講座詳細
ヘルモア
ワイキキに在る小さな道の名にオアフ島の歴史が詰まっています
ヘルモア
Helumoa
ワイキキ ( Waikīkī ) のカラカウア通りを海に向かってルーワース通りに右折し、ハレクラニ ホテル正面に突き当たる一筋手前を左折、ハレプナ ワイキキ(旧ワイキキ パーク ホテル)に通じる小道に
ヘルモア ( Helumoa Rd. ) と云う名を見つけました。
(ハレクラニ ホテルに向かい、ルーワース通りを進みます)
この100メートルほどの目立たない道の名にオアフ島 ( Oʻahu ) の歴史が残されています。
(ルーワース通りからヘルモア通りへ)
ヘルモアの地は、この道の周囲だけではなく、海側はピンクのロイヤル ハワイアン ホテルから
シェラトン ワイキキ、ハレクラニ ホテルのあたりまで。
そしてカラカウア通り側は有名ブランドショップなどが店を連ね買物客で賑わうロイヤル ハワイアン センターのあたりまでが含まれていたようです。
(今もヤシの木が多く植えられているロイヤル ハワイアン ホテル)
ヘルモアとはどんな意味?
この地の名 helu はハワイ語で、引掻くこと、 moa は鶏。
ワイキキの山側、ハワイ大学の在るマノア ( Mānoa ) の東側にパロロ ( Pālolo ) の谷が在ります。
この谷から、不思議な力を持つ鶏がカクヒへヴァ ( Kākuhihewa ) の下に飛んできて足を突き、神のお告げを残したとの故事から、この地名が生まれたのだそうです。
17世紀の半ば頃にオアフ全体を支配していた首長 ( aliʻi aimoku ) カクヒへヴァ( Kākuhihewa ) はお告げを受け、海岸にヤシの木を1万本植えたと伝えられています。
そして、ヤシの木の並ぶヘルモアの地は、その後もアリイにとって重要な地になりました。
それから1世紀半ほどが過ぎた1795年。ハワイ島を手中に治めたカメハメハが全島制覇を目論み、マウイを征服した後、1万人もの大軍を率いてオアフ島に攻め入ります。屈強な兵士を乗せた大型双胴カヌーはワイキキからカハラの海岸を埋め尽くして上陸。その時カメハメハが陣を張り戦略を練ったのがヘルモアの地、現在ロイヤル ハワイアン ホテルの建つあたり。そして、パンチボールの丘周辺での戦いで敵を敗退させ、ヌウアヌパリの頂まで一気に敵を追い上げて打ち負かし、ハワイ島からオアフ島まで、6島の統一を成し遂げました。
カメハメハの大軍を乗せた多くの大型双胴カヌーがワイキキに押し寄せてくる光景は、ハワイの文化と歴史を、絵画を用いて正確に伝えてきた故ハーブ カネ ( Herb Kawainui Kāne ) 氏が迫力満点の絵で伝えています。
ほら貝を吹き鳴らしワイキキをめがけて進む船団。欧米人から入手した砲を舳先に設えた双胴カヌーの上に立つカメハメハと思しき人物や、その後ろに神官が捧げ持つ戦闘の神クカイリモク ( Kūkaʻilimoku ) もしっかりと描かれています。
この絵はロイヤル ハワイアン ホテル1階、モナーク ルーム前に飾られており、誰でも見ることが出来ます。
(ロイヤル ハワイアン ホテルに飾られているハーブ カネ氏の絵画。
左側にダイアモンドヘッド、右側にカメハメハが乗るカヌーが描かれている)
さて、現在ヘルモアの地に建つロイヤル ハワイアン センターの土地は、ネイティヴハワイアンの子弟が通うカメハメハ校が所有しています。
ワイキキの目抜き通りに在る高級ショッピングセンターの土地所有者が有名私立校であるのは何故?
ハワイが王国になってから、多くの王族がワイキキに土地を持ち邸宅を建てました。その中で、ヘルモアには大王の孫にあたるカメハメハ5世が土地と家を持っていましたが、お后も子供も居なかった5世の没後、この土地はカメハメハ大王の曾孫の1人、ルース ケエリコラニ ( Ruth Keʻelikōlani ) 王女が相続し、その死後、同じく大王の曾孫にあたるビショップ夫人、バーニース パウアヒ王女 ( Bernice Pauahi Bishop ) に引き継がれました。
(ルース ケエリコラ二王女 ビショップ博物館の展示物より)
大王の末裔にあたるパウアヒ王女には、他にもカメハメハ系の王族が保持していた多くの財産と土地が
引き継がれています。
(バーニース パウアヒ王女 ビショップ博物館の展示物より)
そして、ハワイアンの子弟のための学校はビショップ夫人の遺言により建てられ、カメハメハ スクール ( Kamehameha Schools ) と名付けられました。
パウアヒ王女の所有していた資金と土地は、遺言を基に非営利財団の理事、管財人により管理運用され、ハワイアンの子供達の教育のために使われています。
その1つがワイキキの中心に建つショッピングセンターで、以前は土地ばかりでなく建物もカメハメハ校が所有していました。
ロイヤル ハワイアン センターは一度大改修が行われ、その際に中央部には敢えて店を造らず、ヘルモアの地のヤシの木やカロ(タロイモ)畑の様子が再現されました。
その清らかな水辺には少女に本(聖書か?)を読み聞かせているパウアヒ王女の像が建てられ、ヘルモアの歴史を後世に伝える役目を果たしています。
(ロイヤル ハワイアン センター中央部に置かれたパウアヒ王女像)
カラカウア通りのビーチウォーク通り沿いには、サーフボードの形をしたヘルモアの案内板が建てられており、パウアヒ女王の写真とともにこの地域の歴史が紹介されています。
(サーフボードの形をしたヘルモアの案内板)
鶏はハワイ語でモア ( moa ) と云いますが、タヒチ語でも同じ。
マオリの住むニュージーランドでは、モアは絶滅してしまった大きな飛べない鳥を指します
アリイの名「カクヒへヴァ」 ( Kākuhihewa ) は、オアフ島の別名としても使われています
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。