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2020.11.10

王家の銅像

ここがポイント

王家の銅像を通して、ハワイ王国をより身近に感じよう

ハワイ州はかつてハワイ王国が存在していました。今でも王家の銅像をあちらこちらで見ることができます。すべての銅像は一度に作られたわけではなく、場所、大きさ、作ったアーティストなどは色々ですが、銅像を見てハワイ王国の歴史を身近に感じてみましょう。

1795年、ハワイ諸島を統一し、ハワイ王国を創設したカメハメハ1世ハワイ島出身の王はハワイ島で力を発揮し酋長になり、その後各島の酋長と戦いに勝ち、歴史上に残るハワイ王国の初代王になりました。
カメハメハ1世の銅像はホノルル・ダウンタウン、アリ・イオラニ・ハレの正面にあります。(イオラニ宮殿の道を挟んで向かい側)こちらの像は実は2体目。1体目をカラカウア王がキャプテンクック、ハワイ来島100周年を記念してヨーロッパのアーティストにオーダーしましたが、ハワイに輸送中、船が転覆してしまい、一時紛失しました。そこで2体目を急遽オーダーし、1883年無事に今の場所に設置されました。18フィート(約5.4m)の像はフローレンス(イタリア)にいたアメリカ人のトーマス・リッジウェイ・ゴウルドというアーティストにより制作されたものです。その後紛失してしまった1体目が見つかり、カメハメハ1世の誕生地であるハワイ島のカパアウに運び設置しました。顔が全く違うため、一度は実際に見るのもいいでしょう。


ホノルルのカメハメハ1世


カパアウのカメハメハ1世


ハワイ王国第3代王、カメハメハ3世の像は2018年7月31日に設置された、トーマス・ジェイ・ウォーレンにより作られた高さ12フィート(約3.7m)の一番新しい王家の銅像になります。ハワイ王国では30年近く王に在位し、王国の憲法、土地改正法(グレート・マヘレ)などを施工した王です。この像が設置されたトーマス・スクエアは、1843年5ヶ月の間イギリスの占領下に置かれてしまったハワイ王国を取り戻し、イギリス太平洋司令官トーマスにより承認された歴史的な場所になります。それから175年を記念し作られました。3世は「Ua Mau Ke Ea O Ka Aina Ika Pono」(すべての生命は正義によって守られる)という言葉を残し、現在でもハワイ州のモットーになっています。


カメハメハ3世

2016年にリニューアルした、インターナショナル・マーケットプレイス内にヴィリアミ・トルタヌ作の3体の銅像が設置されています。もともとここの土地はカメハメハ4世の持ち物でした。王はとりわけイギリスとの関係を大切にしました。イギリス人の血を引くエマ王妃とともに、現在でもハワイでは重要な役割を果たしているクィーンズ・ホスピタルを創設しています。一人息子のアルバート王子は、病気のため4歳で亡くなってしまいました。3人で暮らした大切な日々を銅像で表しています。王妃が持っている2本のバラは、王と王子からプレゼントしたものを表現しています。


*カメハメハ4世、アルバート王子


*エマ王妃

ハワイ王国第7代王、カラカウア王の像はワイキキのカラカウア通りとクヒオ通りの分かれ目の三角地帯に設置されています。1991年オアフ市日本人官約移民100年祭委員会によりショーン・ブラウンが作った像です。カラカウア王はイオラニ宮殿の建立をし、1881年にハワイ王国では初めて世界外交に出向きました。日本も訪問し明治天皇に謁見しています。当時のハワイの主要であった砂糖産業に人手が足りず、日本人移民の協力を得に行きました。そこで日本政府からの正式な移民として、944名を第1回船東京市号に乗せ、ハワイに到着したのが1885年2月8日。それより1924年までに約22万人の日本人が移民としてハワイに来島しました。この移民の子孫は日系人と呼ばれ、王のことを日系人移民の父と称えています。


カラカウア王

カラカウア王の妃であったカピオラニ王妃の銅像は、王が王妃の名前から付けたカピオラニ公園に設置されています。カウアイ島のアーティスト、ホーリー・ヤング作であり、高さが6フィート(約1.8m)の像は2001年12月31日、王妃の誕生日の記念に置かれました。カピオラニ王妃はハンセン病の人たちへの寄付金をチャリティーイベントなどで集め貢献しました。また、ハワイ国民の命を守るため、すべての母親達が安心して子供を産めるような施設を開設。1890年にはカピオラニ産院が開設され、現在でも子供専用の最新機器、かつ最新技術を持つ病院として機能しています。王の代わりに1887年にはイギリス王国ヴィクトリア女王の即位50周年の式典に王の妹、リリウオカラニ王女と参列しています。生涯ハワイの人々のために尽くした王妃でした。


