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ヴィクトリア カママル
ヴィクトリア カママル
- ヴィクトリア カママル王女はハワイ王国第五代目の「クヒナ ヌイ」の要職に在りましたが、若くして亡くなっています
将来のハワイ王国女王とも目されていたヴィクトリア カママル王女
カメハメハ大王の孫、カメハメハ四世と五世には妹が一人いました。その名はヴィクトリア カママル王女(Victoria Kamāmalu) 。カメハメハ三世の遺言では、二人の兄の後継者として女王に指名されており、母はキナウ(Kīnaʻu)、カメハメハ大王の娘の一人でした。
ヴィクトリア カママルは1838年11月、ホノルルの生まれ。この頃はまだマウイ島のラハイナが王国の首都でしたが、ハワイ諸島の中心は、外国船も多く入港するホノルルに移りつつある時代です。二人の兄や他の王族の子女と共に、幼少の頃からホノルルのロイヤルスクールで、宣教師による英語の教育を受けていますが、後に八代目の女王に成るリリウオカラニとは同じ年の生まれで、共に同じ学校で勉強に励んでいます。熱心なキリスト教徒で、カワイアハオ教会の聖歌隊の一員でもありました。
14歳頃と思われるヴィクトリア カママル王女(右下)。カメハメハ三世夫妻(下)、兄のロット(左上)とアレキサンダー リホリホと共に(ビショップ博物館の展示物より)
当時のハワイ王国には「クヒナ ヌイ」と呼ばれる、王を補佐する者の最高位、もしくは王と同等に近い権限を有する位が存在し、ヴィクトリア カママルは、1855年に王位に就いた兄のカメハメハ四世によりクヒナ ヌイに推挙されました。
カメハメハ大王の死後、二世を説得して最初にクヒナ ヌイの位に自ら就いたのは大王の妻であったカアフマヌで、若い二世、三世に対しては、王以上の力を揮うことも多かったようです。しかし、王の権限が分散されていることは決して好ましいことではありません。三世の時代、1840年に制定された王国憲法で、クヒナ ヌイは王によって指名されるべきこと等、幾つかの要件が明文化されました。母キナウもこの要職に就いており、ヴィクトリア カママルがその後継者と目されていましたが、キナウが亡くなった1845年には、まだ幼少の身であったため、ジョン ヤングの息子であるケオニ アナが、その任を引継ぎ、その後、四世が王位に就いた際に改めてヴィクトリア カママルがクヒナ ヌイに指名されています。
ヴィクトリア カママル王女(ビショップ博物館の展示物より))
しかし、将来の女王候補とも目されていたヴィクトリア カママルは、1863年12月までクヒナ ヌイを務めた後、五世が王国を治めていた1866年の2月、ビショップ夫妻の邸宅ハレアカラで催されていたパーティーの最中に体調を悪くし、当時の新聞によると同年5月29日午前10時に息を引き取っています。27歳の若さでした。
丁度その時、トムソーヤの冒険などを書いたアメリカの著名な小説家マークトウェインが、新聞社の特派員としてハワイを訪れており、その時の様子を詳しく記録し、報告しています。それによれば、彼のような外国人が宮殿の門内に入ることは許されなかったので直接見てはいないものの、王女の遺体はイオラニ宮殿の一室に、アフウラ(王族の象徴とも云える鳥の羽のケープ)とともに葬儀の日まで4週間ほど安置され、カヒリ(王族の存在を示す、上部に鳥の羽のついた棒)を持った6名が、その周りを守っていたとのこと。棺はコウとコアの木で作られ、これまで見た中で最も優雅なもので、故人の名前と称号が刻み込まれる、とあります。
マウナアラの王家の墓が、カメハメハ五世により前年に完成していました。6月30日、イオラニ宮殿前に集合した多くの要人が隊列を組み、棺はキング通り、そしてヌウアヌ通りを北上してマウナアラへと運ばれました。現在の石造りのイオラニ宮殿が完成したのはカラカウア王の時代の1882年ですので、葬儀当時の宮殿は木造、今の建物に比べると三分の一ほどの大きさでした。
ヴィクトリア カママルは遺言を残していません。母キナウから引き継いで所有していた私有地は父経由で異母姉妹のルース王女(Ruth Keelikōlani)に引き継がれ、ルースは遺言でそれをバニース パウアヒ ビショップ王女に譲っていますので、ヴィクトリア カママル王女の所有していた土地は現在、カメハメハ校の所有する土地の一部になっています。
付帯的な情報・発展情報
1866年にオアフ島とハワイ島を訪れた際のマークトウェインのレポート「ハワイ通信」は彩流社より発刊されています。
ビショップ夫妻の邸宅ハレアカラ(Haleakalā)は、ホノルルのダウンタウンの中心、ファースト ハワイアン銀行本店の北側、現在のビショップスクエアを含む広い土地の中に在りました。西欧風二階建ての建物を描いた絵が、ビショップ博物館のピクチャーギャラリーに展示されています。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。