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2019.11.01

アリゾナ記念館

アリゾナ記念館

USS Arizona Memorial

毎年12月のホノルルで思い起すこと

12月のホノルル。
毎年恒例のホノルルマラソンは完走が目的で時間制限が無く、世界中の市民ランナーに喜ばれる大会に成長しました。
そして、11月末の感謝祭 ( Thanks Giving Day ) の休日以降、クリスマスまでは絶好の買物シーズン。

毎年12月のホノルルマラソン前からホノルルハレ(ホノルル市庁舎)前に飾られるサンタクロース

同じ時期に、もう1つ大切な行事行われます。それは12月7日早朝に行われる真珠湾攻撃追悼式典です。

2017年の真珠湾追悼式典プログラム

日本帝國海軍による真珠湾攻撃。日本では1941年(昭和16年)12月8日未明のことでしたが、19時間の時差があるハワイ準州のホノルルでは現地時間7日、日曜日の朝。パールハーバー(真珠湾)、フォード島に駐機していた航空機と、島の周囲に係留されていた米国海軍の多数の艦船が攻撃を受け炎上、多くの乗組員が死傷しました。
アリゾナ記念館の情報によれば、15分ほどの攻撃で戦艦アリゾナだけで1177名の兵士が亡くなりその内900名以上が今も艦内にそのまま残されています。

アリゾナ記念館

真珠湾に在るアリゾナ記念館はその名のとおり、真珠湾攻撃を受けて沈没した戦艦アリゾナ ( USS Arizona ) を記憶に残し、亡くなった兵士を慰霊するための施設です。
真珠湾攻撃を後世に伝えるべく、その内の1隻、フォード島の東側で沈没した戦艦アリゾナを12メートルほどの海中にそのまま静態保存し、1962年に記念館がその船体中央をまたぐように造られました。

アリゾナ艦上の記念館には、ビジターセンターで真珠湾攻撃当日の様子を伝えるビデオを見た後に米国海軍が運航する船で往復します。

アリゾナ記念館とビジターセンターを往復する米国海軍のボート

以前、アリゾナ記念館のビジターセンターに在る真珠湾攻撃を伝える展示は、多大な被害を被った米国側からの視点で作られていました。それが戦後70年を迎える頃から変化し、現在は、当時の日本側の状況や日本の元兵士の証言も紹介されるようになりました。

日本帝國海軍、山本五十六長官の生地であり、米国の空襲を受け1500名近くの人々が亡くなった新潟県長岡市と、真珠湾攻撃を受けたホノルル市が、姉妹都市提携の調印をしたのが2012年(平成24年)でした。

両市が文化と教育の交流を地道に続けてきた結果、姉妹都市締結に至るのですが、両市の間では学生の相互訪問などの他、アリゾナ記念館と長岡市に在る山本五十六記念館と長岡戦災資料館の間で、学芸員の相互交流も行われ、それぞれの記念館を訪問し展示内容を理解しあうようになり、自国の視点からのみ歴史を見るのではなく、双方の視点から物事を理解すべき、との機運が高まっていきました。

現在では、アリゾナ記念館のビジターセンターに在る展示場で、山本五十六長官が個人的には米国との戦いを望んでいなかったことが紹介され、日本側の元兵士の証言ビデオも流されています。一方、長岡市の山本五十六記念館では、アリゾナ記念館との交流などの紹介が行われています。
(注:2024年現在アリゾナ記念館と山本五十六記念館双方の展示は一部変更されています。)

毎年12月7日朝に行われる真珠湾記念式典でも、テーマや、そこで行われる演説の論調が日米の相互理解を全面に打ち出したものへと年々変化してきているのは明らかです。

ビジターセンターの展示館に在る、山本五十六長官を紹介するパネル

日本から飛んできた航空機が貿易風に向かってダニエルK イノウエ国際空港に着陸する直前、左側の窓から見える真珠湾。
第二次世界大戦後70年以上が経過した現在、真珠湾のアリゾナ記念館は、フォード島に在る太平洋航空博物館や戦艦ミズーリ記念館と共に、平和教育の場として、日米間の歴史の重要な出来事を次世代に伝えるための有用な施設になっています。

ダニエル K イノウエ国際空港着陸前の機内から見た真珠湾。中央の島がフォード島

ところで、真珠湾を攻撃する日の丸の付いた飛行機を見た、遠くの真珠湾から煙が上がっているのを見た、と云う日系人の証言を幾つも聞いたことがあります。日曜日の朝でしたので、ダウンタウンの山側に在る本派本願寺に行っている時のことだった、との話も聞きました。

真珠湾攻撃後、敵性外国人(エネミー エーリアン Enemy alien )として戦時中を過ごしたハワイ在住の日系人も数少なくなりました。
当時の日系人の一部は真珠湾の西側、ホノウリウリに造られた収容所や米本土の収容所に送られています。オバマ前大統領により国定史跡に定められたホノウリウリの収容所跡地が早く整備され、真珠湾と一体化したアメリカ合衆国国立公園になることを望みます。

この章のポイント

  • 真珠湾に在るアリゾナ記念館は平和教育にも重要な役割を担っています

付帯的な情報・発展情報

真珠湾は元々ハワイ語でプウロア ( puʻuloa ) とか、ワイ モミ ( wai momi ) と呼ばれる入り江でした。
モミは真珠を意味し、ここから英語のパールハーバーの名が生まれたのだと思われます。

鹿児島県鹿屋市に在る海上自衛隊鹿屋基地に隣接する史料館に、真珠湾攻撃に向けて錦江湾で訓練を重ねていた日本軍の飛行ルートが展示されています。

鹿児島県、鹿屋基地史料館に展示されている錦江湾での訓練飛行図

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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