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2018.09.18

ポリネシア航海術

ポリネシア航海術

Wayfinding
 

大海原を渡ってハワイに到達したポリネシア人の航法とは

「ケアライカヒキ」は、ラナイ (Lānaʻi) とカホオラヴェ (Kahoʻolawe) 島間の海峡の名で、“Ke ala i Kahiki” はハワイ語で「タヒチへの道」を意味します。欧米人来島よりはるか昔、ポリネシア人がハワイからタヒチに向けて航海した時、この海域から出発したのかもしれません。

 

ハワイに最初に到達した人達は、太平洋の遥か南、マルケサス諸島から来たと考えられていますが、その時期は、ポリネシア考古学の権威、故篠遠喜彦博士の説では、紀元後600年前後。最近は、それより数世紀遅かったのでは、との説も聞かれます。
その後、紀元後千年頃から千3百年頃まで(篠遠博士説)、大海を隔てて4千キロ以上も離れているタヒチとハワイの間には双方向の交流があったと考えられています。

ポリネシアの島々と、マルケサス諸島(ビショップ博物館の以前の展示物より)

ハラ(hala=パンダナス)の葉を編んで作られた帆を張った木製の双胴カヌーで、タヒチとハワイの間は片道1か月ほど。天候に左右されながらも、語り伝えられてきた方法で航海を続けました。羅針盤やGPSなどの道具があったわけではありません。陸地が全く見えない海上で自分の位置を知るのに一番役立ったのは夜空に輝く星でした。悪天候で星や月、太陽が見えない時でも、風向きや海流、うねりなどから方位を見出し、目的の島が在ると伝えられてきた方角に舵を取りました。
島が近づいてくると、陸に住む鳥が朝は沖合に、夕方は陸に向かって飛んでいきます。陸地の植物も流れてくるでしょう。島に近づくと潮の流れが変わり、島がまだ見えない距離に居ても、その存在を示す雲が見えるのだそうです。

 

太平洋に広がる島々の位置は、それぞれの頭上を通る星と関連付けて伝えられていました。ハワイ諸島が位置する北緯20度付近では、オレンジ色に輝く牛飼い座の1等星アルクトゥルス=ホクレア (Hōkūleʻa) が頭上を通り、北斗七星(ハワイ語の名は、7を表す Nā Hiku)の柄を同じ長さの分、伸ばすと見つかります。
ホクレアのhōkū はハワイ語で星、 leʻa は幸福や嬉しさ、楽しさを意味し、「幸せの星」のような意味合いを持っています。

南緯17度付近のタヒチでは、地球上から一番明るく見える恒星、おおいぬ座の1等星シリウス (ʻAʻa) が島々の真上を通ります。
そして、北半球の貿易風地帯に位置する、ハワイでは北東から、南半球のタヒチの島々では南東から風が吹いていますので、風上に回り込んで貿易風を捉えて目的の島に到達しました。

 

何らかの理由で地球上の気温が若干下がって洋上の天候が悪化したためなのか、その理由は分かっていませんが、ハワイとタヒチ間の往復航海はその後途絶え、ネイティヴハワイアンの人達はハワイ8島間の移動より遠くへの航海術を後世に伝えること無く、その手法は忘れ去られていきました。

 

その後6百年以上の歳月が流れ、1970年代になり所謂ハワイアン ルネッサンスが胎動し始めた頃、忘れ去られていた古代のポリネシア航海術を復元しようとの動きが起こり、1973年にポリネシア航海協会 (Polynesian Voyaging Society) が設立されました。
六分儀など、道具や器械を一切使わずに大海を渡り切れるか、種々の計画と試行錯誤が繰り返され、1975年にオアフ北東部のクアロアの海岸で、複製のポリネシア双胴カヌーが組み立てられ、ハワイ諸島を象徴する星の名を取って、ホクレア (Hōkūleʻa) と名付けました。そして何度となく実験航海と失敗を繰り返したホクレアは、1976年にハワイからタヒチまで、古代の航法での航海を、悪天候や雲、凪に悩まされながらも、成功させたのです。

 

ホクレア号の模型(ビショップ博物館の展示物より)

この快挙に貢献した人や乗組員の名を挙げれば枚挙にいとまがないのですが、先ずはナイノア トンプソン (Charles Nainoa Thompson) とマウ ピアイルグ (Pius “Mau” Piailug 、ピアイルクとも云われる) の2人を紹介します。
マウはミクロネシア、カロリン諸島サタワル島の人で、ハワイで忘れ去られていた古来の航法を、口承やチャントを通して会得していた人で、彼の存在なくしてホクレアの航海は成功しなかったでしょう。ナイノアはマウに師事し、2人でビショップ博物館のプラネタリウム、夜明け前のオアフ東部の岩場や海上に足繁く通い、その知識と助言を基に、星や風、うねりと波や海流、毎日西へ位置を移していく星座の動きなどを習得し、道具を使わない航法を身に着けていきました。そして、このような手法で海上の進路を保つ手法を ”wayfinding” と名付けました。古代の航法にどれだけ近いものになったのかは、誰にも分からないのですがーー。


実際のところ、大海の真っただ中で船の位置を知ることは容易なことではありません。ある星が自分の真上を通っているかを目測で正確に測ることは不可能にちかいことです。多くの星の組み合わせを覚え、東の水平線から登ってくる時点や西に沈む時の様子を見極めることにより、自分の居る緯度を知る方法を見出していきました。

ハワイ島ヒロ湾に停泊中のホクレア号(2018年4月)

ホクレアはその後、タヒチの他、クック諸島のラロトンガ、ニュージーランド(マオリ語で Aotearoa) 、トンガやサモアなど、ポリネシアの島々への航海を成功させ、2007年には、マウの故郷のミクロネシアから日本への航海、そして2014年からは世界一周も成し遂げました。
自然を熟知するばかりでなく、ハワイアンの人達が大切に思う「クレアナ」 (kukeana) =それぞれの責任感を全うする心が、クルーのひとりひとりにあっての成功でした。

 

ホクレア号の世界一周航路(ビショップ博物館の、以前の展示物より)

この章のポイント

  • ホクレア号は、ポリネシア人が大海を移動し他の島に渡っていった航海の再現に成功しました。そして、自分達の祖先が、単に島々に流れ着いたのではなく、自然を熟知した航法を巧みに使い、目的と技術を持って他の島に渡って来たことも証明しました。

付帯的な情報・発展情報

故篠遠喜彦博士は、渡り鳥が飛んで来る、そして帰って行く方向の彼方には必ず陸があると考えるのは当然のことだ、と常々云っておられました。そして人間には冒険心がある、とも。

この画面上部の太平洋図は、故篠遠喜彦博士による「ポリネシア人の移住経路」、ポリネシア人がどのように太平洋を移動し、ハワイに到達したかを示す図です。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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