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アロハフェスティバル
炎天下のパレードでも笑顔を絶やさない参加者たち。どの催事もアロアスピリットに満ち溢れた、ハワイを代表するお祭の1つです。
アロハ フェスティバル
Aloha Festivals
毎年9月、ホノルルでの行事と云えばアロハ フェスティバル
終戦後の1947年(昭和22年)、ハワイアンの人々の中に脈々と伝えられてきた文化を、ハワイに住む人々ばかりでなく観光で島を訪れる人達にも目に見える形で表現し、後世に伝えていこうとの意図でスタートしました。島々への観光者誘致を目的に全米のテレビでも紹介されていた時期には他島でも同時開催され、アロハウィークと云う名で知られていましたが、現在はオアフ島を中心に9月中に開かれるフェスティバルとして継続されています。
毎年、その年の祭を司る王と王妃、王子、王女を選出するのですが、ネイティヴハワイアンの血を引く人達が誇りを持って応募し、その就任式 “ Royal court investiture” からアロハフェスティバルが始まります。最近はワイキキのロイヤル ハワイアン センターの中心、バニース パウアヒ像の前の広場で開催されていますが、ほら貝を吹き鳴らす先導者に続いて、王族の来訪を告げる鳥の羽を付けた棒、カヒリ(kāhili) を持った従者に導かれて王族が入場してきます。その年の王 (ハワイ語でmōʻī kāne) に、王の帽子 (mahiole) とケープ (ʻahuʻula) が着けられ、王妃 (mōʻī wahine) 王子 (kamāliʻi kāne) 王女 (kamāliʻi wahine) にも同様の儀式が行われます。そして前年の王や来賓から、その年の王に贈り物が捧げられます。捧げ物をする人は王に向かって腰を折って頭を下げ、王は軽く会釈するだけで直接受け取らず、一番位の高い家来が王の代わりに捧げ物を受け取ります。日本の古来の習慣を知る人にとっては、とても分かり易い仕草ではないでしょうか。
ワイキキの夜、カラカウア通りを歩行者天国にして特設舞台や屋台を造り、人々が繰り出して楽しむホオラウレア (hoʻolauleʻa) 。この舞台でフラを披露した日本のハラウの方々も居られるでしょう。
そして、フローラル パレード。アラモアナビーチから始まり、ワイキキのカラカウア通りを動物園の前まで進むパレードの主役は、その日の早朝から飾りつけられた生花の山車と、各島を代表する色と花で飾られた馬 (lio) に乗って登場する女性「パウ ライダー」でしょう。パウ (pāʻū「パーウー」と少し伸ばしぎみに発音する)とはハワイの女性が乗馬の際に身につける長いスカートを指します。欧米人が来島してからの歴史ではありますが、牧畜はハワイ文化の1つとなり、カウボーイはパニオロ (paniolo) と呼ばれ、ハワイアンの音楽やフラにも多く登場し親しまれています。
オアフ島を代表するパウライダー
ポリネシアの島々に牛馬は元々棲息していませんでした。馬は19世紀初頭にカリフォルニアから連れてこられたと伝えられています。それまで大型の動物を知らなかったハワイアンの人達ですが、すぐに乗りこなすようになったとか。その後、牧畜の拡大に伴い馬はパニオロと共にハワイ各島で急速に増え、ハワイ文化に溶け込んでいきました。
パニオロの行進
「トムソーヤーの冒険」を書いた米国の作家マーク トウェインが、1866年3月に新聞記者としてカメハメハ5世時代のハワイ王国を訪れています。その旅行中の出来事を記した「レターズ フロム ハワイ」に、ホノルルのダウンタウンのホテルから、ヤシの木の林立しているワイキキをダイアモンドヘッド近くまで、馬に乗って観光に出かけた場面が紹介されていて、パウを身につけた女性の乗馬風景も語られています。
9月にホノルルに行く時には、毎年、月初めにカピオラニ公園で開催されるオキナワフェスティバルとともに、アロハフェスティバルのイベント開催日を確認して計画を立てると、楽しい日程になることでしょう。
アロハフェスティバルは、非営利財団Aloha Festivals により運営されています。
本文で紹介したワイキキでの催事の他にも、ケイキ ホオラウレアなど、関連する行事が各所で行われます。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。