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Vol. 1 ハワイ語はどこから来たの?
ハワイの文化では物事のオリジンを辿る、例えば自分はどのような祖先を持ちどのような系図の元に今ここに居るのかを知る事をとても大切にしていると思います。なので、これからハワイ語について色々とお話しさせて頂くにあたり、まず最初はハワイ語はどこからやって来たのかと言うハワイ語のルーツについて触れさせて頂きたいと思います。
ハワイ語は西はマダガスカル、東はイースター島、北は台湾、そして南はニュージーランドという大変広い地域で使われているオーストロネシア語族(南東語族)に属する言語です。
オーストロネシア語族に含まれるポリネシア諸語はサモア、マルケサス、タヒチ、マオリ、ラパヌイ(イースター島)、トンガ、ポリネシアなどで話されている互いによく類似した一群の言語で、オーストロネシア語族のマレーポリネシア語派大洋州諸語に属し、太平洋中部から東部にかけての主要な言語の大半を含んでいます。この広範囲なオーストロネシア語族の分布とほぼ一致してアウトリガーカヌーが使われていたことも興味深い事です。
ハワイ語はポリネシア諸語の中でもタヒチ語、マオリ語、マルケサス語などと一緒に東ポリネシア諸語に入り、とても近い言語と言われています。
さて、このように広範囲に渡って使われたオーストロネシア語族ですが、言語の広がりを理解するためにはポリネシア人の移住の動きを合わせて知る必要があります。
ポリネシア人の祖先はオーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族であったと言われています。台湾の原住民の言語に、その最も古い形が残されていると考えられています。
ポリネシア人は5000年ほど前に台湾や中国南部からスタートし、フィリピンの島々を南下してソロモン諸島を経て太平洋の島々へと移動していきます。3000年ほど前になるとサモアやトンガまでやって来て、そこに1000年程留まってポリネシア文化が作られていきます。サモアやトンガまでの移住はラピタ土器の出土によって証明されていますが、その後ポリネシア文化が始まると土器は消えていきます。土器に変わるもの、例えば木や瓢箪などが使われるようになり土器を焼く必要が無くなったのかもしれませんし、または調理法が変わったことで土器を必要としなくなったのかも知れません。
紀元後300年には東ラパヌイ、400年には北上してハワイ、1000年ごろにはクック諸島やニュージーランドへと移動したと考えられています。
古代ポリネシア人は航法器具を用いず、太陽や月、星、海流などを使って遠洋航海を行なっていたと考えられています。ハワイへの初期の移住は500~700年ごろマルケサスより、そして1000年から1300年ごろにかけてタヒチから双胴カヌーによる行き来があったと考えられています。
Hōkūleʻa(ホクレア)号の数々の航海の成功から、古代ポリネシアの航海技術が大変進んでいたことは証明されています。
言語をはじめとする様々な文化がタヒチより持ち込まれた事は、言語の類似、共通の神々の存在、共通の地名などからも伺うことが出来、当時の優秀なナビゲーターでありリーダーが数人のグループの人々を連れ、植物、動物、生活用品、信仰、などなど様々な文化をハワイへと運んできたことは間違いないようです。
ハワイの4大神と呼ばれるKū、Lono、Kāne、Kanaloaは多くのポリネシア地域ではTū、Rongo (Oro)、Tane、Tangaroaと呼ばれ、この名前を比較しても言葉の共通性を見いだすことが出来ると思います。ハワイ語の子音kはtに代わり、lはrに変化しています。
以下の表はハワイ語とタヒチ語の類似したものをいくつかあげてみました。
またハワイ語、タヒチ語、サモア語の「方向詞」と言う方向性を表す言葉、「話し手に近づく方向」「話し手から離れる方向」「上方に」「下方に」の4方向を表す言葉を見てみると、とても類似していることがわかります。
1778年に英国人のジェームス·クックがハワイ諸島を発見したことが最初の西洋とのコンタクトと考えられていますが、それまでの間の数百年は文献に残る物もなく考古学者の研究調査の仮説以外は未知の世界というわけです。
1819年にニューイングランドより宣教師たちがハワイへやって来ると、それまで文字を持たなかったハワイ語をアルファベット表記するようになります。それまで口頭言語であったハワイ語は、チャントやフラを通して宗教、歴史、文化を口頭伝承して伝え残してきたわけですから、それらの言葉を紐解き解明していくことでパズルのピースを集めるように歴史の中に潜んだ事実を知る手がかりになったりするわけです。
ハワイ語はハワイ特有の言語ですが、ルーツを探るとこの広い太平洋に点在するポリネシアの国々と深い関わりを持ち繋がりがあったことがわかります。そう考えるとハワイ語を知ることは、ハワイという文化のみならず広大な地域に点在するポリネシア文化を持つその他の国々を理解する手がかりにもなり得るのです。
1970年以降ハワイ文化復興運動が盛んになり、1978年にはハワイ語がハワイ州の公用語として指定されました。そしてハワイ語復興を目指して数人の言語学者が集まりハワイ語で教育する学校が設立されます。1984年8月に最初のPūnana Leo(プーナナレオ)がカウアイ島のケカハに、そして翌年にはハワイ島ヒロ、オアフ島に設立され、その後島々へと広がって行きました。ハワイ島にあるKe Kula ʻO Nāwahīokalaniʻōpuʻu (ケクラオナーヴァヒーオカラニオープウ)はK12、高校までの教育が一貫され、ハワイ語での教育の場が整ったのです。現在ではハワイの各地にこのようなハワイアンイマージョンスクールが広がり、ハワイ語を喋る人口は確実に増えている状況です。
言葉のルーツを探ってもわかったように、言葉と文化は切っても切り離せない密接な関係を持ち、言語無くして文化を語ることはできないと言っても過言ではありません。ハワイアンがハワイの文化を守り伝えていくためにはハワイ語という言語を守っていくことが必要不可欠なのです。その為にもハワイの教育現場に益々ハワイ語が浸透していくこと、そしてハワイ語を話す人口が増え続けることを願わずにはいられません。
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ミイラニ・ヨシコ・クーパーMi'ilani Yoshiko Cooper担当講師
Kahaluʻu在住
Halau Kīhene Pua Uluwehi (ハラウ キーヘネプアウルヴェヒ オアフ島/神奈川)主宰、クムフラ
Lamakū Hawaiian Study Education (ラマクーハワイアンスタディーエジュケーション)主宰
アロハフロウファウンダー
プランツメディスンメイカー
ハワイ大学ヒロ校ハワイ学科卒業 ハワイアンイマージョンスクールNāwahīokalaniōpuʻu(ナーヴァヒーオカラニオープウ)で教鞭を執る
ハワイ大学マノア校言語学修士
2006年正統な伝統儀式のもとクムフラの称号を与えられる
フラヘブン(雑誌)に2年半連載ページを執筆
個人、企業向けの様々なハワイ文化講座を指導
現在ビショップ博物館Lā Kūleʻaプログラムのフラクラスを担当
アンティ マイキのフラを継承するクムフラ、メイ カママル クラインの元、指導者としてフラを学び2006年8月にウニキを経てクムフラの称号を与えられる
ジョニー ラム ホー、レイ フォンセカの元よりメリーモナーク フラ フェスティバルに出場経験多数
カジメロブラザースやハパなど有名ミュージシャンのコンサートの出演経験多数
また、ダンサーとしての体作りの必要性からヨガを始め、ハワイの文化とヨガを融合させた Alohaflowを独自で考案
ハワイの価値観をもとにHoʻoponopono的なライフスタイリングや自然と調和できるサステイナブルなライフスタイルを目指している