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2020.09.04

レレイオホク王子が残した歌

ここがポイント

カラカウア、リリウオカラニ、リケリケとともに4人の王族音楽家四天王「Nā Lani ʻEhā」として後世に親しまれているレレイオホクが残した、最も広く知られる歌を紹介する。

草花を集め紐でつないだり編んだりしてつくるのがレイ。レイを作る人をハク・レイと呼ぶ。同様に、言葉を選び集めてメレ(うた)を紡ぐ人はハク・メレ。
ハワイでは、ハク・メレによって多くのメレが王族のために紡がれ、歌い踊られてきた。王族自身がすぐれたハク・メレだった例も多い。
ハワイ王国の王族たちのなかから、後世に残るメレを紡いだ人とその歌の内容を紹介する。

レレイオホク王子が残した歌

1855年生まれ、誕生名はカラホオレワ。
カラカウア、リディア(後のリリウオカラニ)、リケリケの弟として生まれ、カメハメハ大王のひ孫であるルース・ケエリコラニの養子として育てられた。
彼が引き継いだウィリアム・ピット・レレイオホクという名前は、ルースが死別した夫の名前。
学校卒業後、書記として王国外務省に入り、ルナリロ王の元で働く。
1874年、ルナリロ亡き後、兄のカラカウアが選挙で王位につき、レレイオホクは王子となる。カラカウアから次期王位継承者として指名されたが、1877年に22歳で病死した。

音楽に優れたレレイオホクは、姉のリリウオカラニやリケリケに続いて自身の合唱団を結成していた。

カラカウア、リリウオカラニ、リケリケとともに4人の王族音楽家四天王「Nā Lani ʻEhā」として後世に親しまれている。
レレイオホクが残した歌の中でも最も広く知られるのはこの歌だろう。



『Hawaiian War Chant』『Tahuwahuwai』という曲名で世に広まったが、オリジナルの曲名は『Kāua I Ka Huahuaʻi』。
後から付けられた「ハワイの戦いの歌」という意味の英語タイトルは、実際の歌の内容とかけ離れている。
本当はラブソングであり、歌詞には秘密の逢瀬をする恋人同士が描かれている。
レレイオホクがこの歌を書いたのは1860年代、彼がまだ10代のころ。
1930年代のジャズ音楽ブームの中で、ハワイの人気バンドリーダーだったジョニー・ノーブルがジャズ曲として演奏し、世界に広まった。




Kāua i ka huahuaʻi  
E ʻuhene lā i pili koʻolua 
Pukukuʻi lua i ke koʻekoʻe 
Hanu lipo o ka palai

Auē ka huaʻi lā

ʻAuhea wale ana ʻoe
E kaʻu mea e liʻa nei
Mai hōʻapaʻapa mai ʻoe
O loaʻa pono kāua

Auē ka huaʻi lā

I(He) aloha wau iā ʻoe
I kāu hanahana(hana, hana) pono
Laʻi aʻe ke kaunu me ia la
Hōʻapaʻapa i [ka manaʻo / ke kino]

Auē ka huaʻi lā

(歌詞:Leleiohoku)

私たち二人興奮して
焦らし合うお互いを
冷たい体を寄せ合って
深く吸い込むパライの香り

あー、この興奮

聞いてあなた
私が望むもの
ぐずぐずしないで
二人見つかってしまう

あー、この興奮

私はあなたを愛してる
あなたのちょうどいい[激しさ/行為]
静寂は[濡れごと/どきどき]の後
ぼんやりとする[思考/体]

(訳詞:よしみだいすけ)
 
  • よしみ Nui だいすけ
    Daisuke Yoshimi
    担当講師

    【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
    facebook: https://www.facebook.com/NuiDaisuke
    公式HP: http://www.yoshimidaisuke.com/

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