講座詳細
ハワイ音楽の歴史~2000s イズ
ハワイアン・ミュージックをリードする国際的アーティスト2 イズラエル・カマカヴィヴォオレ
レインボー・ソングのハワイアン
「Rainbow State=虹の州」ハワイ出身の男性シンガーが歌う、世界的ヒットを記録したレインボー・ソングをあなたは知っているでしょうか? 映画「オズの魔法使い」でジュディー・ガーランドが歌った、かの有名な「オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)」をウクレレ一本のシンプルな伴奏でささやくように歌う彼のカバー・バージョンは、始めハワイでリリースされたアルバムの中の1曲として1993年に世に出ました。歌詞とコード進行に少し手を加え、ルイ・アームストロングのあの名曲「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」とメドレーになったこのバージョンは、やがてローカルにもっとも愛される曲のひとつとなり、この曲が入ったアルバムはハワイでロングセラーを続けていました。
数年後、ハリウッド映画監督がこのバージョンを聞いて気に入り、新作映画のエンディング曲として使用しました。1998年の「ジョー・ブラックをよろしく」(出演はブラッド・ピット、アンソニー・ホプキンスほか)です。アメリカ本土では無名に近いシンガーのこの曲が、映画を観た人々のハートを掴みました。
ハワイアン・シンガーが歌うレインボー・ソングがメディア関係者たちの耳にとまり、全米のテレビCM、テレビ・ドラマ、さらに数本のハリウッド映画で使用されるにいたり、彼の歌声は広くアメリカ全土で聴かれることになりました。ミュージック・ダウンロード・サービスのiTunesワールド・ミュージック・カテゴリーでは、この曲が何ヶ月もの間1位の記録を更新し続けました。世界中に増えていったこのハワイアン・シンガーの新たなファンたちは、ファンになったとたんに悲しい事実を知ることになりました。心の奥深くに響いたやさしい歌声の主は、すでにこの世にいないということを・・・。
"My name is Israel Kamakawiwo'ole, I am Hawaiian."
彼は生前、ステージやテレビなど公共の目の前に立つとき、こう言って自己紹介するのがお決まりでした。イズラエル・カマカヴィヴォオレ、ネイティブ・ハワイアンの血を引き、ハワイアン・プライドに溢れ、歌とメッセージでハワイアンの心をひとつにする力を持った男、人々は彼を"イズ"(IZ)と呼びました。
カリスマ的ハワイアン・シンガー、イズの音楽活動は「マカハ・サンズ・オブ・ニイハウ」というバンドから始まりました。1970年代、14歳のときに仲間を集めて結成したバンドです。イズの兄スキッピーをリーダーとした若きハワイアン・バンドは徐々に注目を集め、レコード・デビューを果たします。サンデー・マノアやギャビー・パヒヌイの系統を引き継ぐ人気バンドに成長しましたが、1982年、スキッピーが心臓発作で突然この世を去ります。メンバーのムーンがリーダーを引き継ぎ、イズがバンドのフロント・マンとしての役割を引き継ぎます。当時の伝統文化復興ムーブメント『ハワイアン・ルネッサンス』を支えハワイ独立運動をサポートする、影響力あるハワイアン・スポークスマンでもありました。
1993年までにマカハ・サンズ・オブ・ニイハウは十枚のヒット・アルバムをリリースし、ハワイの音楽賞ナ・ホク・ハノハノでいくつもの賞を獲得しました。しかしバンドのフロント・マン、イズの健康状態は下り坂で体重は300キロを超えていました。この年、バンド結成から17年後、イズはソロ・シンガーとして再出発します。
ソロ・シンガー、イズ誕生
イズのソロ・デビューアルバムがリリースされたのは1990年、そしてマカハ・サンズ・オブ・ニイハウ脱退の年、1993年に2枚目のソロ・アルバム「Facing Future」がリリースされました。このアルバムに収録されたレインボー・ソングとともにハワイでのイズ人気は不動のものとなりました。
「もしも僕たちハワイアンの王と女王が、今日ハワイに帰ってきたとしたら、この変わり果てた島の姿を見たら、神聖な土地の上につくられたハイウェイを見たら、この現代のシティ・ライフを見たら、いったいどんな気持ちになるか想像できるかい?」
と問いかけたHawai'i '78という曲もこのアルバムに収録された印象的な曲です。ハワイアンの歴史と文化と価値観を見直そうという、イズが常々若者たちに訴え続けたメッセージがうまく表現された、イズの代表曲のひとつです。
その後2枚のオリジナル・アルバムをリリースしどちらもローカルヒットさせた後、1997年6月26日ハワイの歴史に残るすばらしいアーティスト、イズが38歳という若さでこの世を去ってしまいました。16日後、1997年7月12日の朝、普段はひっそりとして人の姿もほとんどないオアフ島の西の端、美しい谷と砂浜が広がるマクア・ビーチに、数千人もの人々が集まりました。そこで散骨されるイズを見送るために。ビーチをうめつくした人々、ボードでパドルアウトしたサーファーたち、さらに道路に列を連ねた大型トレーラーのドライバーたちが見守るなか、航海カヌー・ホクレアに乗って運ばれた彼の遺灰は、神聖なマクアの海に撒かれました。イズの良き先輩ミュージシャンであったブラザーズ・カジメロのローランドは後に「島が泣いているようだった」とそのときのことを回想しています。
イズの魅力はなんといってもその声にあります。大きな身体がまるで反響板の役割を担っているかのように、彼の歌声は心の奥で響きます。年齢・性別・人種・国境を越えて、彼の声は誰の心にも届き、深くやさしくしみわたっていきます。生前の彼を苦しめ続け、やがて死に追いやった肥満が、彼のすばらしい歌声の大切な要素だったとしたら、それはなんと皮肉なことでしょう。イズの音楽は、ハワイ・ローカルのためのローカル・ミュージックとして生まれ愛されました。ハワイの人たちだけの密やかな宝物だったイズの歌声は、やがて世界に発見されるべくして発見されるのでした。
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よしみ Nui だいすけDaisuke Yoshimi担当講師
【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
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