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2020.08.14

古代のカプ制度とその最後

ここがポイント

古代ハワイを厳しい掟で縛ってきたカプ制度と古来の宗教は、カアフマヌ王妃&ケオプオラニ王妃の主導により、カメハメハ大王の死後に崩壊。ハワイを一変させた。その翌年、ハワイに到着したキリスト教宣教師による布教が成功を収めた背景には、カプ制度&古来の宗教の崩壊があった。

古代のカプ制度とその最後


英語「タブー」の元になった「カプ」とは?


カプKapuとは、禁止、禁忌などを意味するハワイ語です。宗教活動や神々、神聖視される高位の王族にまつわる掟に由来する言葉で、ポリネシア各島に同様の言葉が存在。たとえばトンガ語ではタブTabu、マオリ語やタヒチ語ではタプTapu。英語のタブーは実はポリネシア語源の言葉で、カプやタプが訛ってできた言葉なのです。ブリタニカ辞典によれば、イギリスのクック船長が1771年の航海の際にトンガで聞いた言葉が、英語として広まったとのことです。

古代ハワイにおいてカプは厳しく社会を取り締まる掟であり、生活のあらゆる側面に細かいカプがありました。その範囲は広く、魚の禁漁期のような環境保全的なものから、王族の陰を踏んだり自分の陰が王族の住まいにかかってはいけない、女性は(あるタイプの)ヘイアウ(神殿)に立ち入ってはいけないなど、地位、職業、性別ごとに細かなカプが多々。社会の基盤となっていました。

〔ハワイ島カイルアコナのヘイアウに掲げられた看板〕


カプ破り→死という構図


特に生活の中で大きな影を落としていたのが、食物に関するカプでしょう。男女一緒に食事をしてはいけない、女性は(一部の種類を除き)バナナや豚肉を食べてはいけないといったカプがあり、昔は夫婦、親子といえども男女一緒に食卓を囲むことが禁じられていました。しかもカプを破れば、多くの場合、刑罰は「死」。現代社会では何の意味を持たない些細な掟破りが、死に直結していたのです。人間の手によって罰が下されなくとも、神々が怒り、天罰が下ると固く信じられていました。

そのため現実に、アヴァ(コショウ科のアヴァの根で作る飲物。酩酊作用がある)を飲んでフラフラしていた妻が、夫が食事していた男性専用の食事処にうっかり入って死刑になった話。また、ある男性が王族の衣類に手をかけたため、ヘイアウで生贄にされた話などが残っています。位の高い王族に関しては、他者が身代わりになって罪を受けることもあったようです。19世紀初頭には、王族のカピオラニ(カピオラニ王妃の大叔母)とケオウアが少女時代、こっそりバナナを食べたことが発覚。少女たちに変わり、その養育係が死刑になるという事件も起こっています。



以上のようなカプは一見、生活様式に根づいたカプのように見え、実は多くが宗教に由来するものでした。たとえば「女性はバナナや豚肉など、一定の食物を食べてはいけない」というカプも、それらが神への供物にされる特別な食べ物だったことから生じています。その背景には、13世紀にあったとされるハワイの宗教改革の影響が見えます。13世紀の昔、サモアまたはタヒチからやって来た神官、パアオがハワイに厳しいカプ制度をもたらしたとされ、人間を生贄としてヘイアウに捧げる習慣も、パアオ以降に始まったとか。パアオ以前のハワイのカプ制度は、比較的ゆるやかだったとされています。
 

カプ制度崩壊のきっかけ


こうして死の恐怖とともに数百年にもわたり、ハワイの社会をがんじがらめにしていたカプ制度が、ついに崩壊したのは1819年。カメハメハ大王が亡くなった直後のことです。主導したのはカメハメハの2人の妃、カアフマヌケオプオラニケオプオラニはカメハメハ大王の後を継いだカメハメハ2世の母であり、カアフマヌはカメハメハ2世の後見人となった、大変な権力者です。

