講座詳細
ウアラ
ウアラ
カロ(タロ芋)やウル(パンノキ)と共にポリネシアの代表的な食物として紹介しておきたいのが「ウアラ」です。
ウアラ
太平洋に広がるポリネシアの東端イースター島(ラパ ヌイ)はチリ領です。はたしてポリネシアと南米大陸との間に大海原をカヌーで移動しての人の往来が在ったのか、現在のポリネシア考古学の学説では答は「ノー」。しかしながらポリネシアでの食べ物がほとんどアジア起源かポリネシア原産なのに対し「ウアラ」=「スィートポテト」だけが南米原産だと考えられているのです。
イースター島=ラパ ヌイ(ビショップ博物館の展示物より)
ウアラはサツマイモと同種の芋で、やせた土地や雨量の少ないところでも育ち、カロのように手間を掛けて水田を作って育てる必要が無く、労働力をあまり使わずに得られる食料でした。皮を剥き潰してポイのようにペースト状にして食べたり、ココナツの汁を混ぜてティー(キー)の葉に包み地中で熱い石を使って蒸し上げるイム料理にしたりした他、保存にも耐える食物でした。日本のサツマイモの食感と同じウアラは、ルーアウショーやレストランでも食べられます。
ルーアウでのスィートポテト
現在の考古学者は、ポリネシア人をアジア大陸から、現在のフィリピンやインドネシアの島々を移動してソロモン群島を渡り、サモアやトンガの島々に到達したモンゴロイドだと考えています。
ポリネシア人の移動ルートの一例(ビショップ博物館の展示物より)
しかし過去には、スイートポテトが南米起源であるように、ポリネシア人は南米から太平洋の島々に到達したのではないかとの仮説を立てた学者も居ました。1947年(昭和22年)、ノルウェーのトール ヘイエルダールがバルサ材の筏にマングローブのマストを立てて、その実験航海に挑みました。4月28日にペルーのカヤオを発った筏「コンティキ号」は西に向かい、8月7日にマルケサスとタヒチのほぼ中間に在るラロイア環礁に到達しました。南米の人々が使っていた小船ではフンボルト海流を渡りきれないと考えられていますが、ポリネシアのカヌーは風上にも遡れる構造になっていますので、ポリネシア人が南米との間を往復してウアラを持ち帰ったのかもしれません。しかしながら実際にそうであったかどうかは、今だ学説として成り立っていません。
さて、ウアラの名のつく地名がホノルルの身近なところに在ります。「プウ ウアラカア」、これは、ダイアモンドヘッドからワイキキ、ホノルル空港から西のワイアナエ山脈までをパノラマのように見渡せる「タンタラスの丘」頂上の公園の名です。「転がるスイートポテトの丘」の意。昔は丘の上にウアラが植えられていたのだそうです。
タンタラスの丘の公園
タンタラスからの眺め
-
浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。