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所用時間5min
2021.11.24

フラ前史

ハワイ語の辞書を引くと、フラの項目には「フラ(という様式の踊り)を踊ること」、「フラの踊り手」という意味だけでなく、「フラのための歌やチャント」や「フラのために歌う、チャントを唱える」という意味も記載されています。フラが単なる踊りではなく、オリ(チャント)を伴うということです。今回はその背景を見ていこうと思います。

19世紀に入って西欧文化がハワイに流入すると、キリスト教宣教師がフラの意味を単なる踊りと解釈し、それをテキスト化しました。ハワイで最初に作られたハワイ語の書物は聖書ですが、出エジプト記の第15章20節の最後に「a me ka hula」という表現があります。これは「踊りながら」と訳すことができますが、ここでは人が自立的な動作として振る舞う踊りを「フラ」と表現しています。しかし冒頭でお伝えしたように、基本となるフラは、祈りを伴うものであることが不可欠でした。さらに、たとえばフラの女神であるラカは、踊り手のなかに入り込んで体を操るという信仰もありました。

先住の人々がハワイ諸島に住み着いた当初、ハワイ諸島は暮らしていくにはとても過酷な世界でした。どの島でも雨水は大地に浸透してしまうため、カウアイ島のワイルア川などの例外はありますが、川や湖はほとんどできませんでした。淡水を確保できなければ作物は育たず、暮らしが立ちゆかないことになります。また、マウイ島やハワイ島では頻繁に火山噴火が起き、集落や畑を押し潰してしまうことがありました。さらにはときおり襲来するツナミや、暴雨風のせいでカヌーを海に出せないという試練もありました。

これらすべては貿易風と火山活動によってもたらされたものです。しかしこれを神々の裁きと捉えた人々は、日々の暮らしにさまざまなルール(カプ)を設け、厳格な暮らしを行うことで神々や先祖に自分たちの真正さを訴えるようになりました。

神々に対して祈りを唱えるのは自然な感情です。人々はだれでも困ったとき、あるいはその反対に幸せなときに神々に祈りを捧げました。しかし、祈りは個々人の幸せや将来の幸運を願うだけでなく、権力者であるアリイ(首長)たちの勢力を問うものでもありました。そのため、国を維持し、敵との戦いに勝ち、跡継ぎを得て、豊かな土地と海の恵みを得るために、特別の祈りを捧げました。この祈りはアリイ自身が捧げることもありましたが、神々と言葉を交わすことのできるカフナ(祭司)によって捧げられるようになりました。

これらの儀式はハワイ諸島に自然発生したものではなく、ハワイに住み着いた人々の故郷であるポリネシアの島々に由来するものです。それらはいくつかの点で異なる様式を持っていたかもしれませんが、ポリネシアの島々は相互に長い交流の歴史があり、きわめて高いレベルで文化の共有が行われたため、ハワイ諸島に根づいた文化や宗教観も似たような内容となりました。

暮らしにおける極めて重要な祈りは儀式として定着し、専用の施設であるヘイアウ(神殿)で行われました。カフナはヘイアウを維持し、単独で、あるいはアリイとともに神に祈りを捧げました。このとき祈りは声に出して唱えられました。ハワイを含むポリネシアの人々は文字を持たなかったため、神々のメッセージを人々に伝えて共有するためには、声に出して祈る必要があったのです。

大きな声は小さな声よりも多くの人に伝わるように、その内容をしっかりと人々に伝えるのは大きな課題でした。そのなかにはオリ(祈り)に節回しを加えたものもありました。ただしオリは厳粛なものですから、カフナによってのみ唱えられるものでした。

やがてオリのなかに、神具という性格を併せ持つ楽器が加わり、音を通じて祈りを印象づけました。とくにパフと呼ばれる太鼓は神々の声が発せられるワハ(口 / 声)として神聖視されました。その後、祈りが何を表しているかを視覚的に印象づけるため、ジェスチャーで表現する人々が加わるようになりました。カフナだけの祈りも、カフナに楽器やジェスチャーを伴う祈りも、英語ではともにチャント(詠唱)と訳されますが、ハワイ語では前者はオリ、後者はメレと呼ばれました。



ジェスチャーは訓練を受けた若い男性が執り行ったとされます。18世紀末にイギリス海軍のキャプテン・クック一行がハワイを訪れた際に女性の踊りを見たことが報告されていることから、男性のみによる踊りではないという説もありますが、その指摘は近世の話であると考えるべきでしょう。もちろん、女性は神に祈ることや踊ることが禁じられていたという伝承が今日に残るわけではないので事実関係は不明です。


さて、神々との対話をより鮮明に覚えさせるために登場した特定集団によるジェスチャーは、パントマイムのように、芸術的表現をそぎ落とされ、徹底して単純に表現されたわけではありません。ジェスチャーが舞踏のように演じられたのには、それなりの背景がありました。
  • 近藤 純夫
    Sumio Kondo
    担当講師

    エッセイスト、翻訳家、写真家。ハワイ火山国立公園アドバイザリースタッフ。ハワイ州観光局アロハプログラム・キュレーター。ハワイ関連の著書に『フラの花100 』『新ハワイアンガーデン』(平凡社)、『歩きたくなるHawaii』(亜紀書房)、『フラの本』(講談社)、『Dear Maui マウイを巡る12の物語』(共著/ Little Gift Books)、訳書に『イザベラ・バードのハワイ紀行』(平凡社)など。
    フェイスブック・サイト https://www.facebook.com/kondo.sumio
     

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