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悪名高き銃剣憲法
ハワイ王国崩壊の下地を作った憲法とは?
武力の脅しによって成立した憲法
カラカウア王時代の1887年7月。ハワイ史上、悪名高い新憲法が成立しました。カラカウア王は武力の脅しによってその新憲法発布に署名させられたため、ハワイでは銃剣憲法Bayonet Constitutionとの名で知られています。それは1864年に発布された憲法の改悪版で、国王の権力を大幅に奪い取り、国王をお飾りのような立場に貶めるものでした。
新憲法の内容は国王とハワイアンにとって、実に屈辱的なものでした。ほんの一例ですが、憲法の改正は国王の承認を得ずにできるとしたり、行政権という国家最高権力を国王と内閣の双方に与えたり。軍隊の最高司令官も、新憲法では国王ではなく、議会に与えられることになったのです。
1881年に日本を訪問した際のカラカウア王(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)
選挙権についても大幅な改悪がありました。ハワイ王国市民に加えて、外国籍の男性住民にも選挙権が与えられることになったのです。それもアジア系移民は排除し、欧米系の移民にだけという偏ったものでした。
さらに選挙資格に収入や資産に関する資格を設けたので、ハワイアンの多くが選挙権を喪失する結果に。そのため、富裕なビジネスマンなどごく一部の白人勢力がハワイを牛耳るきっかけになった、呪われた憲法なのです。
そんな背景から6年後の1893年、カラカウア王の跡を継いだリリウオカラニ女王は、銃剣憲法を是正しようと新憲法の設立を画策。それがきっかけとなって白人勢力が蜂起し、ハワイ王国が崩壊しました。いわば王国崩壊の下地となったのが、銃剣憲法といえるでしょう。
Photo Courtesy of Hawaii State Archives
銃剣憲法成立の背景にあったもの
これほど屈辱的な憲法を、なぜカラカウア王は受け入れたのでしょうか。武力の脅しがあったにしても? …誰もが抱くこの疑問については、リリウオカラニが自伝の中で詳細に説明しています。
リリウオカラニによれば、銃剣憲法成立の背景には、キリスト教宣教師の子供や孫を中心とした政党、改革党(旧宣教師党)がありました。改革党は刻々と王国を転覆する計画を進めており、当時、カラカウア王の暗殺計画まで持ち上がっていたそうです(以下、リリウオカラニの自伝より)。
その頃のカラカウア王は敵の監視下にあり、夜の外出時には常に尾行されていたとか。事実、「改革党の主要メンバー5人から、くじ引きでカラカウア王の暗殺係も選ばれていた。もしその実行犯が怖気づかなければ、王は暗殺されていただろう」とリリウオカラニ。王を暗殺してハワイ共和国を樹立し、そのままアメリカに併合―という、青写真ができ上っていました。
ワイキキにあるカラカウア王の銅像
その後、計画が軌道修正され、改革党は暗殺を遂行する代わりに王国を合法的に牛耳るため、新憲法をカラカウア王に押しつけることに。まずはカラカウア王に圧力をかけて内閣を総辞職させ、改革党の代表メンバー5人を閣僚に指名させることに成功します。
実は改革党では、カラカウア王を排除したあかつきに共和国の憲法として発布する草案を、すでに用意していました。そこに急いで手を入れ、ハワイ王国の新憲法としてカラカウア王に署名させたのです。つまり銃剣憲法は、改革党メンバーによって書かれたもの。…その事実を知ると、なぜ銃剣憲法で国王の権限がことごとく覆されているのかが明白になってきます。
カラカウア王時代の首相、ギブソンの末路
具体的にはカラカウア王に対し、どんな武力の脅しがあったのでしょうか。署名の席で銃を突きつけられた…と描写する人もいますが、真相は不明です。ですがその場で、改革党のメンバーから「もし署名を拒否するなら」という脅しがあったことは判明しています。
しかも私達は、銃剣憲法成立の直前、カラカウア王の右腕で首相だったウォルター・ギブソンの身に何が起こったかを知ることで、その時の状況を推し量ることが可能です。
ウォルター・ギブソン(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)
ギブソンは1861年にハワイ入りしたアメリカ人。元はモルモン教宣教師でしたが、新聞社経営などビジネスで成功を収め、カラカウア王の信頼を得て、1882年から外務大臣や首相を歴任します。ですが政権を取り巻く不穏な空気の中、1887年6月末に内閣が総辞職。ギブソンも政権を離れています。
その直後、改革党の息のかかった武装集団によって家から連行され、ホノルル港脇の建物に監禁されました。そこにはすでに絞首刑用の縄が吊るされており、ある著名な宣教師の息子が先導して「吊るせ! 吊るせ!」の大合唱が湧きあがったそうです(リリウオカラニ女王の自伝より)。
同時にギブソンの自宅が徹底的に調べられましたが、ギブソンを死刑にするための証拠は見つかりませんでした。結局、ギブソンはサンフランシスコ行きの船に乗せられ、7月5日にホノルルを出立。カラカウア王が新憲法に署名したのは、まさにその翌日のことでした。
カラカウア王の王座(イオラニ宮殿内)
自分の右腕だったギブソンに何が起こったかを知り、過激な改革党メンバーに取り囲まれながら、新憲法に署名したカラカウア王。カラカウア王への具体的な脅しについて、今となっては知る由もありませんが、少なくとも署名の際のカラカウアの心理状態は、容易に想像がつくというものです。
こうした事実を鑑みるに、ハワイ王国の崩壊は、リリウオカラニ女王が退位した1893年1月ではなく、1887年7月に銃剣憲法が成立した時点ですでに始まっていたということが見えてきます。ちなみに前述のギブソンは、ホノルル出立から数か月後、サンフランシスコにて死去しています。
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森出 じゅんJun Moride担当講師
【インタビュー動画あり】
オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex