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ワイメアのヘイアウ群
ハワイ最古のカウアイ島、ワイルア川周辺に集まっている神聖なヘイアウ群
- ヘイアウが多く点在するカウアイ島のワイルア川付近の歴史や文化を学ぼう!
ハワイ諸島8島の中でも、最も古い島がカウアイ島とニイハウ島です。その昔は地続きだった二つの島と言われています。また、ポリネシア人が初めてハワイ諸島に入植した時から、ワイメア川の周りではアフプアア(ハワイ古代の区画)が作られたと言います。世界中でも降雨量の多いワイアレアレ山から海まで流れるワイルア川の河口の浅瀬は、淡水と海水が入り交じる場所で、魚がたくさん採れたこと、肥沃な土地では穀物や野菜が豊富に作れたこと、気候が良かったことでなどの理由で、この当たりには人が住み始めました。また、この土地は庶民ではなく、酋長や王などの地位の高い人達や家族が暮らしたと言われています。 また、後にカウアイ王国の政治や宗教の中心になり、神聖な地、ワイルアとも呼ばれました。
ワイルア川から河口を見下ろす景色
シア全体にあるといいますヘイアウの起源はポリネが、ポリネシアには「マラエ」という石積みの祭場があり、これはヘイアウの前進になったと思われます。ハワイ初期のヘイアウは規模も小さく、儀式もとてもシンプルでした。12世紀頃、サモアからの地位の高い僧侶がハワイに来てから、ヘイアウの状況も変わったと記されています。 初期の頃、儀式に参加したのは高僧や酋長だけではなく、庶民も参加できました。が、年が経つにつれ、ヘイアウでの儀式の内容も複雑になり、王や高僧しか参加できなくなりました。 また、カウアイ島には昔から、メネフネという働き者の種族がいたということです。伝説という話もありますが、この背の低い、がっちりとした体つきのメネフネがヘイアウ、養殖池(フィッシュポンド)、灌漑設備などを作ったと言われます。 ワイルア川の周り、1マイル(1.6km)から1.5マイル(2.4m) の間には、考古学的にも貴重なヘイアウ跡がいくつも残されています。その中でもポリアフ・ヘイアウ、ヒキナ・アカラ・ヘイアウ、マラエ・ヘイアウ、ククイ・ヘイアウそしてホロホロク・ヘイアウなどは代表的なヘイアウです。しかしながら、多くのヘイアウは1819年のカプ制度の廃止により、壊されました。今では土台や石積みなどが残されている場所が多くなっています。
ヘイアウには大きく分けて、ルアキニ・ヘイアウとプウホヌア・ヘイアウという2つのタイプがあります。 ルアキニ・ヘイアウは、戦争の神様「クー」を祭った場所で、主に人や動物、魚などの生け贄などを捧げる儀式などを行いました。 プウホヌア・ヘイアウは、罰を受けた者、女性や子供が戦争などから逃れ隠れることのの出来た場所になります。プウホヌアでは人を殺すことはどんな高い地位の人でも禁止され、絶対の安全が保証されていました。五穀豊穣の神様「ロノ」を祭っていたヘイアウもありました。
ポリアフ・ヘイアウは、580号線(クアモオ通り)沿いにあり、オパエカアの滝の展望台から道を挟んだ反対側に位置します。こちらのヘイアウはメネフネが作ったと言われますが、1600年〜1700年の間によく使われていたというだけで、はっきりと作られた年代など文献には残されていません。そのヘイアウを統治する王や酋長により、改修や拡大され、その権力を示しました。石垣の石は、河口付近からヘイアウのある高い場所まで、庶民により運ばれました。 このヘイアウはルアキニ・ヘイアウだったと考えられます。キイ(木で作られた像)、ハレ(祭事用のアイテムを入れておく藁葺きのような家)がありました。木やピリグラスなど、のちに腐ってしまうような材料で作られていました。また非常に厳格なカプ制度が司られていました。 ポリアフとはハワイ島マウナケア山に住む女神で、そこからこのヘイアウの名前が付けられました。ポリアフはカウアイ島に住むハンサムな王子を探す為に来たという伝説もあります。 このヘイアウの一部にはベルストーンと呼ばれるペトログリフが描かれた石もあり、昔は王の子供が生まれるとこれを鳴らし、遠くまで知らせたという説もあります。
ポリアフ・ヘイアウはこのオパエカア滝のすぐ近くに位置します
ヒキナ・アカラ・ヘイアウは1300年前後に作られた、プウホヌア・タイプのヘイアウだと言われています。こちらはワイルア川の河口付近にあり、ワイルア湾のすぐそばだったため、ペトログリフなどが描かれた石などは波などで見えたり見えなかったりします。 マラエ・ヘイアウはヒキナ・アカラ・ヘイアウのクヒオ・ハイウェイを挟み、北側に位置します。ヘイアウの大きさは一辺の長さが横約121mもある大きな長方形で、ルアキニ・ヘイアウだったと言われています。こちらはあまり跡を残しておりません。
ワイルア川周辺のヘイアウ群の地図
ククイ・ヘイアウはアラ・ククイ・ポイントにある、現在では土台だけが残っているヘイアウです。500年ほど前に作られたものだと言われていますが、その昔は灯台のような役割をしていたのではないかと言われています。ククイとはハワイの伝統植物であり、キャンドルナッツ・ツリーと言われるように、実の中には脂分が多く、キャンドルのように使われていました。名前の由来はそこからのようです。個人所有の土地の中になってしまったようですが、今でも一般公開さされています。
ホロホロク・ヘイアウはココパームズという、今は閉鎖されているリゾートを少し北に行った場所に位置します。カウアイ島最古のヘイアウと言われ、メネフネが作らなかったルアキニ・ヘイアウと伝えられています。こちらのヘイアウは別名カラエオカマヌ・ヘイアウと言い、その名前のプレートも残されています。隣接して、ポハク・ホオハナウとポハク・ピコがあります。ポハクとはハワイ語で石の意があり、ホオハナウはバースストーンと呼ばれるように、その昔、酋長や王族などの高い地位の血統を持つ跡継ぎは、この神聖な石の上で誕生したと言い継がれています。カウアイ島、最後の王となったカウム王もこちらで生まれました。ポハク・ピコのピコとはへその事を意味し、この石に生まれた子供のへその緒や胎盤などを隠した場所でもありました。
ホロホロク・ヘイアウ
ポハク・ホオハナウ – 王も生まれたバース・ストーンとポハク・ピコ – 生まれた王のへその緒を隠した場所
参考資料
Kauai Ancient Place – Names and Their Stories, Frederick B. Wichman by University of Hawaiia Press
http://dlnr.hawaii.gov/dsp/files/2014/09/Poliahu-Brochure-2-sided.pdf
http://dlnr.hawaii.gov/dsp/files/2014/09/Hikinaakala_brochure.pdf
Reflactions of Kauai – Penny Pence Smith, Island Heritage Publishing
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藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。