カピオラニ王妃

ハワイ王国第8代、リリウオカラニ女王は王国最後の女王であり、女王像はハワイ州庁舎とイオラニ宮殿の間に設置されハワイ州庁舎を向いています。1982年4月10日にマリアンア・ピネダにより作られ、高さは6フィート(約1.8m)。左手には女王が作詞作曲した「アロハ・オエ」、「クムリポ(ハワイ創世記)」「1893年ハワイ王国を取り戻す新憲法」の3冊の本を持っています。首にはハワイ王の象徴である「レイ・ニホ・パラオア」によりハワイアンの血を、そして頭のティアラはクリスチャンと西洋の世界感の受け入れを強調しています。兄のカラカウア王には子供がなく、女王になり、ハワイ王国の政局も安定しないまま、在位2年にて退位を迫られ王国が崩壊してしまいます。その2年後共和国となったハワイでは王政復古を求める市民による革命が勃発します。女王は何も関与はしていませんでしたが、国民のため、反逆罪により逮捕され、裁判が行われ、イオラニ宮殿で8ヶ月の幽閉生活を送る罰が与えられました。その後は夫の実家であったワシントンプレイス(現ハワイ州知事公邸)にて79歳まで余生を送りました。


リリウオカラニ女王

カイウラニ王女はカラカウア王の姪にあたります。妹のリケリケ王女とスコットランド人、アーチボールド・クレッグホーンとの間に生まれた王女です。1991年10月6日、王女の124回目の誕生日を記念して、ジャン・ゴードン・フィッシャーにより作られた像は、アウトリガー・エンタープライズにより、オハナ・イースト・ワイキキホテルの東側クヒオ通り沿いに設置されました。大好きだった孔雀も王女と一緒に置かれています。ここはかつてカイウラニ王女のお気に入りの別荘「アイナハウ」があった場所でもあります。カラカウア王朝では唯一の後継者でした。カラカウア王にもリリウオカラニ女王にも子供がいなかったため、小さい頃より王女として育てられ13歳にしてイギリスに留学します。叔母であったリリウオカラニ女王が退位し、ハワイ王国が崩壊したニュースを聞き、アメリカ大統領などにハワイ王国復活を訴えかけましたが王女の希望は叶えられませんでした。ハワイに帰国後、しばらくして体を壊し、23歳の若さでこの世を去りました。


カイウラニ王女

クヒオ王子はカピオラニ王妃の妹の息子ですので、甥にあたります。ワイキキのクヒオビーチは、もともとクヒオ王子の家「プアレイラニ」があった場所でした。そのビーチを背に、2002年1月12日にショーン・ブラウンにより作られた銅像はカラカウア通りに設置されています。小さい頃に母を亡くしたため、2人の兄とともにカラカウア王とカピオラニ王妃の養子となりました。王子はハワイ王国崩壊後、1901年共和党に加わり、アメリカ合衆国の準州ハワイからの議員となり、生涯ハワイのために活躍しました。3月26日は王子の誕生日にちなみ、プリンスクヒオディーというハワイ州休日となっています。 


クヒオ王子

パウアヒ王女の銅像はワイキキのロイヤル・ハワイアン・センターの中央部ロイヤル・グローブの中にあります。2007年12月19日、王女の176回目のお誕生日の記念にショーン・ブラウンにより作られました。王女像はビリー・フィールズにより細工されたハワイ島コナから運んだポハク(石)の上に座り、少女に本を読み聞かせています。王女はカメハメハ1世のひ孫であり、ハワイ有名校カメハメハ・スクールは王女の遺言により設立され、現在でもハワイアンの血を引く子供たちを中心により優れた教育の場を与えています。
また、夫のビショップにより王女を追悼し、亡くなった5年後にビショップ博物館が創設されました。この場所はかつて、何人もの王が住んだことがある場所でヘルモアと呼ばれ、1万本のヤシが植えられていました。歴史ある場所で今のハワイを見据えています。

パウアヒ王女
 

【補足情報】

  • 藤原 小百合 アン
    Anne Sayuri Fujiwara
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。

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