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タトゥーの伝統
タトゥーはポリネシア語源の言葉。ハワイ語ではカカウKakau。
所属や階級を示すもののほか、宗教的なタトゥーや死者の追悼、守護を目的としたタトゥーがあった。
ポリネシア語から生まれた言葉、タトゥー
今や世界で通じるタトゥーという言葉は、実はポリネシア語から発生したもの。タヒチ、サモアでは入れ墨をタタウTatauといい、その言葉が18世紀、イギリスのクック船長の太平洋航海の際に西洋に持ち帰られ、タトゥーという英語が生まれました。ちなみにトンガではタタタウTatatau、マルケサスではタトゥTatu、Tの代わりにKが使われるハワイではカカウKakauと呼ばれます。
世界中にタトゥーの文化があるなかで、タタウというポリネシアの言葉が世界共通語の語源になったのは興味深い事実。身体をあまり覆わず肌を露出して暮らすポリネシア民族にとり、タトゥーがひときわ重要だったことが、言葉の背景からも伺われます。
ロシア船のアーティストが描いたフラダンサー(1816年)。Photo Courtesy of Hawaii State Archives
タトゥーの主な役割、目的
ハワイのタトゥーについていえば、(これはハワイの文化全体にいえることですが)地域性がごく強く、モチーフの意味合いなど詳細が島ごと、渓谷ごと、村ごと、時に一族ごとに異なることすらあったよう。所属や階級の印、守護、死者の記念など、タトゥーの意味合いは実にさまざまでした。
まず所属を示すタトゥーでは、同じ村や一族の一員であることを示すタトゥー、従属する王族や崇拝する神を明示するタトゥーなどがありました。有名なものとして、18世紀のマウイの大酋長、カへキリとその戦士のタトゥーがあります。雷の神カネヘキリ(またはカへキリ)を祖先と仰ぎ、その名を引き継いでいたカへキリ(昔、ハワイでは王族は神々の子孫と信じられていました)。身体の右半分が真黒だったとされるカネへキリを模して、カへキリもまた頭の先から爪先まで、右半身をタトゥーで覆っていました。カへキリの主だった部下、戦士も右半身に同じタトゥーを入れており、見た人はひと目でそれがカへキリの一団だとわかったそうです。
ほかに、ある神を信奉する人々や同じ村の女性が、手の甲や指にお揃いのタトゥーを入れていたり、あるフラの一団でダンサー全員の片手にお揃いのタトゥーが入っていたり。また古代ハワイでの最下級層、カウア階級の人々の多くが、額や目の横に小さなタトゥーを入れられていました。
ビショップ博物館の展示より
死者の追悼、守護としてのタトゥー
亡くなった王族や家族などを記念する喪のためのタトゥーも、ごく一般的でした。カメハメハ大王の愛妃だったカアフマヌをはじめ多くがカメハメハの死を悼み、タトゥーを入れたのを好例に、王族を偲んでタトゥーを入れることがよくあったよう。喪のタトゥーは当初、象徴的なモチーフでしたが、19世紀にハワイにアルファベットがもたらされると、亡き人の名と命日を身体に刻む習慣が生まれました。前述のカアフマヌ妃も、カメハメハ大王の名と命日を腕に刻んでいたということです。
守護としてのタトゥーの代表的な例では、その一族のアウマクア(先祖神)のタトゥーがあげられます。鮫をアウマクアとして崇める一家が鮫の歯を示す三角形の列を入れていたり、ユニークなものでは足首に点線を入れていた女性の話も。ビショップ博物館の考古学者だったケネス・エモリー博士によると、それはアウマクアである鮫に間違えて足首を噛まれた女性にちなんだモチーフだそう。鮫が「足首に噛んだ跡が残ったから他の人間と区別がつく。もう間違えまい」と女性に告げた…という逸話から生まれた守護のタトゥーとのことです。
なお先に触れた戦士のタトゥーも一般に守護の意味が強く、タトゥーを入れながら祈祷をあげることもあったそうです。カへキリ一族の雷の神にちなんだタトゥーもまた、所属を示すとともに神の加護を求めるものでもありました。
現在、タトゥーの第一人者として知られるケオネ・ヌネス氏
Photo Courtesy of Hawaii Toruism Authority(HTA)/Heather Goodman/@hbgoodie
Photo Courtesy of Hawaii Toruism Authority(HTA)/Heather Goodman/@hbgoodie
近代・現代のタトゥー
意味深いハワイのタトゥーですが、その伝統は19世紀に入ると徐々に下降線をたどることに。1820年にキリスト教宣教師がハワイ入りし、ハワイ固有の文化を抑圧したことが主な要因です。
もっともそれ以前から、外国船がハワイにもたらしたヤギやマスケット銃のタトゥーがはやるなど、19世紀には肌の装飾としての意味合いが大きくなり、タトゥーの役割が変化していたという側面もあります。ハワイを訪れた外国船のアーティストが、乞われて人々に最新のタトゥーを入れた…との事実は、ハワイにおけるタトゥーの役割の変遷を示すユニークな逸話といえるでしょう。
ビショップ博物館の展示より。男の額にヤギのタトゥーが見える
こうしてしばらく下火となっていたタトゥーですが、1970年代に起こったハワイ文化復興運動、ハワイアン・ルネッサンスを契機に人気が再燃。ハワイアンとしての証し、そしてその誇りを呼び起こす印として民族的なタトゥーを入れる風潮が復活し、現代に受け継がれています。
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森出 じゅんJun Moride担当講師
【インタビュー動画あり】
オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex