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日本からの海外移民と移住
ハワイの砂糖キビ農園への出稼ぎから始まった日本人移民は、国策としての定住目的の移住に変化し、北中南米を中心に、その数を増やしていきました。
ハワイに始まった、日本からの移民と移住の歴史を包括的に理解しましょう。
日本からの海外への移民、移住は、1868年の元年者から始まりますが、その歴史はハワイに留まらず、戦後の南米移住にまで続いていきます。
鎖国政策をとっていた日本が、その門戸を開く大きなきっかけとなったのは、米国のマシュー ペリー提督の来航でした。1853年に浦賀に入港し強硬な交渉を展開。翌1854年3月(嘉永7年)に横浜で日米和親条約(神奈川条約)を締結するに至ります。ハワイの歴史と重ねてみると、1854年は、12月にカメハメハ3世が亡くなった年にあたります。
1866年(慶応2年)、幕府は日本人の商用と学業を目的とした海外への渡航を始めて許可します。日本が積極的に渡航を認めたとは言い難い面もあり、1858年(安政5年)に、日米修好通商条約など、米蘭露英仏5か国と条約が締結された結果でもあります。
これにより、海外での労働を目的とした雇用も可能となり、ハワイ王国総領事、ユージン ヴァン リードにより横浜で集められた150人ほどの人が、初の海外への出稼ぎ者としてサイオト号でホノルルに渡りました。1868年(明治元年)のことでしたので、後に元年者と呼ばれるようになる一団です。同年にヴァン リードはグアムにも50名程を送っていますが、双方とも明治政府が承認した移民ではありませんでした。
その後1881年(明治14年)、東京で明治天皇に謁見したカラカウア王が、日本からの移民を要請。1885年(明治18年)に明治政府が正式に認めた官約移民が開始され、シティー オブ トウキョウ号で945名ほどがホノルルに到着し、1893年(明治26年)にハワイ王国が終わりを告げた翌年1894年までの10年間に、政府間で約2万9千人余りの日本人移民が砂糖キビ畑での3年契約の労働に従事しました。
他国への出稼ぎ者に目を向けると、1883年(明治16年)から、オーストラリア最北部、トレス海のサースデー アイランド(木曜島)へ和歌山県などから37名が渡っています。海底に潜水し貝を採取するのが仕事でしたが、真珠ではなく、高級釦の原料になる厚い貝殻をもつ貝を採集するのが目的だったと、司馬遼太郎が「木曜島の夜会」に書いています。
中南米へは、1897年(明治30年)にメキシコへの移民が行われています。メキシコ最南部チアバス州エスクイントラ付近に34名が入植しています。榎本武揚によって推進されたことから、この一団は榎本殖民団と呼ばれています。その多くがすぐに帰国したものの、その時現地に残った人達が、日本から中南米への初の移住者となりました。続いて、1899年(明治32年)には790名ほどが佐倉丸でペルーに移住をしています。
1908年(明治41年)にはブラジルへの移民が始まります。神戸から780名ほどが笠戸丸でインド洋からアフリカ南端を廻って52日間かけて航海。サントス港に到着した6月18日は、サンパウロ州で移民の日と制定されています。
北米では、1881年頃からサンフランシスコ周辺に個人で渡航し、書生と称する労働をしながら勉学に励む若者が多く居たことが報告されています。北米に移住し農業に勤しむ日本人も増え、ハワイが米国の準州になった1900年(明治33年)以降は、ハワイから米本土やカナダへの転住も進みました。
一方、日本人排斥の動きも起こり始め、1906年(明治39年)、大地震の後にサンフランシスコで日本人学童隔離騒動が起こります。日系の生徒を西欧系とは別の学校に移そうとした事件で、その後カリフォルニアでの日本人排斥の動きは拡大し、案じた日本は1907年(明治40年)から08年にかけて日米紳士協約と呼ばれる覚書をと交わし、労働目的で米国に赴く日本人への旅券発行を自主的に差し控える政策を取ります。しかし日本人排斥の動きは沈静化せず、遂に1924年(大正13年)に米合衆国として、所謂排日移民法(ジョンソン・リード法)が施行され、1885年から続いたハワイ(王国⇒共和国⇒米国準州)への移民も1924年6月にホノルルに入港した笠戸丸で、終止符を打ちます。国策としての海外移住は、この時点で移住先として北米とハワイを失い、中南米への移住が増大していきました。
1941年(昭和16年)太平洋戦争が始まると、北米ばかりでなく中南米の国々やオーストラリアも日本の敵国となり、移住していた日本人とその家族は、国によりその強弱はあるものの、収容所に送られるなど、敵性外国人として苦しい生活を強いられることになります。
戦後の海外移住は、1952年(昭和27年)のブラジル、アマゾン川周辺への渡航から再開されました。そして、船での移住は1976年(昭和51年)の日本丸で終了。中南米への移住はブラジルばかりでなく、ペルー、パラグアイなど他の多くの国々に及んでいます。
現在、ハワイばかりでなく他の移住先の国々でも6世が生まれて活躍する時代になり、ブラジルから日本への移住も進み、日系人(Nikkei)の捉え方も変わってきました。
1885年の官約移民から1世紀弱の間に日本から海外に移民、移住した人の数は推定76万人。出身県別にみると広島県の約11万人弱を筆頭に、沖縄、熊本、山口、福岡と続きます。
日本人が移住した主な国々(JICA横浜 海外移住資料館の展示物より)
日本人の移民、移住の歴史は、JICA横浜海外移住資料館や、神戸の海外移住と文化の交流センターなどで勉強出来ます。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。