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2019.02.06

ホノルルフェスティバル

ホノルル フェスティバル

Honolulu Festival

毎年3月、太平洋の中心ホノルルに様々な文化が集結します。


4半世紀に渡り毎年3月に開催されているホノルル フェスティバルの基本テーマは「パシフィック ハーモニー」。太平洋の中心(ハワイ語で piko )ホノルルの立地を生かし、環太平洋の異文化交流と相互理解を実現してきました。

ホノルル フェスティバル グランド パレードに参加の地元ホノルルの高校生 (写真提供:ホノルル フェスティバル財団)

3月第2週の土日、ハワイ コンベンション センターやワイキキで開催される文化交流の祭典には、フラやハワイアン キルトなどのハワイ文化に加え、それぞれのルーツの文化を継承するハワイ在住の人々、太平洋諸国や地域からも多数が参加。参加者の国や地域は、ポリネシアとマイクロネシアの島々、日本、フィリピン、中国、台湾、韓国などのアジア各地、米本土、アラスカ、カナダ、オーストラリアなどの環太平洋ばかりでなく、欧州、日系人も多く住むブラジルなどにも及び、それぞれ固有の文化を披露しています。

ホノルル フェスティバル参加のアン藤原さんのキルト (写真提供:アン藤原)

日本からは、地域の文化を伝承する沖縄や北海道のアイヌの人達の参加が特に目を引き、アイヌの人々とアラスカンネイティブの人々が同時に参加し、即興でお互いの踊りの輪を作ったこともありました。

ホノルル フェスティバル グランド パレード参加のフィリピンから参加のチーム (写真提供:ホノルル フェスティバル財団)

一同に会する異文化を一般参加者に楽しんでもらうばかりでなく、ホノルル フェスティバルの重要な目的の1つに教育プログラムがあります。一般公開を前に、金曜日に多くの生徒、学生がコンベンション センターに集まり、音楽やダンス、物づくりなど、実際に太平洋各地の文化に手を触れて体験してもらうプログラムが行われ、毎年オアフ各地から多くの若者が学校単位で参加しています。

又、ワイキキに来ることも稀な他島の若者にもその機会を提供すべく、マウイ神輿デザインコンテストが行われています。マウイ島の高校生から神輿のデザインを募集。優秀校の生徒を毎年ホノルルに招待し、カラカウア通りでのパレードで創作神輿を担いで披露する、他島の若者にも異文化体験をしてもらう恰好の機会になっています。
日本からの参加型教育旅行や、英語での会場案内などを体験する学生ボランティアの参加も年々増え、異文化学習に楽しく勤しんでいます。

教育プログラムで日本の習字を体験する地元ホノルルの生徒 (写真提供:ホノルル フェスティバル財団)

フェスティバルは日曜日の夕刻、ワイキキのカラカウア通りで行われるグランドパレードで幕を閉じますが、2012年からはワイキキ沖で打ち上げられる長岡花火が人気を集め、夜のワイキキ海岸が見物の人々で埋め尽くされます。

ホノルル フェスティバル グランド パレード、先頭のバナーと、それに続く米合衆国カラーガード (写真提供:ホノルル フェスティバル財団)

 

さて、第1回ホノルル フェスティバルが開催されたのは1995年(平成7年)3月でした。グランドパレードには、神輿や登別温泉鬼みこし、二本松ちょうちん祭の巨大な山車など、日本を代表する各地の祭りが集結しました。
このイベントのそもそもの発端は、日系人が多く住み且つ米本土からの観光客も多く滞在するホノルルで日本文化を大々的に紹介しようとの思いでした。日本ハワイ間の航空旅客のほとんどが日本からハワイを訪れる人達で、ハワイから日本への旅客は少ないのが実情です。何とか訪日客を増やそう、その為には日本のお祭りや文化を実際に身近に見て日本への関心を高めてもらおうとの考えから日本航空とJTBが中心になり数年間準備を進め、ホノルル フェスティバル委員会を設立。1994年にはハワイ日本文化センターの新しい建物の完成を祝い、浅草で造られた新しい神輿がホノルルでお披露目されました。


その後、ホノルル フェスティバルは回を重ねるにつれ日本文化紹介から脱皮し、地元に根を降ろした環太平洋の文化の祭典として発展。2000年10月にはホノルルに非営利財団 “Honolulu Festival Foundation”(ホノルル フェスティバル財団)が設立されました。その目指すところは異文化相互理解の促進、経済の協調、そしてハワイと日本間を主にアジア太平洋地域の人々の融和を図ることです。
ハワイ州、ホノルル市や各国総領事館の積極的な協力も得て現在に至っています。

ホノルル フェスティバル グランド パレード参加の舞龍団 (写真提供:ホノルル フェスティバル財団)

ホノルル フェスティバル最後にワイキキ沖で打ち上げられる長岡花火 (写真提供:ホノルル フェスティバル財団)

この章のポイント

  • ホノルル フェスティバルは、環太平洋の異文化交流と相互理解の促進を目的としていますが、太平洋の中心に位置し交易の中継基地や捕鯨、砂糖産業で栄えてきたハワイの歴史の中で培われた異民族間の文化融合がその基盤になっています。

ホノルル フェスティバルのロゴ

付帯的な情報・発展情報

ホノルル フェスティバルのロゴは、洋上に上る太陽、ダイアモンドヘッドとヤシの木、そして稲穂と鳩が描かれており、ハワイと日本、アジア太平洋地域の人々の文化交流を象徴し、この催事の趣旨を表しています。

長岡花火は元々長岡市での空襲で亡くなった人々を追悼する花火で、迫力と美しさと共に平和を願う意図が込められています。ホノルル フェスティバルでの打上げでその意義がより理解され、戦後70周年の節目、2015年8月14日(日本時間15日)には真珠湾フォード島で長岡花火が打上げられました。

2004年には、第10回ホノルル フェスティバルで、マシュー ペリー提督との間で日米友好条約が結ばれてから150年を記念し、ペリーの5代目を招待して日米友好セミナーを開催。その後もジョン万次郎の5代目と彼らを鳥島で救助した捕鯨船の船長の5代目を招くなど、日米間の歴史を紐解くセミナーが開催され、東日本大震災の翌年には日布双方の行政や研究者が集まり、海洋浮遊物への対応と協力がホノルル フェスティバルの場で話し合われました。

戦争の犠牲者の追悼と平和を祈り、長岡花火では初めに白い尺玉が3発、打ち上がります。 (写真提供:ホノルル フェスティバル財団)

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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