講座詳細
戦艦ミズーリ記念館
戦艦ミズーリ記念館
Battleship Missouri Memorial
真珠湾では、太平洋戦争の始まりと終わりが学べます
日本海軍による真珠湾攻撃は1941年(昭和16年)12月7日朝7時55分に始まり、ハワイとは19時間の時差がある日本では8日未明のことでした。そして激戦の続いた太平洋戦争は、1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎え、9月2日に東京湾内に停泊していた戦艦ミズーリの艦上で、日本の降伏文書署名が行われ、第2次世界大戦は正式に終結しました。
現在、戦艦ミズーリは、撃沈された米国海軍の戦艦アリゾナに並ぶように、真珠湾のフォード島に係留されており、一般の見学が可能です。
戦艦ミズーリ記念館への入口(写真提供:戦艦ミズーリ記念館)
「マイティー モー」の愛称で米国民に知られている戦艦ミズーリは、ニューヨークの海軍造船所で1944年に完成して進水。太平洋戦争では硫黄島での戦いや沖縄戦に参戦し、朝鮮戦争後の1955年(昭和30年)に一度退役したものの、装備を近代化して再度湾岸戦争に出動。1992年に再び退役し、1999年(平成11年)から真珠湾のフォード島に、記念館として係留、保存されています。
全長270メートルにも及ぶ巨大な船上や、艦橋、射程距離が37キロにも及ぶ主砲など、戦艦の構造を見学するのもさることながら、マホガニーで造られた甲板に、特に見学すべきところが2か所あります。
1つは、甲板右舷(スターボード)の主砲下。1945年9月2日に、ポツダム宣言の履行など定めた降伏文書に、日本政府の全権としての重光葵(しげみつ まもる)外務大臣と、マッカーサー元帥を始めとする連合軍代表が署名した会場で、式の様子を伝える写真なども展示されています。まさに第2次世界大戦が正式に終了した瞬間を伝える場所です。
降伏文書署名が行われた甲板(写真提供:戦艦ミズーリ記念館)
2つ目は、右舷後方。1945年4月11日、終戦が迫る中、沖縄戦に参戦中、喜界島近くを航行中の戦艦ミズーリに一機の神風特攻機(ゼロ戦)が突入した衝撃跡です。右舷の鋼板が衝撃で窪んで、歪んだまま残されています。突入した際の特攻機の翼の一部と操縦していた日本兵の遺体の一部がデッキ上に残りました。米軍から見れば、攻撃を仕掛けてきた敵兵ですが、艦長のウイリアム キャラハン大佐は、敵ながら国のために命をささげた兵士だとして、急ごしらえの旭日旗で覆った遺体を、敬意をもって水葬したとの逸話が残されており、水葬が行われた場所が紹介されています。
特攻機の突入で湾曲した箇所がそのまま残されている(写真提供:戦艦ミズーリ記念館)
戦後70年以上が過ぎ、当時の不幸な出来事を一方の側からだけ見て相手を敵視して紹介するのではなく、双方の国から見て理解を深め、考え直す動きが行われており、艦内には、神風特攻隊の紹介や、日本から贈られた貴重な展示物も見られます。
歴史の事実を忘れることなく両国の次世代に伝えていこうとの動きは重要です。戦艦ミズーリに突入した特攻機についても近年、新しい動きがありました。1999年に発足した戦艦ミズーリ記念館史実調査委員会において、艦に突入した特攻隊員の特定調査が開始され、2001年には、鹿児島県鹿屋基地から飛び立った第5建武隊の一人であろう、との結果が得られました。そして、甲板上に残された機体の一部を日本に返還しようとの動きが起こり、2016年10月に、鹿屋基地資料館と、同じく鹿児島県の知覧特攻平和会館、新潟県長岡市の山本五十六記念館の3館に、甲板に使われていたマホガニーの木で作られた箱に入れて、翼の金属片が贈呈されました。日米が平和交流を進める一つの象徴として紹介しておきます。
船内の、日本の特攻隊を紹介するコーナー(写真提供:戦艦ミズーリ記念館)
さて、戦艦ミズーリ記念館ですが、日本語での案内も充実しており、第2次世界大戦の終結の場所として後世に残すべく、平和教育にも重要な見学場所になっています。
この章のポイント
- 戦艦ミズーリ記念館は、既に日本からの多くの教育旅行参加の生徒と学生も訪れており、平和教育の場としても役立っており、今後も日本からの訪問者が増えて欲しい場所の1つです。
付帯的な情報・発展情報
真珠湾は米軍施設ですので、ミズーリが係留されているフォード島へは一般の通行が出来ません。
戦艦ミズーリ記念館へ行くには、アリゾナ記念館のビジターセンター近く、ボーフィン潜水艦博物館裏手のシャトルバス乗り場から専用バスを利用して下さい。
戦艦ミズーリ記念館では学生などの体験型学習が出来るように、艦内の乗務員居住区に宿泊するプログラムも用意しています。
戦艦ミズーリ記念館は、第2次世界大戦終結70周年を記念して、広島県の呉市海事歴史科学館と「大和ミュージアム・USSミズーリ保存協会 姉妹館締結協定書」を2015年に交換し、姉妹館になっています。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。