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ハワイ音楽の歴史~1960s カハウアヌ・レイク・トリオ
1960年代~カハウアヌ・レイク・トリオ
- 60年代、ハワイアン・ミュージックの低迷期に活躍した素晴らしいバンドと、彼らが残したフラソングの名曲中の名曲について
ハワイアン・ミュージックの黄金時代と呼ばれた1930年代から50年代を経て、時は60年代。全米規模のハワイアン・ミュージック・ブームはピークを過ぎて、ロックンロールが時代の音楽になりました。この60年代は、ハワイ音楽史のなかでハワイアン・ミュージックの低迷期とされています。とはいえ、素晴らしいアーティストは存在していました。
Honolulu Magazine が編纂したハワイ音楽史に残る名曲50選「50 Greatest Songs of Hawaii」を見れば、60年代がハワイアン・ミュージックの低迷期だったことが歴然と表れているのがわかります。50選の中には、60年代にレコーディングされた曲が4曲しかセレクトされていません。しかも、うち3曲はエルビス・プレスリーの「ブルー・ハワイ」、ドン・ホーの「タイニー・バブルス」、そしてクイ・リーの「アイル・リメンバー・ユー」という米本土向けのポップソング。残りの1曲が唯一ハワイ語でハワイのミュージシャンに歌われる曲「プア・リリレフア」でした。フラソングの名曲「プア・リリレフア」をレコーディングしたのはカハウアヌ・レイク・トリオ。60年代を代表するハワイアン・アーティストは彼らです。
カハウアヌ・レイク(ウクレレ)、トミー・レイク(ベース)、アル・マチダ(ギター)の3人組ハワイアン・バンド『カハウアヌ・レイク・トリオ』が結成されたのは1955年。ワイキキのホテルでの演奏を中心に活動。初のレコード・リリースが1964年。これをきっかけに、ホテルに滞在する観光客だけでなく、ローカルのファンも多く獲得。その後1978年までに6枚のアルバムをリリース。60年代のハワイアン・ミュージック・シーンをリードするバンドとして君臨、70年代以降のミュージック界におけるハワイアン・ルネッサンスへ橋渡し的役割を果たしたと言われます。
1964年のデビュー・アルバム『ハワイアン・スタイル』には、『プア・アーヒヒ』、『アロハ・イア・オ・ワイアナエ』、『カ・プア・ウイ』などが収録されています。今ではおなじみのフラ・ソングたちが、彼らによってスタンダード・ナンバー化されたことがわかります。アルバムを通して聴くと、デビュー・アルバムにしてカハウアヌ・レイク・トリオ独特の演奏スタイルとサウンドがもうすでに完成していることに驚かされます。
1965年のセカンド・アルバム『カハウアヌ・レイク・トリオ・アット・ザ・ハレクラニ・ホテル』のオープニング・ナンバーとなっているのが『プア・リリレフア』です。録音されてから現在までの半世紀の間、数多くのハワイアン・アーティストによって演奏され、多くのフラ・ダンサーに踊られてきた、ハワイ音楽史に残るこの名曲。作曲者としてカハウアヌ・レイクの名がありますが、これが彼の作曲デビューだったそうです。なんとも言えない切ないメロディー・ライン、コード進行の展開の仕方、高度なウクレレ奏法、どれもが当時としてはとても洗練された仕上がりであることが今改めて聴くとよくわかります。
名曲『プア・リリレフア』はカハウアヌ・レイクから、後に妻となるクムフラ、マイキ・アイウへの歌のラブレターだったというエピソードが語り継がれています。ハワイ音楽&フラ界のスター二人を結んだ『プア・リリレフア』をカハウアヌがマイキを想いながら書いた日、そしてその曲が自分のために書かれたとマイキが知った日、ハワイ音楽史のなかでも最もロマンチックな記念すべき瞬間に思いをはせながら、改めてこの曲を聴いてみるのもいいかもしれない。
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よしみ Nui だいすけDaisuke Yoshimi担当講師
【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
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