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所用時間5min
2021.02.12

ヌウアヌ・アベニュー

ここがポイント

ホノルルのダウンタウン、ホノルル港から山に向かって伸びるヌウアヌ・アベニューの歴史や、道沿いにある歴史ある建物などを詳しく学びます。


ホノルルのダウンタウンにて、ホノルル港の前から山に向かって伸びるヌウアヌ・アベニュー。歴史を感じさせる建物が並び、散策するのも楽しい通りです。海がすぐ目の前に見えるダウンタウンエリアから、山々が見える方向へと進んで行くと、この通りはいずれパリ・ハイウェイという大通りとなり、実際にヌウアヌという地名がついた場所につながります。ヌウアヌ・アベニューがどのような通りなのか、その通りにはどんな建物があるのか、ホノルル港前からパリ・ハイウェイまでの間にあるヌウアヌ・アベニューについて、詳しく見てみましょう。

深い歴史のある地、ヌウアヌ

ヌウアヌ(Nuʻuanu)は「涼しい高地(Nuʻu:高地 anu:涼しい)」という意味を持っています。ホノルルのダウンタウンの北東にある谷、ヌウアヌ渓谷。そこに広がるヌウアヌの地は、1795年、ハワイ王国樹立を目指し、オアフ島に攻め入ったカメハメハ大王がオアフ軍を追い詰めた崖*や、カメハメハ3世、カメハメハ4世とエマ女王といった、王族の夏の離宮が点在するなど深い歴史のある場所です。

ヌウアヌはその名の通り、北東から吹きつける貿易風、そして、山々の緑が深いことで、実際に涼しさを感じる場所になっています。このヌウアヌの谷を流れるヌウアヌ川は、ダウンタウンを通って海に流れ込んでいます。

*カメハメハ大王がオアフ軍を追い詰めた崖「ヌウアヌパリ」について詳しくは、こちらをご覧ください。




(エマ女王の夏の離宮、「クイーン・エマ・サマーパレス」)


(1883年のダウンタウンとヌウアヌ川の様子)

ヌウアヌの地につながるヌウアヌ・アベニューは大変長い歴史を持つ道で、ハワイにやってきた外国人が残した記述や絵によると、1800年代初めには出来ていた道のようです。この道は昔から、ホノルル湾から、ダウンタウンの北東方向に広がるヌウアヌの地を通り、(パリ・ハイウェイが開通する前は)岸壁に沿ってできた山越えの細い道を越えて、オアフ島の東海岸までつながっていました。かつては、オアフ島東部の農家の人々が、栽培した野菜や果物を持ってこの道を歩き、ホノルルの街で売った後に、街で購入した物を持ち帰るということが行われていました。

道路の名前を知らせる標識の違い

ダウンタウンのメインストリートを貫くように走る大通り、キング・ストリートを、イオラニ宮殿から、左手に海が来るように(一方通行の車の流れに逆らうように)歩きながら道の名を知らせる標識に注目してみましょう。ヌウアヌ・アベニューの標識が他と違っているのが分かります。

イオラニ宮殿に接するリチャーズ・ストリートを越えて、ヌウアヌ・ストリートの1本手前の道、べセル・ストリートまでは、標識はこのようになっています。




宮殿から歩きながら、写真のように青地に白抜きの字の標識が見えている間は、高層ビルの立ち並ぶ、現代のビジネス街となっています。



べセル・ストリートの次に現れるヌウアヌ・アベニューの標識に注目してみると、このようになっています。



色が変わり、中国語表記が加わります。この道からチャイナタウンに入るのです。

チャイナタウンは、このヌウアヌ・アベニュー、ホノルル港、ヌウアヌ川、ブリタニア・ストリートに挟まれた地域で、ヌウアヌ川にかかる橋には、チャイナタウンの入り口を示す門も設置されています。



チャイナタウンは、2度の大火事で木造の家屋や商店がほぼ全焼しているため、街を再建する際には木材を使わず、レンガや石を使った建物が建てられています。


(チャイナタウンの大火事で燃えた部分(黒)ヌウアヌ・アベニューの建物も一部燃えていたのが分かります。)

ヌウアヌ・アベニュー沿いには、火事の被害を免れた建物や、火事の後の1900年初頭に建てられた建物が並びます。現在に残る歴史ある建物を、ヌウアヌ・アベニューの海側から山側に向かって見てみましょう。



T.R.フォスター・ビルディング



住所:902 Nuuanu Avenue
完成:1891年

建物の上部に書かれている「T.R.Foster 1891」の文字通り、1891年に完成したこの建物は、船会社「インターアイランド・スティーム・ナビゲーション・カンパニー」が建てたもので、創業者のトーマス・R・フォスターの名にちなんで名付けられた建物です。

1883年創業の同社は、ニイハウ島を除く、ハワイの島々の間を蒸気船で結び、1947年まで、乗客や貨物を運ぶ役割を担っていました。1929年には、航空会社となる「インターアイランド・エアウェイズ」を設立し、飛行機による輸送へと業務を拡大。1941年に「ハワイアン・エアラインズ」と名称を変え、現在もハワイ発着の主な航空会社の一つとして、大切な役割を担っています。


T.R.フォスター・ビルディング自体は、倉庫とオフィスとして使われ、1970年に入ってから、1階部分がレストラン仕様に改装されました。現在はアイリッシュ・パブが1階部分で営業しており、2階部分はオフィスとして使われています。


