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ダイヤモンドヘッド
- ハワイの島々には、高山の山頂ばかりでなく、身近なところに多くの火口が見られます
ハワイを代表する景勝地の一つ、その頂からはオアフ島の南側が一望出来ます
海につき出した特徴のある形の頂、ダイヤモンドヘッド。元々の名は「レアヒ」(Lēʻahi)、ワイキキから見える形そのままに、マグロ(ʻahi)の額(lae) を意味します。灯台などの海路標識が設備される以前、ホノルル港へ入る船が島に向かって南から進入する際、右にダイアモンドヘッド、左にホノルル空港の山手にあたるソルトレイクの丘を見ながら、パンチボールの丘をめがけて船を進めたのだと、ハワイアンの文化と歴史を探究している大学教授から聞いたことがあります。ダイヤモンドヘッドの一番高い頂まで続く道は、ハイキングコースとして良く知られていますが、頂上からの眺めは素晴らしく、極めて空気の澄んでいる日には、遙か東の水平線上にラナイ島ばかりでなく、更に東のマウイ島ハレアカラ山までが見えることがあります。
ダイヤモンドヘッドの頂から見たワイキキと、オアフ島西部のワイアナエ山脈(写真提供:大浦昭好)
ハワイの島々は、現在のハワイ島直下に在るホットスポットから噴出した溶岩が流れて造られた陸地です。それが太平洋プレートの移動と共に西北西に場所を移しながら侵食されて、それぞれ違う趣を持つ景観を生み出しています。マウイ島、オアフ島、カウアイ島と、各島の生成年代は、ハワイ島から離れて西へ行くほど古くなり、オアフ島を形作るワイアナエ山脈とコオラウ山脈の元になった火山は、およそ二百万年から四百万年前に、今のハワイ島のあたりで形成された山でした。そのオアフ島に、全く違う年代に再度の噴火が起こります。この時出来た火口の一つがダイヤモンドヘッドで、今からおよそ数十万年前の噴火だと考えられています。同じ頃に同じように出来た火口が、パンチボウルや、島の東に在るハナウマ湾で、どれも噴石丘で、大きな穴が開いたような形が特徴です。ダイヤモンドヘッドの山側(北)にあるカイムキの丘は同じ時期に噴火して溶岩が流れて出来たもので、ココヘッド通りの消防署の裏にプウ オ カイムキ(Puʻu o Kaimukī)と云う名の火口が在り、その頂上には数十メートル歩けば登れ、四方の景色を楽しめます。火口、クレーターは、ハワイ語でルア ペレ(lua Pele 直訳すればペレ(の神)の穴)と云います。
ハワイアンの人々の間では、火山とペレの神話が結びついていることが解ります。
ココヘッド通りの消防署の裏手の丘が「プウ オ カイムキ」
さて、ダイヤモンドヘッドの火口部分と周囲一帯は、第一次世界大戦の頃から米軍の軍事施設として使用され、1980年代までは山麓に軍の将校クラブも在りましたが、現在でも火口の外の北東側はハワイ州軍の本部が置かれている他、ハワイ赤十字の本社も在ります。カピオラニ コミュニティー カレッジの校内で毎週土曜日に開かれるファーマーズマーケット(朝市)の際にでも、少し先まで足を延ばして散策してみるのも良いかもしれません。
ダイヤモンドヘッドが海に向かって一番つき出した麓には灯台があり、その前の坂道はホノルルマラソン最後の難所。ここを何とか走り過ぎれば、カピオラニ公園のゴールが間近に見えてくる地点です。そして、灯台の下の海はサーフィンを楽しむ人で賑わっています。
カピオラニ公園から見たダイヤモンドヘッド
ダイヤモンドヘッドの元の名レアヒは、カピオラニ公園側の麓の道の名や、カピオラニ コミュニティー カレッジの山側に在る病院の名に残されています。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。