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ハワイ島の通りの名(その2)
ハワイ島の通りの名(その2)
Island of Hawai‘i street names ( Part 2 )
ハワイ島(モク オ ケアヴェ)を一周する道の名は「ママラホア」
ハワイ島には、島を一周する道が在り、ハワイ ベルト ロードと云う名と共に、ママラホア ( Māmalahoa ) ハイウエイの名が付けられています。
「ママラホア」は、ハワイ島東部プナ ( Puna ) の海岸での戦いで、櫂を壊しながらもカメハメハに挑んだ漁夫を、後にカメハメハが許したと云う故事を、人々が教訓として言い伝えてきた言葉です。
民衆が協力してハワイを守ろうとの意味が込められていて、カメハメハ大王が発したとされる、ハワイ王国に忠誠を誓い守るための皆の責任=クレアナ ( kuleana ) を説いた言葉とも解釈されています。カメハメハ5世やクヒオ王子も、この大王の言葉を引用して国法を制定したり、言及したりしていますし、ハワイ州憲法のある項目の根拠としても引用されています。
カヌー ( ヴァア waʻa ) の「櫂」をホエ ( hoe ) と云い、ママラ”ホエ”を直訳すれば「櫂の破片」とか「割れた櫂の一部」になるのでしょうが、「ホエ」と、友人や仲間を意味する「ホア」 ( hoa ) の音を掛け合わせてママラホアとして、クレアナの意味合いを持たせたのでしょう。
島の東側、ヒロの町からママラホア ハイウエイを真っすぐ南に進むとキラウエア火山国立公園から、島の最南端近くを廻ってコナ方面へ。
ママラホア ハイウエイをヒロから南へ
北に向かってはマウナケア ( Mauna Kea ) の山裾を東から北へ回り込むように道が延び、島の北部のハマクア ( Hāmākua ) やホノカア ( Honokaʻa ) までの間には、ラウパホエホエ ( Laupāhoehoe ) の町など、以前砂糖キビ耕地が広がっていた地域が続き、今も日系人の心の拠り所になっている仏教寺院が在ったり、そこに入植した日本からの移民の歴史が色濃く残っています。
ママラホア ハイウエイをヒロから北へ
因みに、ラウパホエホエの、パホエホエ ( pāhoehoe ) は、ハワイの火山から流れ出る粘性の低い溶岩の中でも特に柔らかく、冷えたあとの岩の表面が滑らかなものを云います。
この道から更に北へ進むと、ホノカアの町から更に北西へ、ホノカア ワイピオ ロードが延び、ハワイ島の歴代アリイ ( ali’i=首長 ) の歴史と共に、ネイティヴハワイアンの共同生活地域アフプアア ( ahupuaʻa ) の自然の形が残るワイピオ ( Waipiʻo ) 渓谷へと続きます。
ワイピオ
ママラホア ハイウエイは島を大きく1周する道路ですが、島の最西端、コナ国際空港や、その北に開発された幾つかのビーチリゾートに面する幹線道路にはカアフマヌ妃 ( Kaʻahumanu ) の名が付けられていて、ママラホアの名が見当たりません。(ハワイ島の通りの名 その1 参照)
島を1周する道路は、ヒロからマウナケアの北側を西に回り込んだ後、パーカー牧場が広がるワイメア( Waimea ) の町から西の海岸には下りず、マウナケア西側の標高の高い裾野を南に下り、細い道になり、コーヒー農園の中を走っています。そしてカイルア コナの山側を通り過ぎ、ケアウホウの南、キャプテンクックと云う地名のあたりで、コナ空港から海沿いを通りカイルア コナを走ってきた道と合流します。この山側を通る細い道が、以前から在った島を一周する旧道であったことが窺えます。
更にママラホア ハイウエイを南に進むと、キャプテンクックの次の町はケアラケクア ( Kealakekua )。 海に通じる曲がりくねった細道を下りていくと、クック船長率いる2隻の探検船が1779年1月から1ヶ月弱越冬のために寄港していた湾に出ます。クックがネイティヴハワイアンとのもめ事で命を落としたところでもあります。