ハワイ・タイムズ・ビルディング/ニップ・ジジ・ビルディング



住所:928 Nuuanu Ave
完成:1897年

重厚な溶岩のブロックが使われたこの建物は、サトウキビ産業で成功したビジネスマン、ウィリアム・G・アーウィン氏によって建てられたもので、当初は「アーウィン・ブロック」と呼ばれた建物でした。この建物を借りていたのが、日本人活動家のヨウイチ・タカクワ氏で、卸問屋の店舗として、そして政治活動拠点として使っていました。1923年に、日系新聞の『日布時事』(1895年創刊)がこの建物を購入し、その際に、建物の上部に「The Nippu Jiji」とのサインが設置され、現在に残っています。

日布時事は、プランテーション時代の日本人移民にとって大切な情報源で、ハワイにおける日系新聞の中では最古、そして、第二次世界大戦前までは、最大の発行部数を誇った新聞です。1942年に日布時事は「ハワイ・タイムズ」と名称を変え、(そのため、建物はハワイ・タイムズ・ビルディングとの名称で現在呼ばれています)戦後も発行を続けましたが、1985年にその幕を閉じました。

現在のハワイ・タイムズ・ビルディングは、コンドミニアムに改装され、住居として、そして店舗として使われています。上層階の部屋からはホノルル港が目の前に見渡せ、1900年代初頭の船の全盛期時代、その賑やかな港町の雰囲気を彷彿とさせる建物です。


「フィッド・ストリート」

大通りのキング・ストリートを渡ると、レンガ造りの建物が並び、1階部分にはカフェやレストランなどが続きます。





現在、多くの飲食店が並ぶ通りですが、ホノルル港が捕鯨船や貿易船で賑わっていた1850年代までは、ヌウアヌ・アベニューは「フィッド(Fid)・ストリート」とのあだ名が付けられていました。フィッドとは、船乗りの間で使われていた言葉で、アルコールの飲み物という意味になります。当時、この通りには多くの酒場、バーが集まっており、多くの船乗り達が羽を伸ばした場所でもありました。

(大火災の前、1890年のヌウアヌ・アベニュー)


ペリー・ブロック・ビルディング



住所:5 Hotel Street
完成:1889年

ホテル・ストリートとの交差点に立つと、目の前に白いヨーロッパ調の建物が見えます。1888年に施工が始まり、翌年完成したこのペリー・ブロック・ビルディングは、1899年から1900年にかけてのチャイナタウンの大火事の際、焼け残った数少ない建物の一つです。、ホノルルで小売店を経営していたポルトガル人のジェイソン・ペリー氏(ポルトガル名:Jacinto Pereira)の亡き後、夫人がこの建物のオーナーとして建設されたことで、ペリー氏の名が付けられています。


ダウンタウンエリアを抜け、さらに山側に向かうと、大通りのヴィンヤード・アベニューとの交差点からは、フォスター植物園の一部が見られるようになります。

フォスター植物園について詳しくは、こちらをご覧ください。


ロイヤル・モザリアム(マウナ・アラ)



住所:2261 Nuuanu Avenue

緑が豊富な住宅地に入り、さらに先に進むと、ハワイ王国の歴史において、とても大切な場所に近づいていきます。「ロイヤル・モザリアム」、王家の人々が眠る墓地、霊廟です。



マウナ・アラ(Mauna ʻala  Mauna:山 ʻala:香る、良い香りの)とも呼ばれるこの墓地は、1864年に造られ、その後すぐにカメハメハ4世と、息子であるアルバート王子が埋葬された場所です。その後、イオラニ宮殿に埋葬されていた代々の王族、18名の棺がこのロイヤル・モザリアムに移されました。

ハワイ王国の王、女王が眠る場所ですが、カメハメハ大王は、古代ハワイの習慣により埋葬先は明らかにされておらず、ルナリロ王は自身の希望により、イオラニ宮殿に近いカワイアハオ教会の霊廟にて眠っています。


ロイヤル・モザリアムについて詳しくは、こちらをご覧ください。


ホノルル港につながる道として人々が集まり、歴史を築いてきたヌウアヌ・アベニューは、チャイナタウン全域と共に、アメリカ合衆国国家登録材のリストに入っており、歴史を伝える場所として保存の対象となっています。100年を超える歴史ある建物が並ぶヌウアヌ・アベニュー散策で、かつての船乗り達のように美味しい物に出会い、再建されたチャイナタウンの様子を、いつかご自身の目でじっくり見てみてください。


(白黒写真については、Hawaii State ArchivesState Archivesより、その他写真はHawaii Histoic Tour LLC所有)
  • ロバーツさゆり
    Sayuri Roberts
    担当講師

    東京生まれ。筑波大学・比較文化学類にて北米の歴史・文化を学び、英会話スクールの講師等を経て、結婚を機にハワイへ移住。Native Hawaiian Hospitality Association主催の歴史ツアー「Queen's Tour(当時)」に参加し、ツアーガイドの方に、日本語の通訳を頼まれたことから、2004年、ガイドとして登録、研修の上、日本語の歴史ツアーを始める。2006年、「Queen's Tour」の終了を機に、ツアーの継続について主催者の了承を得て、Hawaii Historic Tour LLCを発足、「ワイキキ歴史街道日本語ツアー(当時)」(その後「ワイキキ歴史街道ツアー」に改称)を開始。2007年、「ダウンタウン歴史街道ツアー」もスタート。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディア出演多数。 『お母さんが教える子供の英語』(はまの出版)著者。

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