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フェザーワーク
フェザーワーク
ハワイの最高位「アリイ」の象徴として鳥の羽で創られた品々
- 今や人の住むところでは見られなくなったハワイ固有種の鳥は、ハワイ文化には欠かせない存在でした
ハワイの最高位の人達アリイが身に着けていた鳥の羽で創られた品々を、最初に西欧に伝えたのは、英国のクック船長の一行でした。三回目の太平洋探検で、1778年1月にカウアイ島のワイメアに碇を下ろした船に乗っていた画家のジョン ウェバーが、鳥の羽で覆われたアリイのケープを描いており、クック自身もその色合いや大きさに感嘆しています。
ネイティヴハワイアンの自然の捉え方の中に、神の住む領域「ヴァオ ラニ」(wao lani)と、人が住む領域「ヴァオ カナカ」(wao kanaka)と云う考え方が在ります。極めて雑駁に云ってしまえば、ハワイアンの人達は、人が住む場所より上、森の中から山の頂、雲がたなびく空を、神の領域と考えていました。そして、鳥は自分達より高いところに住み、超自然の力「マナ」が存在し、自然界で一番貴重なものの一つととらえ、そこにアリイがその権威の象徴として鳥の羽を使用した所以があったのだと思われます。
鶏の類や、捕るのが難しい海鳥の羽も使われましたが、最も貴重な羽毛はハワイ固有種の蜜すい鳥のものでした。特に、黒と山吹色の羽を持つオオ(ʻŌʻō、和名:ハワイミツスイ)や黒い羽のマモ(Mamo:クロハワイミツスイ)、赤い羽のイイヴィ(ʻIʻiwi:ベニハワイミツスイ)やアパパネ(ʻApapane:アカハワイミツスイ)の鮮やかな色の羽が、好んで使われています。
さて、アリイの象徴としての羽の使われ方として、先ずはケープ、アフウラ(ʻahuʻula)があり、全身を覆う大きなサイズのものは、何万羽もの鳥の羽が使われています。クック船長に献上されたものを初めとして、そのほとんどが西欧人の手に渡り、1840年代には、既に作られなくなっていたようです。
カラニオプウのアフウラ(写真提供:ビショップ博物館)
次に、マヒオレ(mahiole) と呼ばれる帽子があり、儀式などの正式なところでのかぶりもの、もしくは戦闘の際のヘルメットとして使われていました。
そして、アリイの居るところには必ず持たれたり置かれたりした、棒に羽を飾り付けたカヒリ(kāhili)。アリイ自ら手に持つ小さなものから、3m以上の長いものまで、多くの種類のカヒリが見られます。
数色の羽毛で作ったレイ(lei hulu)もあり、首にかけるレイの他、頭に着けるハクレイも鳥の羽で作られたものが数多くあります。
オオとイイヴィの羽毛で作られたレイ フル(ビショップ博物館の展示物より)
アリイの女性(aliʻi wahine)が腰に巻いて使ったパウ(pāʻū)では、カメハメハ大王の娘で、二世と三世の妹にあたるナヒエナエナ(Nahiʻenaʻena)のものが一番豪華で、152cmx314cmと大きなもので、ビショップ博物館に保管されています。
アリイや王が肩から掛け、ベルトのように腰に巻くサッシュ(kāʻei)は、カメハメハ大王像を見ると、どのようなものかお分かりになるでしょうが、これも鳥の羽で覆われて作られていました。ハワイ島ワイピオの賢者リロアのサッシュは、15世紀始めに作られたものと推定されていて、赤いイイヴィと黄色いオオの羽が使われており、マナを持つとされる人間の臼歯と魚の歯が埋め込まれていて、これもビショップ博物館に保管されています。
リロアのサッシュ(写真提供:ビショップ博物館)
最後に紹介したい、ハワイ文化を象徴する重要なものは、鳥の羽で創られた神の像(akua hulu)です。その中でもクカイリモク(Kūkaʻilimoku)と呼ばれる戦闘の神クーの像はカメハメハ大王のもので、ハワイ島からマウイ島、そしてオアフ島に攻め込み島々を統一していく際に、カメハメハと同じカヌーに掲げられ、いわば戦いを司る、もしくは守護神のような役目を担っていたものと思われます。
色々な用途のあったフェザーワークの品々ですが、宝石や貝、旗などが使われなかったハワイでは、空を飛ぶ鳥の貴重な羽が、アリイの権威の象徴として使われていたのでした。
ロイヤルハワイアンホテルに飾られているハーブ カネが描いた絵画。ワイキキ沖に集結した大軍を率いるカメハメハのカヌーに、鳥の羽で作られたクカイリモクの像がカフナにより掲げられている
付帯的な情報・発展情報
ワイキキのハレクラニホテルの正面右側(エヴァサイド)に、マヒオレをモチーフにした大きな彫刻が向き合って置かれているのに、気付かれた方も多いでしょう。チャールズ ワトソンが1983年にインドの大理石で造った作品で、それぞれ7トンもあります。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。