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所用時間5min
2018.05.25

アラワイ運河

ワイキキの北側から西側を囲むように造られたアラワイ運河。その橋の上に立つと、右側にはホテルやコンドミニアムの数々、左側にはゴルフコースが見え、正面にはダイヤモンドヘッドの姿が目に入ってきます。遊歩道が整備され、ジョギングや散歩を楽しむ人々で賑わうこのアラワイ運河は、いつ、どういった目的で造られたものなのか、少し歴史を紐解いてみましょう。

アラワイ運河ができる前のワイキキ
古代のワイキキには山々から3本もの川が流れ込み、大きな湿地帯ができあがっていました。現在のワイキキの85%は水で覆われていたと言われています。豊富な真水があり、気温、日照時間共にワイキキは作物の栽培に適した環境だったため、人々はワイキキで主食にあたるタロイモの栽培をはじめ、魚の養殖なども行っていました。1800年代中頃以降は、中国人、日本人などアジア人移民が数多くハワイに入ってきます。そこで、タロイモに並んで、アジア人の主食である米の栽培も始まり、1900年代初頭までには現在のアラワイ運河の辺りに広大な稲の水田が作られていました。現在、米は完全に輸入しているハワイですが、当時はカリフォルニアに輸出するほどの収穫量を誇りました。

Hawaii State Archives

ワイキキに運河が造られた理由
農村としての歴史が長いワイキキですが、ある虫の上陸がワイキキの将来を劇的に変えることになります。その虫とは、水に産卵して増える「蚊」。水田の広がるワイキキは蚊の絶好の産卵場所となり、大変な勢いで蚊が大発生していきます。蚊は熱病を媒介します。その危険性を訴えたのが、当時の衛生局局長ルーシャス・ピンカム氏でした。

運河の建設に関わった重要人物
ルーシャス・ピンカム(Lucius Pinkham)氏は1905年、湿地帯ワイキキから水を取り除き、再開発させるプランの作成を始めます。ちょうどその直前、1901年にはザ・モアナ・ホテル(現モアナ・サーフライダー・ウエスティン・リゾート&スパ)が開業、翌年にはダウンタウンとワイキキを結ぶ路面電車の運行が始まっており、それらが、水田の水を抜きワイキキを観光地化させるアイデアの土台となっていました。1906年に発表されたピンカム氏のプランは、当時は残念ながらどこからも採用されることがありませんでしたが、彼の仕事ぶりに対する評価は高く、後にハワイ準州知事に任命されハワイを支えることになります。ピンカム氏発案のワイキキ開発プランは、彼の支持者による熱心な働きかけにより、1918年、当時のハワイ準州知事チャールズ・マッカーシー氏によって運河の建設の実施が認められ、1921年にようやく着工の日を迎えます。建設はベンジャミン・F・ディリンガムが設立、息子のウォルター・F・ディリンガムが継いだハワイアン・ドレッジング・カンパニー(Hawaiian Dredging Company)が行いました。

運河建設のはじまり
ワイキキの東、ホノルル動物園の前にあたるカパフル通りからアラモアナパークに至るまで、全長およそ2マイル(3.2km)、幅51m~83mと大きな運河の建設が始まりました。現在は泥などが溜まり深さはまちまちですが、施工当時は約3m~7mもの深さで造られています。山からワイキキに流れてきていた川の水は運河に流されるようになり、また、掘り出された土砂を使って水田や池などが埋め立てられ、1924年に一旦工事が終わりとなりますが、さらに拡張する必要があったため、1928年に最終的に運河は完成となりました。出来立ての運河では、人々が魚釣りやボート遊びを楽しむ姿も見られました。

Hawaii State Archives

「アラワイ運河」と名付けた人物

運河の完成が近づく1925年、運河の名前が公募されました。12件の応募があり、Aloha Channel(アロハ運河)、Ka wai lana malie(穏やかに流れる水)、 Manoloa(長い運河)、 Wailana(静かな水)といった名前が寄せられました。選考の結果、当時のホノルル市長John H. Wilson氏の妻Jennie夫人による「Ala Wai」(水の道の意味)に決定となりました。皆さんなら、どんな名前を付けますか?

運河が完成した後のワイキキ
タロ畑や水田は姿を消し、ワイキキ全体で建物の建築が可能になった新生ワイキキの土地の価格は、一気に8倍にも跳ね上がりました。そんな中、1927年には大型豪華客船マロロが就航、同時にロイヤル・ハワイアン・ホテルの開業と続き、ワイキキは観光地として一気に花開いていきます。

1931年のワイキキ近辺の様子 Hawaii State Archives

観光地としてのワイキキにとって、大変重要なのが海の美しさです。ワイキキの北側の山脈や谷では一年を通して降水量が多く、大雨ともなれば山から流れる川は増水し濁流が流れます。その土色の水をアラワイ運河は受け止め、ワイキキの海に流れ込まないようにしてくれています。エメラルドグリーンに輝くワイキキの海は、アラワイ運河が守ってくれているのです。

かつては豊かな農村だったワイキキ。外国から持ち込まれた蚊によって苦しめられた時代を経て、ついに完成したアラワイ運河は、ワイキキの運命を大きく変えました。食によって人々を支えていた時代から、観光地として世界の人々を楽しませる現在のワイキキへ。アラワイ運河沿いを散歩しながら、そのワイキキの変化に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

  • ロバーツさゆり
    Sayuri Roberts
    担当講師

    東京生まれ。筑波大学・比較文化学類にて北米の歴史・文化を学び、英会話スクールの講師等を経て、結婚を機にハワイへ移住。Native Hawaiian Hospitality Association主催の歴史ツアー「Queen's Tour(当時)」に参加し、ツアーガイドの方に、日本語の通訳を頼まれたことから、2004年、ガイドとして登録、研修の上、日本語の歴史ツアーを始める。2006年、「Queen's Tour」の終了を機に、ツアーの継続について主催者の了承を得て、Hawaii Historic Tour LLCを発足、「ワイキキ歴史街道日本語ツアー(当時)」(その後「ワイキキ歴史街道ツアー」に改称)を開始。2007年、「ダウンタウン歴史街道ツアー」もスタート。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディア出演多数。 『お母さんが教える子供の英語』(はまの出版)著者。

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