講座詳細
古代ハワイの食事情
古代の生活で食を得ることは自然との闘い。飢饉すらあった
- 楽園ハワイのイメージは古代の食事情に関する限り、当てはまらない
- 食を得ることには大変な労力がいり、そのため食べることは、神に感謝を捧げる宗教的意味合いも強かった
ハワイ=食のパラダイスではない
四方を海に囲まれ緑も濃いハワイ。海の幸、山の幸が潤沢で、昔からハワイアンは山のような御馳走に囲まれ、毎日のんびり暮らしていた―といった印象を抱く方も多いかもしれません。ですが「御馳走に囲まれた楽園ハワイ」の構図は、近世に創りあげられた幻想ともいえるもの。古代ハワイの食生活とは、かけ離れたものです。
気候温暖なハワイでも、素朴な古代の生活の中で食糧を得ることは、当然、骨の折れる作業でした。食物の収穫には時間がかかり、その過程は気まぐれな自然との闘い。海が時化て漁に出られない日もあったでしょう。旱魃が続いたり、害虫で作物が全滅する年だってあったはずです。ほかの土地と同様、古代ハワイでの食生活も素朴で、食糧は些少でした。
古代ハワイの主食はタロイモで作るポイでしたが、タロイモの取れない土地の場合はサツマイモやブレッドフルーツでポイを作り、代用することもありました。薬効で知られるノニもその実は臭く苦味があり、ふだんは食用ではありませんが、飢饉の場合は食された模様。漁でも、魚ごとに禁猟シーズンが設けられ、掟を破れば厳罰が待ち受けていたそうです。
タロイモを練りつぶしポイを作るハワイアン Photo Courtesy of Hawai‘i State Archives
事実、古代のハワイでは飢餓に対する恐怖も強かった様子です。飢饉に関わる伝説がいくつも残っていますし、伝説上のナビゲーターで王族のマカリイも、豊作の年には島中に伝令を送り、余った作物を集めたとか。もちろん不作の年に備えて貯蔵するためです。またハワイ文化の大御所、故メリー・カヴェナ・プクイの郷里であるハワイ島カウ地区でも、人々は不作の年や戦争に備え、サツマイモを干して洞窟に蓄えていたそうです。
食べることは神との饗宴。宗教的な意味も強かった
このように食の問題は古代ハワイで大変大きかったため、食べることは宗教的な意味を強く持つ行為でもありました。神々に供物を捧げるのはもちろん、それに加えて、宴会は社交イベントであると同時に(神と一緒に食すという)宗教儀式のような意味合いも帯びていました。十分な日々の糧を得られるか否かは、全て神の思し召し。そう考えると、古代ハワイでの「食」が宗教と強く結びついていた理由が、おのずとわかるような気がします。
そんな古代ハワイで、よく言われるように「美人の条件は太っていること」だったのは事実です。太めであることは美の条件だっただけでなく、社会的なステータスでもありました。なので娘が痩せていれば、母親は心配して何とか太らせる努力をしました。
ただし、それが男性となると話は別。古代ハワイで男性は、あくまでも戦士でした。戦場で役立たないほど太ることはタブーだったため、王族の場合、時には食べることに代えてカヴァ酒を飲み、減量もしたということです。
ブレッドフルーツにも悲しい飢饉の伝説が残る
タロ畑。タロイモは大昔からハワイアンの生活を支えてきた
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森出 じゅんJun Moride担当講師
【インタビュー動画あり】
オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex