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2018.11.09

ジョージ・ムカイ氏のインタビュー④

ここがポイント

「親が強制収容されないために、私は軍に志願しました」そう第442連隊に志願した理由を語ったジョージだが、戦場で片足を失い、ハワイ島に戻ったジョージを待っていたのは・・・。

戦争の記憶

脚を失ってからヒロに戻ると ・・・ ジョージ・ムカイ(ハワイ島ハカラウ生まれ)


イタリアのゴシックラインで脚を失い、入院していた野戦病院からアメリカ本土に戻る時に、まずはフロリダの陸軍病院に入りました。
それから出身地のハワイに戻りたいかと聞かれましたが、「残念ながらハワイの病院には十分な環境と空きが無いから、アメリカ本土の病院になる。西海岸か東海岸の病院のどちらが良いか?」と聞かれました。西海岸は強制収容もありましたから嫌だったため、東海岸のリッチモンドの病院に1年入院しました。それからワシントンDCの病院で義足のトレーニングを半年しました。それから除隊の話になりましたが、入隊し最初に指令を受けた場所でしか除隊が出来ませんから、ワシントンDCでは無理でしたので、ハワイに戻る必要がありました。その話を母にすると「陸軍の飛行機は墜落事故を起こしているから絶対に列車にしなさい」と言われ列車で西海岸まで戻り、船に乗ってホノルルに戻り病院に入りました。そしてそこで除隊の指令を受けました。1946年の8月です。


ホノルルからヒロに戻った際に、私は大歓迎を想像していましたが、実際には、母と妹しか迎えに来ていませんでした。
父の姿が無かったのは、やはり私が相談もせず勝手に軍に志願してしまったことを怒っているのだと思いました。

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