講座詳細
ワイキキにかつて存在した王家の別荘(住居)
王家のゆかりのあるワイキキをゆっくり歩いてみよう
現在ではオリジナルの建物は取り壊されていますが、昔の名残があちらこちらに残っていて、歴史を感じることの出来る場所となっています。
現在のワイキキ
ヘルモア(ハワイ語で鳥が引っ掻いた足跡という意味)はカメハメハ大王以前から王の住む場所として使われていましたが、その後カメハメハ3世が住み、カメハメハ5世になってからは、ここをキングス・グローブと呼び1866年にはコテージを建て、そのまわりに椰子の木10,000本植えたことで有名です。実はこの10,000本の椰子の子孫があと数本、現在のロイヤル・ハワイアン・センターで大切に保管されています。この土地はカメハメハ大王のひ孫であるバーニース・パウアヒ・ビショップに受け継がれ、現在でも彼女が創設したカメハメハ・スクールの所有する土地となっています。
ヘルモア Photo provided by Hawaii State Archive
カルアオカウと呼ばれたワイキキの土地はハワイ王国第6代ルナリロ王のものとなりました。もともとは草で作られた小屋のような建物でしたが、のちにマリーン邸と言われる家を建てました。それにはコテージや他の建物も加えられフェンスによって囲まれていました。また海まで続く小径もあり、カヌーを置いておいておける船着場も確保しました。ルナリロ王が亡くなったあとは、ハワイ王国4代目カメハメハ4世の未亡人エマ王妃に受け継がれました。エマ王妃はダイアモンドヘッドの傾斜にあるヘイアウを所有していましたが、そこの土地から石を運び、フェンスを作ったと言われています。王妃はその土地にタロイモなどを植え、亡くなる前にはここに住んでいました。この場所は現在のインターナショナル・マーケット・プレイスがあり、エマ財団の土地の一部です。
またニュージーランドから来た夫婦がここに住み、1850年に現在でもこの土地にあるバニアンツリーを植樹したと言われています。2016年に改修工事を終えたインターナショナルマーケットプレイスの中には、当時のバニアンツリーが大切に保管されています。
マリーン邸 Photo provided by Hawaii State Archive
海側のウルコウ(現在のプリンス・クヒオ・ビーチのあたり)を挟んで山側の土地は、ウルニウと呼ばれ(現在のハイヤット・リージェンシーホテルのあたり)、1880年代はカラカウア王の別宅がありました。椰子の木の並んだ庭に2階建ての西洋式の家が作られ、多くの来客を迎えられる大きな屋敷でした。フラを復活させて陽気な王(メリー・モナーク)と呼ばれたカラカウア王はフラで客を迎え、ワルツなども堪能。西洋の文化も受け入れるエンターテイナーとしても有名でした。「宝島」で有名なスコットランド出身の作家ロバート・ルイス・スティーブンソンもここをよく訪れ王家一家と親交を深めました。現在ワイキキのメイン通りはカラカウア通りですが、昔はワイキキ・ロードと呼ばれ、1905年に正式にカラカウア通りと命名されています。
カラカウア王、ウルニウの別宅 Photo provided by Hawaii State Archive
現在のプリンス・クヒオ・ビーチあたりにプアレイラニ(ハワイ語で天国のフラワーレイ)という住居がありました。もともとカラカウア王とカピオラニ王妃、そしてリリウオカラニ女王の別宅があった場所です。リリウオカラニ女王はこの別宅をケアロヒラニと呼び、亡くなったあとはクヒオ王子とその王妃の手に渡りました。王子夫婦はこの家に1年ほど住み、それからプアレイラニの建築をしたといいます。クヒオ王子はカピオラニ王妃の甥にあたり、ハワイ王国崩壊後は一度囚われの身となってしまいましたが、ハワイ準州からのアメリカ合衆国議員に選出され、約20年ほどワシントンDCで活躍し、ハワイの人々のために働きました。王子死亡後、この土地はホノルル市に寄付され、現在のクヒオ・ビーチになっています。またここには王子の像も置かれています。
プアレイラニにあったカヒリ Photo provided by Hawaii State Archive
ハワイ王国第8代女王、リリウオカラニ女王(当時は王女)の別宅は女王のリトリートと呼ばれ、ハモハモ(現在のワイキキ・ビーチ・マリオットリゾートあたり)という場所の山側の土地には女王がよく使っていたパオアカラニと、海側のケアロヒラニいう2つの家がありました。リトリートとは「避難所」や「隠れ家」の意味がありますが、ここでは仕事を離れ、リラックスした気分で友達や家族とのパーティを開催したり、大好きな作詞作曲、ハワイ語の書物の翻訳など、創作活動をする時間を楽しみました。また、1869年にはイギリス王国のエディンバラ公アルフレッド王子を迎えています。女王は王子にハワイらしいものをというリクエストをされ、古代フラのエンターテイメントや古代ハワイのゲームなどで歓迎したと言われています。ケアロヒラニにて作曲した「カ・ワイ・アポ・ラニ」も有名です。
ハモハモにあったパオアカラニ Photo provided by Hawaii State Archive
ハワイ王国第7代カラカウア王と8代リリウオカラニ女王の姪にあたるプリンセス・カイウラニの大好きな住居があったのはアイナハウでした(現在のプリンセス・カイウラニ・ホテルのあたり)。この土地はもともと父親のアーチボールド・クレッグホーンにより購入された土地にゴッドマザーであったルース王女から相続した土地を加えて、10エーカー(約40,500m2)の大きさがありました。父親が設計した白い2階建てのヴィクトリア調の洋館には2つのグランドピアノ、ゴールドやガラスでできたキャビネット、アート・コレクションなども置かれた贅沢なものでした。庭には3つの蓮の池、500本の椰子の木、14種類ものハイビスカス、8種類のマンゴーの木、そして巨大なバニアンツリーがありました。バニアンツリーの下では、スコットランド人作家のロバート・ルイス・スティーブンソンがポエムをプレゼントしたと言われています。大好きだったクジャクに囲まれ、母のリケリケ王女(カラカウア王とリリウオカラニ女王の妹)との3人の暮らしはとても楽しいものだったといいます。母を11歳で亡くし、13歳で単身イギリスに留学した王女は、リリウオカラニ女王の後継者として成長しました。残念なことに王女が女王になる前にハワイ王国は崩壊し、王女は23歳の若さでこの世を去りました。
アイナハウ Photo provided by Hawaii State Archive
Hawaiian Monarchy by Allan Seiden Mutual Publishing
Images of Old Hawaii by Peter T Young
Hawaiian Historic Trail Markers by George S. Kanahele
The Pacific Commercial Advertiser
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藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。