講座詳細
アロハシャツ
アロハシャツ誕生の背景には移民の服飾文化の影響も
- 初期のアロハシャツには着物地も多用された
- 世界的に注目を集めたのは、ハワイへの観光客が増えた第2次大戦以降
- 1960年代にはアロハシャツがハワイのビジネスシーンに定着した
元祖アロハシャツ? パラカ
ゆったりとした着心地、南国らしい絵柄が魅力のアロハシャツは、楽園ハワイの象徴とも言えるもの。男性の正装でもあり、ハワイのビジネスマンはネクタイ&スーツに代わり、アロハシャツを着用します。冠婚葬祭の場でも立派に通用する、ハワイの第一級の装いと言えるでしょう。
アロハシャツ生誕の物語には諸説がありますが、そもそもの原型は、英米の船員により1800年代初頭にハワイにもたらされたフロックシャツとも、サウザンドマイルともされています。どちらもしっかりとした縫製で仕立てられた作業服で、デニムのパンツとともにハワイの労働者の間に広まりました。
うちフロックシャツは(フロックが訛って)ハワイ語でパラカシャツと呼ばれるように。今では、以前フロックシャツの代表的な柄だった格子柄のシャツが、パラカシャツと呼ばれています。
アロハシャツの原型? パラカシャツは今もハワイで買える
アロハシャツとの命名は1930年代
洋装が始まった当時のハワイでは格子柄、または無地のシャツが一般的でしたが、移民がハワイにやってきた1860年代以降、日系や中国系など、自国の布地を使ってシャツを仕立てる店がホノルルに次々に登場。たとえば日本の浴衣地で作ったシャツ、サモアのカパ紋様のシャツなど、アロハシャツの前身といえそうなものが1920年代までに多数出現しています。
そしてアメリカ西海岸からクリッパー(長距離飛行艇)がハワイに飛び始め、観光客が増え始めた1935年には、ホノルルの武蔵屋が、広告で初めてアロハシャツという言葉を使用しました。翌年、ホノルルの中国系移民2世でエール大学卒の才人、エラリー・チャンが、アロハシャツとの名を正式に商標登録しています。当時エラリー・チャンが多用したのが、日本の着物地でした。
アロハシャツの需要は、観光地としてのハワイ人気が飛躍する第二次世界大戦後に大幅に伸び、その頃には、南国の絵柄のアロハシャツがどんどん作られるようになりました。戦前から日本で染められた南国柄の生地はハワイに入ってきていましたが、50年代以降はハワイでも多彩な生地の量産がスタート。アロハシャツ生産の安定にもつながっていきました。
ドラゴンをモチーフにした中国風アロハシャツ
ローカルのビジネスマンにアロハシャツ着用の伝統が定着したのは、1960年代。アロハシャツ製造業界が「金曜日にはアロハシャツを着よう」というアロハ・フライデーを奨励するキャンペーンを始め、60年代末までには金曜日に限らずアロハシャツが、ハワイのビジネスシーンに浸透したのでした。
今もハワイでは、オリエント柄やカパ紋様からエキゾティックな南国の絵柄、裏地使い、初期のアロハシャツの復刻版など、様々なデザインが手に入ります。女性用のアロハシャツもそれは多彩なのが、嬉しいところです。
初期のアロハシャツ(ビンテージ・デザイン)の復刻版(左)とカパ紋様のアロハシャツ(右)
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森出 じゅんJun Moride担当講師
【インタビュー動画あり】
オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex