講座詳細
イオラニ宮殿ナイトツアー
毎年12月末に開催されるカピオラニ王妃のイオラニ宮殿ナイトツアー
カピオラニ王妃
イオラニ宮殿の館内ツアーのガイド(ドーセント)はすべてボランティアによるものです。このボランティアを募るという目的で1990年の秋に夜のツアーが催行されました。またそれを前後に2年間だけですが、カピオラニ王妃の誕生日を祝う会は1月に開催され、宮殿ラナイでの音楽などのエンターテインメントがありました。1990年はハワイ王家の貴重なアイテムを祝うと意味もあったようですが、この2つが統合され、正式にカピオラニ王妃の誕生日を祝う夜のツアーになったのは2005年からです。
毎年10月以降、夜のイオラニ宮殿ツアー開催の告知があります。以前は1日だけの催行でしたが、需要が多いため、今では3日間開催をしています。カピオラニ王妃については「カピオラニ王妃」の講座をご覧ください。
夜のツアーは午後5時30分からと午後7時30分からと2回のツアーが催行されます。通常館内ツアーは1人のドーセントが20名くらいの参加者を連れ、館内1階から2階をツアーしますが、夜のツアーには各部屋にドーセントが立ち、短縮版の説明をし参加者のみが移動していくという流れです。また。説明の内容も通常とは違い、夜の舞踏会に招待されたという設定により行われます。
通常のツアーは宮殿の裏のドアから入場しますが、昔は王しか使えなかった表のドアから入場することができます。表のドアから入れるのはこのツアーだけです。
表のドアより館内に入場
ドアを入るとまずは大広間です。ここではドーセントによるウェルカムの挨拶とカピオラニ王妃とイオラニ宮殿の説明を聞きます。
いつもと違う夜のイオラニ宮殿の館内はとても幻想的です。
GrandHall.jpg
次に青の間に移動します。
青の間は食事の前のレセプションや茶会などが行われた場所です。イオラニ宮殿を建てたカラカウア王、そのあとを継いで第8代女王となったリリウオカラニ女王の肖像画、カピオラニ王妃とともにイギリス王国ヴィクトリア女王の即位50周年の式典に呼ばれた時の絵、ブラックリボンドレスのレプリカなどもあります。
青の間では舞踏会の豪華な食事の前の生演奏のピアノに、オペラ歌手の歌声が披露されます。
青の間の生演奏とオペラ
青の間の後は、正餐の間で豪華な食事の説明がされます。また当時のハワイでは馴染みが少なかった欧米風のダイニングテーブル・セッティングで世界中からのお客様を招待し食事をしました。また、カピオラニ王妃はチャリティーのためのアフタヌーンティーや病院への寄付金を募るための食事会なども開催しました。
正餐の間
その後は、裏のドアの前を通り、王座の間に移動します。ここでは王と王妃の舞踏会の様子を再現したり、ハワイの音楽とフラなど素敵なエンターテインメントが披露されます。当時はラナイにロイヤル・ハワイアンバンドによる生演奏で舞踏会などが繰り広げられました。カラカウア王はハワイ王国で初めてウエスタンスタイルの舞踏会を初められた王でもありました。
当時そのままの王座やプウロウロウ(タブースティック)、王冠、そして世界中の王室や国家元首から贈られた勲章なども飾られています。
王座の間
王座の間の後は、普段、使われていないコアの階段で2階に上がります。宮殿オープン以来のオリジナルのコアの階段の踏み板は、今まで一度も張り替えられていない貴重なものです。1978年に一般公開が始まるときに、普段のツアー用に館内エレベーターが設置されました。歴史を感じられる瞬間です。
大広間のコアの階段
2階に上がるとすぐにカピオラニ王妃の寝室に案内されます。
カピオラニ王妃は高貴な家柄の出で、身分の高い女性であり、幼少の頃からカメハメハ3世の宮廷で養育を受けられました。寝室にはカピオラニ王妃のオリジナルのベッドカバーがかけられています。こちらには大きな「K」の刺繍があり、王妃のモットーである「Kulia Ika Nuu – 最善を尽くす」が刻まれています。ハワイアンの血を絶やさないようにという王妃の想いで1890年にはカピオラニ産院を設立され、今でもたくさんのハワイの人々の命を救ったことなどが説明されます。
写真は王妃がイギリスにも持って行かれたレイ・フルという鳥の羽があしらわれたドレスのレプリカです。
カピオラニ王妃の寝室
寝室の後は、客間を通り、リリウオカラニ女王幽閉の間に移動します。
大きなクイーンズキルトが展示してある部屋は、リリウオカラニ女王が8ヶ月幽閉された部屋です。女王の心を想い、チャント(祈り)が捧げられます。1893年にハワイ王国が崩壊し、その2年後にはハワイ市民による王国復興の革命が起こりました。これには何も加担していなかった女王ですが、市民のことを思い、自ら逮捕され裁判にかけられました。結果この部屋に幽閉されることになります。その時に作り始めたのがクイーンズキルトです。8ヶ月間の幽閉だったので、幽閉後、終の住処になったワシントン・プレイスで完成されました。
リリウオカラニ女王幽閉の間
幽閉の間の次は、2階の広間を通り音楽室に移動します。音楽一家だったカラカウア家の憩いの場所だった音楽室には、ハワイアン・ミュージックでは有名なリリウオカラニ女王により作られた「アロハ・オエ」とハワイ州の州歌であり、カラカウア王によって作詞された「ハワイ・ポノイ」のピースが置かれています。中央の壁には1883年戴冠式時のカピオラニ王妃の肖像画が飾られています。
音楽の間
そしてカラカウア王の執務室に移動します。宮殿建設当時のガス灯の雰囲気を出すライトは、数年後にホワイトハウスより早く電灯になりました。カラカウア王は、ハワイ王国で世界外交をした最初の王でもあります。また、モダンテクノロジーに興味があった王は、館内に数カ所、電話の設置もしています。執務室は図書室とも呼ばれるくらい膨大な書籍がありました。
国王執務室
そして最後はカラカウア王の寝室です。当時のオリジナル家具などはすべてありませんが、当時の写真と比べることができます。
ベッドキルトは王のキルトのレプリカですが、本物と全く同じように何回も縫い直しをされ精密に作られています。ミントンのツボや何種類ものハワイ固有種の木で作られたテーブルなど、オリジナルの家具も飾られています。
そしてエレベーターに乗り、地下に降り夜のツアーは終わります。
ドーセントやスタッフは当時の正装をして参加者を迎えます。
ツアーは約30分ほどですが、ツアー後はタイムスリップして、当時のイオラニ宮殿を訪れたような不思議な気持ちになります。
年に一度の貴重なツアーですので、機会があれば行かれることをお勧めします。
最後にイオラニ宮殿のガラスのドアにデザインされている花と花瓶ですが、これを元にハワイアンキルトが作られ、ホノルル美術館のキルトコレクションに保管されています。「ピカ・プア・オ・ハレ・アリイ」と呼ばれるハワイアンキルトのもとのデザインは、イオラニ宮殿のドアにエッチングされたデザインから来たものです。このキルトは1920年代に作られたもので作者は不明です。またキルト芯には羊毛芯が使われています。当時、羊飼いはハワイでは盛んな産業の一つだったということでキルト芯に使われたのかもしれません。
花瓶が描かれているガラスドア
ガラスのデザインで作られたハワイアンキルト「ピカ・プア・オ・ハレ・アリイ」Courtesy by Honolulu Museum of Art
参考文献
イオラニ宮殿の公式サイト
http://www.iolanipalace.org
イオラニ宮殿ドーセント・マニュアル
-
藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。