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所用時間5min
2020.02.06
ボウフィン潜水艦博物館
ここがポイント
アリゾナ記念館での展示場では日米双方の立場から歴史を見直そうと、展示内容が変化してきています。
潜水艦ボウフィンも同様の視点から、日本からの見学者が増えることでしょう。
真珠湾に係留、公開されている太平洋戦争当時の米国海軍潜水艦「ボウフィン」
真珠湾、アリゾナ記念館入口とフォード島に渡る橋との間に、太平洋戦争当時の潜水艦が一隻係留され博物館として多くの見学者が訪れています。淡水に住む古代魚とされるボウフィンの名を冠したこの潜水艦は、全長95メートル、ディーゼルエンジンと蓄電池を動力とする米国海軍の潜水艦で、退役後、1979年から真珠湾に係留されています。
黒く塗られた円筒形のような現在の潜水艦とは違う形をしています。
ボウフィンの船体
艦上ばかりでなく艦内の操縦室や通信室、魚雷発射装置等も見学可能
ボウフィン船内
兵士の居住区や食堂の様子も見られます。
ボウフィンは、第二次世界大戦中の1942年、メイン州ポーツマス海軍造船所で建造され進水。翌年、パナマ運河を通って太平洋に移り、太平洋戦争中、オーストラリアを補給地としながら、フィリピン周辺海域や南シナ海、日本近海で、日本船舶に対する哨戒任務にあたり、複数の日本船を撃沈しています。
朝鮮戦争時、1951年に現役艦として再度太平洋で任務に復帰した後、1971年に引退。
ボウフィン船尾
さて、太平洋戦争が終結するに至る時期を振り返ってみると、1944年(昭和19年)8月22日、沖縄の学童等を乗せて那覇港を発ち本土に向かった対馬丸がトカラ諸島付近で米国潜水艦ボウフィンにより撃沈され、多くの民間の犠牲者が出ています。
真珠湾には、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナに加え、戦時中に西太平洋に展開していた潜水艦、そして沖縄戦にも投入され、東京湾で降伏文書調印がなされた戦艦ミズーリが保存されており、平和学習の場となっています。
アリゾナ記念館(右)と、フォード島に係留されている戦艦ミズーリ(左)
真珠湾のボウフィン潜水艦博物館と共に、沖縄の対馬丸記念館も紹介します。那覇市の沖縄県庁から北西へ、海の近く、波上宮近くに在ります。
真珠湾、アリゾナ記念館入口とフォード島に渡る橋との間に、太平洋戦争当時の潜水艦が一隻係留され博物館として多くの見学者が訪れています。淡水に住む古代魚とされるボウフィンの名を冠したこの潜水艦は、全長95メートル、ディーゼルエンジンと蓄電池を動力とする米国海軍の潜水艦で、退役後、1979年から真珠湾に係留されています。
黒く塗られた円筒形のような現在の潜水艦とは違う形をしています。
ボウフィンの船体
艦上ばかりでなく艦内の操縦室や通信室、魚雷発射装置等も見学可能
ボウフィン船内
兵士の居住区や食堂の様子も見られます。
ボウフィンは、第二次世界大戦中の1942年、メイン州ポーツマス海軍造船所で建造され進水。翌年、パナマ運河を通って太平洋に移り、太平洋戦争中、オーストラリアを補給地としながら、フィリピン周辺海域や南シナ海、日本近海で、日本船舶に対する哨戒任務にあたり、複数の日本船を撃沈しています。
朝鮮戦争時、1951年に現役艦として再度太平洋で任務に復帰した後、1971年に引退。
ボウフィン船尾
さて、太平洋戦争が終結するに至る時期を振り返ってみると、1944年(昭和19年)8月22日、沖縄の学童等を乗せて那覇港を発ち本土に向かった対馬丸がトカラ諸島付近で米国潜水艦ボウフィンにより撃沈され、多くの民間の犠牲者が出ています。
真珠湾には、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナに加え、戦時中に西太平洋に展開していた潜水艦、そして沖縄戦にも投入され、東京湾で降伏文書調印がなされた戦艦ミズーリが保存されており、平和学習の場となっています。
アリゾナ記念館(右)と、フォード島に係留されている戦艦ミズーリ(左)
真珠湾のボウフィン潜水艦博物館と共に、沖縄の対馬丸記念館も紹介します。那覇市の沖縄県庁から北西へ、海の近く、波上宮近くに在ります。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。
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