ケアラケクア湾に在るクック船長の碑
ケアラケクアの keは単数の定冠詞、 alaは道、 keも単数の定冠詞、 kuaは神 ( akuaに同じ)を意味し、直訳すると「神の道」。
欧米化する前のハワイでは、10月か11月になり、日没後に東の水平線上にスバル星団 ( Makaliʻi ) が見えた日から3~4ヵ月ほどの期間をマカヒキ ( Makahiki ) と呼び、その間は平和や豊穣を司るロノ神 ( Lono ) が遠い海の向う ( kahiki ) から来ると信じられており、ロノが支配するこの冬の季節には、争いを一切行わない習わしがありました。
ロノの神が海からハワイ島に上がり、その象徴が島を時計回りに廻り、又、海に去っていく場所がケアラケクア湾でしたので、ハワイ島に住むネイティヴハワイアンの人達にとってケアラケクア湾が如何に神聖な場所であったかが分かります。海辺にはヘイアウ(祭祀場 heiau)の石組が今でも残されています。
ロノ神の像の複製。白いカパ( kapa 布のようなもの)がたなびき、ロノの化身 ( kino lau ) であるアホウドリ(アルバトロス)が付けられている。(ビショップ博物館の展示物より)
ところで、ハワイ島には4千メートル級の2つの活火山、マウナケアとマウナロアの間、標高2千メートルを超える高地を貫く、サドル ロードと云う道があります。馬の鞍に見立てた道の名です。
サドル ロードから見上げる山は、気性激しく溶岩を流す火山の女神ペレと、雪を降らしてそれに対抗するポリアフの女神が互いに競う神話の世界でもあります。
サドルロードからマウナケア山頂への道への分岐点
サドル ロードは、ヒロから曲がりくねった急坂を登り、マウナケア山頂に登る道の付け根を通り、西のワイコロア ( Waikoloa ) に向かって又、急坂を下りて行きます。
東側は強い貿易風の影響を受け、時には10メートル先も見えないような濃い霧の中を進まなければなりません。
西側は、ワイコロアに向かう牧場の中を通る、舗装も崩れた細く曲がった険しい急坂を通らざるを得ず、車の運転も危険な道だったのですが、2009年に広い安全な道に切り替えられ、ハワイ州選出上院議員であった日系2世の名を冠し、ダニエルKイノウエ ハイウエイと名付けられました。
ダニエルKイノウエ ハイウエイの道路標示
この章のポイント
- ハワイ島の東、ヒロと、西のコナの町を結ぶ道路は、北回りと南回りのママラホア ハイウエイと、島の真ん中を通るサドル ロードが在りますが、それぞれ距離が長いものの、どのルートも異なる風景と共にハワイの歴史と文化が楽しめる道です。
付帯的な情報・発展情報
冬の時期「マカヒキ」にロノ神が遠い海の向う「カヒキ」 ( kahiki=大海の遥か彼方と、 Kahiki=ハワイアンの先祖が住んでいたタヒチ、の2つの意味がある) から現れるとの言い伝えと、その象徴が時計回りに島を一周する風習はハワイの島々に共通したようですが、マカヒキの始まる日の決め方は、島により、地域により、違いがあったようです。
マカヒキは年の初めとも考えられ、ハワイ語で「年」や「歳」もmakahiki と云います。
2回に分けてハワイ島の通りの名を紹介しましたが、大きな島の一部でしかありません。
コナ空港から北へ、カメハメハが8島統一前に造ったプウコホラー ( Puʻu Koholā ) ヘイアウの在るカワイハエ ( Kawaihae ) や、ハワイ島の最北端ハヴィ ( Hāwi ) と、大王の像が建つカパアウ ( Kapaʻau ) 周辺については記載を割愛しました。他の章を参照下さい。
関連コンテンツ
⇒マカヒキ
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。