〔カアフマヌ妃。Photo Courtesy of Hawaii State Archives〕

特にカアフマヌは、女性を差別するだけでなく、社会全般に暗い影を落としていたカプ制度を改革しようと長く目論んでいたよう。古来の宗教の強力な信奉者だったカメハメハ大王が死去すると、さっそく計画を実行に移したのがカアフマヌでした。以下、カプ制度崩壊の顛末を見届けたハワイ島パーカー牧場の創業者、ジョン・パーカーが残した内容を引用しながら記していきましょう(ジョン・パーカーはカメハメハ大王の側近で、妻はカメハメハ大王の娘。王族居住地だったハワイ島カイルアコナで、カプ制度崩壊までの一連の出来事を見届けたとされ、ハワイ歴史協会の2016年報告書にその記述があります)。

ジョン・パーカーいわく、最初にカプ制度改革を提案したのはカアフマヌでした。多くの王族の前で、自分がカメハメハ大王の遺言によりカメハメハ2の摂政となり、一緒に王国を統治すること。そして古来のカプ制度を廃止することを提唱したそうです。「夫婦の食事は同じ釜戸で作られるべきであり、夫婦は同じ器から食べるべき。私たちも今後、豚肉やバナナ、椰子の実を食べることにする」といった驚くべき宣言をしたと、ジョン・パーカーは伝えています。


〔カメハメハ2世。Photo Courtesy of Hawaii State Archives〕

そしてカメハメハ2世に「これからはカプを無視しよう」と呼びかけましたが、怖気づいたのか、カメハメハ2世は無言だったそうです。その光景を見て懸念したのが、カメハメハ2世の母、ケオプオラニでした。ケオプオラニはカアフマヌとは異なり権力欲もなく、穏やかな女性と言われます。息子がカアフマヌの進言を受け入れず、カプ制度を否定しなかったことで、カアフマヌに恐ろしい天罰が下ることを心配したよう。そこで同日、カメハメハ2世に「自分と一緒に食事するように」と命じ、カメハメハ2世もしぶしぶ応じたとされます。
 

カプ制度の最後


その後カアフマヌも、偶像崇拝禁止の通達を出すよう、カメハメハ2世に伝達。その結果、カメハメハ2世は男女多数の王族、外国人らと宴席をともにし、自らカプを破ってみせたそうです。一方で民衆はその行為を、恐怖に震えながら遠巻きにしていました。今にも恐ろしい天罰が下ると思ったのです。ところが王族たちの身には何事も起こりませんでした。

そのうち、どこからともなく「もうカプは終わりだ! 神なんていない!」との叫び声が上がりました。カプを破っても天罰が下る気配が全くなかったため、神々の存在が疑われ、カプ制度の正当性を根底から覆してしまったのです。その後、古代宗教の終焉を示そうと最初にヘイアウやティキ像に火をつけたのは、なんとカフナのヘヴァへヴァでした。

〔ヘヴァへヴァが最初に火をつけたカイルアコナのアフエナヘイアウ(1970年代に復元されたもの)〕

ヘヴァへヴァは当時、ハワイで最高位のカフナで、ハワイに厳しいカプ制度を敷いたパアオの直系子孫。そのヘヴァへヴァさえも、内心は毒の爪でハワイを支配する恐ろしい神々に大いなる疑問を抱いていたのでしょう。その後、カメハメハ2世からハワイ中に指令が飛び、各地のヘイアウがことごとく破壊される結果になりました。

ところがその時、古来の宗教の否定に異議を唱えた王族がいました。カメハメハ大王の甥、ケクアオカラニです。カメハメハ大王は息子に政治を託した一方で、宗教の守護を託したのがこの甥。ケクアオカラニ軍はカメハメハ2世に戦いを挑み、両軍はコナ沿岸のクアモオで激突。圧倒的な軍勢を誇ったカメハメハ2世軍が勝利を収め、ケクアオカラニもこの戦いで命を落としています。

〔クアモオ古戦場に建つ記念碑〕

こうしてカメハメハ大王逝去とほぼ時を同じくして、古来の神々と宗教、カプ制度と決別することになったハワイ。ですが改革を成し遂げたカアフマヌをはじめ多くの王族は、心のどこかで神の怒りを恐れていたのかもしれません。宗教改革の翌年、アメリカのボストンから初めてやって来たプロテスタント宣教師の教えに熱心に耳を傾け、多くの王族が最終的にクリスチャンに改修した背景には、そんな事情もあったといえそうです。

  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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