてくれ、すべての罪を洗い流してくれたと言います。その後は、無事にそれぞれの家にたどり着くことができるというありがたい救済の場所でした。 この土地は昔から聖地であったため、たくさんのヘイアウ(祭場)が点在していました。海の水でなくなってしまったりもしていますが、跡地である石の基礎などはまだ残されています。
海のそばには伝説の石もあります。ケオウア・ストーンはマーク・トウェインも書に記していますが、コナの酋長であったケオウアのお気に入りだった場所に置いてある石です。ここに腰掛けて、海を眺めていたのか、石の下には、キャノピー(天蓋)を建てていたのか、穴の後も残されています。 また、カメハメハ1世のお后の一人だったカアフマヌ王妃は、王と喧嘩をしてしまい、泳いでここまでたどりつき、石の影に隠れていました。 しかしながら、彼女の愛犬が場所を教えたらしく、その後王に見つかり、仲直りしたという伝説が残されています。
コナの酋長ケオウアがお気に入りだった場所に置かれている石(ケオウア・ストーン)
カアフマヌ王妃がカメハメハ王と喧嘩して隠れたとされる石(カアフマヌ・ストーン)
この歴史国立公園内は、片道約1.6kmの道がヘイアウのある海まで続いています。地図には1から16までの歩きながら見ることのできる場所の説明があります。 コーナエと呼ばれる、古代ハワイからのゲームの石もあります。ルールなどを知りたい時はビジターセンターで教えてくれます(英語のみ)。
ハラウと呼ばれる三角屋根の建物は、ティリーフの屋根が付けられ、フキラウと呼ばれる昔からの漁法のために、ネットのようなものを作っていたとされる場所です。色々な古代ハワイアンの生活も垣間見る事ができる楽しい海に面した公園です。
ここは昔の祭場と王家の土地であるため、格別神聖な場所です。
尊敬の意を持ち、エチケットを守りながら、神聖な土地ということを忘れずに歩いてみましょう。
●「プウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園」に関連したコンテンツはこちらからもご覧いただけます。
Pu’uhonua O Honaunau National Historical Park:http://www.nps.gov/puho/index.htm
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藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。